ぼくの創造は、ぼくの未来を暗示していた。
無意識のうちの創造が未来を予言しているというのは本当か?
・タイのパタヤで開催される国際家庭医療学会に参加しよう
・タイにもイランにも行けなくなるかも?!
・ぼくのパタヤの家庭医療学会へ参加する心意気の文章(無意識下)
・無意識下の文章は美しき未来への予言
・タイのパタヤで開催される国際家庭医療学会に参加しよう
ぼくは宮古島の病院で働いている際に、タイのパタヤで開催される国際家庭医療学会に参加することになった。それは出張なので、なんとタイのパタヤまで行けるのに航空機代もホテル代も病院が出してくれるのだという。なんとありがたいことだろうか!
宮古島は沖縄の離島なのて、日本国内はおろか海外に出るとなると結構なお金がかかる。ぼくはこの家庭医療学会の出張に乗じて、その後に続きとして夏休みを1週間とり、そのままタイからイランへ飛んで旅行しようと計画した。
宮古島からイランへ行くためには航空機代が極めて高いが、タイのバンコクは東南アジアのバブ空港であるだけあって就航便も多く、イランへもはるかに安く行くことができた。イランからの帰りもバンコク経由で帰ってくるとすると、宮古島からバンコクまでの往路の航空機代、バンコクから宮古島までの復路の航空機代は出張代としてきちんと出してくれるということだったので、これまたとてもありがたい話だった。
・タイにもイランにも行けなくなるかも?!
しかし直前になってぼくと一緒にパタヤに行くはずだった上級医がやっぱり行かないと言い出したので状況は一変した。ぼくはまだ3年目の若い研修医だったので、ぼくがひとりでパタヤへ行って、指導医もなしに初めての国際学会に参加するのに意義があるのかと議論になったのだ。そして中止したら?という案まで挙がったので困惑した。
ぼくはこの時点でもう既に、宮古島とバンコクの往復チケットと、パタヤの宿と、バンコクとイランの往復チケットを予約してしまっていたのだ!そんな直前に行くなと言われてもそのチケットどうしたらええねんという話だし、キャンセル料も病院は払ってくれないことは火を見るよりも明らかだった。
ぼくは自分ひとりで行くことを主張し続け、それではパタヤの国際学会へ行く意気込みを文章にしてまとめてくれと院長に言われて話は落ち着いた。とりあえず行かせてくれるならば文章でも何でも書きますよという心境である。しかしその提案は出発直前であり、仕事も忙しかったのでその合間に書き上げたパタヤの家庭医療学会へ参加する意気込みの文章は、なんだか無意識のうちに書き上げた詩のようになってしまった。以下にその文章を掲載する。
・ぼくのパタヤの家庭医療学会へ参加する心意気の文章(無意識下)
和辻哲郎の「風土」を読んで新鮮な感動を覚えてからもう5年の月日が経つというのに、それはついこのあいだのことのように思われる。時代を超えて人々に感動や気づきを与える書物は、ひとりの読者の人生の中でさえ、時間を感じさせない力があるようだ。
その本によると、風土とは単にわたしたちを取り巻く自然環境を示すわけではなく、その中を生き抜いているわたしたちの肉体、その精神にさえ風土は深く刻まれており、自らの存在を了解するためには、自分の中に知らず知らずのうちに内在し、同一化している風土の正体を突き止めることが重要であるという。風土は、わたしたちであり、わたしたちは、風土である。
さらに著者は、この世界の風土は主に3つに分けられるという。すなわち、モンスーン型、沙漠型、牧場型であるという。その中でモンスーン型とは、主にアジア地域のことを指す。欧州の精神の根源であるギリシアでは、美しく晴れた日が多く、常に見晴らしがよかったという。「見る」という行為が、困難なく可能なその風土の中で、人々は観察という行為を育んだ。またその土地では、雑草というものが育たなかったことから、自然というものが押し寄せてくるという経験がなく、自然を支配できるという能動的な思考が生まれた。この観察する習慣と、能動的な思考が相まって、現代の科学技術は欧州で生まれることが可能になったのだと、著者は推測している。
それに対して湿潤なアジア地域では、雑草というものがよく育った。人々がどんなに努めて雑草を取り払おうとしても、雑草は後から後から土から生まれ出た。その結果として、アジアの人々は、自然を支配するという考えを微塵も持つことはなく、むしろ無造作に生い茂る雑草をあきらめて、迫り来る雑草も、またそれを育む大量の雨も、そのまま受け入れて生きていこうという受容的な精神構造が生まれた。その精神構造の中に、わたしたちも存在している。
異国を旅することは楽しい。遥か彼方の異国を旅するとき、わたしは濃厚な異物となって世界と対峙し、その相違に驚嘆し、また悲しむこともできる。自らが異物であると感じることができるとき、わたしは自分自身に帰り着く思いがする。どのような大地に生きようとも、たとえそれが故郷であっても、わたしはいつも異物だった。
しかしまた、近隣の諸国を旅するとき、わたしはその繋がりに心揺さぶられる。髪の色や、文字の形や、仏の教え。日々の仕草や、衣の色彩や、儒のしりたり。同じであればあるほどに、人は違いを求め出す。似ている色の雨に打たれて、どのような色に人々の心は染まるだろう。わたしは鏡を待っている。わたしは鏡をさがし出す。
・無意識下の文章は美しき未来への予言
最後の部分なんかもはや無意識下の詩の創造のようになってしまったが、ぼくは何もかもの雑念を頭の中から追い払って、無の境地でこの文章を書き上げた。院長はこの文章を見て文学的だと不思議な顔をしていたが、きちんとぼくのパタヤ行きをゆるしてくれた。
しかし忙しい中で咄嗟に書き上げた自分のこの不思議な文章が、自分のイランでの美しき旅について予言していることなど、この時は知る由もなかった。
(つづく)