この国を広く洗脳している儒教の思想と社会的ヒエラルキーのひずみについて。
看護師よりも医者の方が偉いというのは本当か? 〜儒教の生み出す目上目下のねじれ〜
・生きていることの秘密を知るについては儒学は無力である
・人間をどのように目上と目下の分け隔てるのか
・イギリス人が理解不能だったベテラン看護師の話
・ありもしない目上目下を信仰することで混乱は生じる
・生きていることの秘密を知るについては儒学は無力である
日本という国は、お寺などはなくて目には見えにくいけれど、儒教という宗教に濃厚に広大に支配されている。潜在的に日本民族の心や精神を支配している儒教の思想に、日本民族自身も気づかずに生活は営まれていく。
儒教ではどのようにすれば上手く社会を渡っていけるか、その世渡りの能力だけを強調し、生命の真理について追求される要素は極めて少ない。大学で儒学を学ばなければならなかった弘法大師もその点を指摘し、それと対照的に仏教は生命の秘密を知る上で役に立つことを悟り、大学を退学している。彼の文章「三教指帰」においても、儒教の無力さと仏教の尊さが堂々と主張されている。
“儒者よ、あなたは年長であるからと言って長幼の序をやかましく言い、そのしつけを核にして浅薄な思想を作り上げているが、それは錯覚である。時間にははじめというものがなく、あなたも、わたしも、生まれ変わり、死に変わり、常なく転変してきたものである。生きていることの秘密を知るについては、儒学は無力である。”
儒教はさらに誰もが等しく尊い人間という集団の中で、上なる者と下なる者に分け隔て、分類し、下なるものは上なる者に逆らわず服従することを推奨し、服従を示すために言葉の形態まで変えさせようとする異様な光景が見られる。その仕組みのことを、日本では敬語という。
・人間をどのように目上と目下の分け隔てるのか
この上なる者と下なる者はどのうようにして分類されるのか。まず典型的な例では年齢である。実際にそんなことは全くないとちょっと考えればわかりそうなものだが、たとえば20歳よりも21歳の方がはるかに素晴らしいとみなされ、ひとつ歳が違うだけでも日本では尊敬を強要される。また年齢だけではなく、ひとつ学年が違うだけでも同じようなことが起こる。
また職場においては、上司は部下より絶対的に偉いのだから、意見を交わし議論をすることすら許されずに服従することが模範的人間の態度だとみなされている。自分の意見をきちんと発信できるまさに「生きている」ような人間よりも、機械のように部品のようにただいうことにおとなしく従う都合の良い人間が素晴らしい社会人として迎えられる。
社会的にはその役割によって上なる者と下なる者がわけられる場合もあるだろう。当然従業員よりも社長が目上であるし、ぼくが働いていた病院という施設であれば、医者が最も偉いとみなされ他の医療従事者は医者の指示に従って動くことによって病院の役割が果たされていくというのが、ごく“一般的な”印象だろう。
・イギリス人が理解不能だったベテラン看護師の話
ぼくが面白いと感じたことは、この日本の儒教的目上・目下体制が時々ねじれの位置を示すかのようにねじ曲がって存在することがあるということだった。
ぼくは沖縄の宮古島の病院で働いていたときに、友達の家でご飯を呼ばれた。そこにはぼくの友達と、年配のベテラン看護師さんと、別の看護師さんの夫(イギリス人)が参加していた。その会話の内容はとても面白く、ぼくにとって興味深かった。
まずベテラン看護師さんが自分の手術室での出来事を披露した。そのベテラン看護師さんが手術に入っていた際に、若い外科医に「メス!」とぶっきらぼうに言われたので腹が立って、きちんと「メスお願いします」と敬語で話しかけてくるまで彼を無視していたという話だった。ベテラン看護師さんからすれば、自分よりはるかに年下のくせに若い外科医が自分に敬意を欠いた生意気な口調を使ったので腹が立ったということを言いたかったのだろう。日本人たちは、まぁそんなこともあるのだろうと割と違和感なく彼女の話を聞いていた。
しかしイギリス人だけは、なんとも奇妙で理解できないという顔で疑問を投げかけてきた。彼は「あなたは看護師で、相手は医者なのだから、あなたは医者の言うことをきちんと聞かなければならないのでは?」とめちゃくちゃ不思議そうに質問してきた。
そうなのだ。イギリス人の彼の脳内では一般的な「医者>看護師」という公式が普通に成り立っており、それゆえに医者が指示して看護師が従うことは普通のことなので、なぜ看護師が従わないのかわけがわからないというのだった。しかも手術中という重要な場面なのだからなおさらだった。
・ありもしない目上目下を信仰することで混乱は生じる
しかし日本人の脳内ではこの一般的な「医者>看護師」という公式に加えて、「年上>年下」という儒教的・絶対的ヒエラルキーの公式が成り立っているので、しばしばこれが混在し、混乱をきたしかねない。
一体はるかに年上の看護師と、年下の医者というのは、どちらが目上なのだろうか。
彼女のようにはるかに年上ならば、「医者>看護師」という一般的な公式さえ乗り越えて、年上だから自分の方が偉いのだ、年下の医者でさえ自分に大いに敬意を払うべきだと主張することは可能なのだろうか。日本において、年齢と目上・目下の相関はかなり根深いものがある。それが絶対的な基準だと言えるほどかもしれない。日本では年上であるか年下であるかが最も重要な格の基準であるから、ぼくたち日本人はベテラン看護師さんの言うことをあまり違和感なく聞いていたのだろうか。そしてその感覚は、儒教圏内にないイギリス人には相入れないものだったようだ。
人は誰もが平等に尊いという真理の前では、儒教の作り出す目上・目下の感覚など愚鈍で醜い一種の幻だ。それはただ、支配者や権力者が無知で愚かな者たちを都合よく正しく支配するための小賢しい道具に過ぎないのではないだろうか。