美しき漢字にもう一度誇りを。
漢字がカッコ悪いというのは本当か? 〜日本人の西洋に対する異様な憧れ〜
・「楽天」という文字がかっこ悪い?
・日本人の西洋への異様な憧れ
・表意文字である漢字の面白さ
・韓国やベトナムにおける漢字文明
・漢字文化圏の旅での漢字知識の有用性
・漢字文化圏に生きる者としての矜持
・「楽天」という文字がかっこ悪い?
ある日ぼくの友人が「楽天カードはカードの上に『楽天』という文字が入っているからダサくてかっこ悪いから持ちたくない。せめて『RAKUTEN』と書いてくれればいいのに。」という意見を主張した。そういえば同じような意見をインターネット上で散見したこともある気がする。ぼくはその意見を聞いて、くだらなさ過ぎて馬鹿馬鹿しくて開いた口が塞がらなかった。漢字がかっこ悪くて西洋のアルファベットの方が優れているというその無意味な比較的な感性は、一体どのようにして身につけられたものなのだろうか。
・日本人の西洋への異様な憧れ
文字に限らず、日本古来のものや東アジアのものが何となく劣っており、西洋の方が人も物も文字もかっこいいと思い込まされている日本民族における洗脳的な風潮はいかがなものだろうか。日本の街を歩けばファッションの店には西洋的な人々が売り物を着用した映像や写真が大量に見受けられるが、圧倒的に日本人の消費が多い街の中で日本人の誰とも似ていない西洋人が売り物の服を着ている写真が何かの参考になるのだろか。消費者と同じような日本人や東アジア人が来た写真の方が圧倒的に参考になると思うが、参考になるという利点を凌ぐほどの西洋人を起用する理由が何かあるのだろう。それは、西洋人が着用していると日本人は憧れやすく消費が進むという理由ではないだろうか。
梅田にいた頃もいつも梅田の駅の上にデカデカと「WE LOVE HERE!」と英語で書かれた看板を見ていたものだが、一体誰に向けてこの看板が存在するのかまったくの謎だった。外国人観光客に向けてのものであるならば、こんな日本らしくもない独自性のカケラもない英語の看板を見て喜ぶのだろうか。せっかく日本に来たのだからもっと日本らしい看板で演出してもいいのではないだろうか。ぼくはこの看板にいつも、とりあえず英語で何か書いとけばかっこいいのではないかという、敗戦の流れから来る昭和的な日本人の白人コンプレックスが垣間見えるような気分を感じていた。
ファッションやヘアスタイルにおいても「日本人には似合わないよ。白人だからかっこいいから似合うんだよ。」という会話が日本人の間で繰り広げられることも多々あるが、これもものすごく馬鹿馬鹿しい意見であるといつも思う。白人だから似合うというのは、雑誌や街角で散々白人のファッション写真を見せられた果てに日本人が形成するただの妄想ではないだろうか。もちろん白人にもかっこいい人もいれば、かっこ悪い人もいる。日本人にもかっこいい人もいれば、かっこ悪い人もいる。お洒落な人もいれば、ダサい人もいる。似合う人もいれば、似合わない人もいるわけで、その割合はどのような世界においても同じようなものではないかと思うのだ。
以上のように、日本の社会の中には、日本のものやアジアのものよりも、西洋のものや白人的なものの方が優れているのだという思い込みや洗脳で溢れている。足が長い方がいい、鼻が高い方がいい、目が大きい方がいいという、世の中に蔓延している外見的な感性もその思い込みに所属するものだろう。「日本人離れしている」という言葉が日本人の間で褒め言葉のように使われているのは、もはや何かの冗談であるかのようだ。このような感性はすべて、敗戦後にコンプレックスとして日本人の感性の中に埋め込まれたものが、まだ令和の今の時代になっても懲りずに引き継がれているのだろうか。
・表意文字である漢字の面白さ
楽天カードの話に戻るが、漢字というのはぼくの感性の中では、非常に魅力的な文字だ。それは現代この世界で唯一の表意文字であり、文字ひとつひとつが意味を持つ、まるで絵画のような文字である。ぼくたちは字を書くごとに芸術的に絵画を描いているようなものであり、書道の文化も非常に趣深いものがある。文字が人となりを表し、そして魂を持つというのはまさに東アジアならではの文化であろう。美しく文字を書くことがとても素晴らしいことだと評価され、文字を大切に思っている姿勢も、旅して来た世界の中では日本を含む東アジアにしか感じられない、独特で面白く、そして素晴らしいものであると思う。
・韓国やベトナムにおける漢字文明
漢字は今現在は日本、中国、台湾でしか使用されていないが、かつては朝鮮やベトナムなど東アジア一体で使用されていた、いわば共通文字だった。韓国人と話していても、彼らの名前はすべて漢字的な読みであり、そして名前の全てには漢字があてがわれ、それぞれに意味を持っていて自分の名前の意味を語ることができる。文字を使う風習は滅んでも、韓国の言語の中には今でも濃厚に漢字と中国の文化が宿っていることが感じられた。
ベトナムではフランスに植民地にされた経緯から今ではアルファベットを使用しているが、ベトナム語は漢字そのもので成り立っているという。たとえばベトナム語で「ありがとう」は「カムオン」と言うようだ。音だけだとなんのこっちゃかわからないが、漢字が「感恩」であると言われた途端に、ベトナム語とベトナム人のことが一気に身近に感じられるから不思議である。ちなみにハノイは「河内」と書くらしい。ますます身近に感じられる。
・漢字文化圏の旅での漢字知識の有用性
漢字のありがたさや便利さや面白さ、趣深さは、特に中国や台湾に旅行に行くと感じられ、ますます漢字が好きになっていく思いがした。こんなにも多くの人が、別の国でも同じ文字を同じ意味として使用しているという事実は、外国を身近に感じられる理由にもなるし、さらには心強い気さえしてしまう。中国や台湾では、街中の文字を読んで理解することだって可能だし、言葉が通じない時には文字でわかりあい、言語が違うのに心が通じ合う喜びを感じることができる。心を通わせるのは、何も言葉だけではなく、文字も強い味方となり得る。
世界中で大勢の中国人や台湾人が話している中国語も、日本人なら体得するのは別の国の人々よりも圧倒的に容易となることだろう。ぼくたちはもう既に中国語を勉強する前から、おおよその中国語の文字を記憶し理解してしまっているのだから、新しく漢字を勉強する時間が格段に省けるというのは、中国語をマスターしたいときの絶大なメリットとなるだろう。
・漢字文化圏に生きる者としての矜持
また、漢字の成り立ちや歴史を深く知ることで、古代中国の民族やしいては東アジア一帯の民族が、どのような感性を持ち、どのような祈りや宗教的な心を抱き、そしてどのような風俗の中で生きてきたのかを理解することもできる。文字から古代東アジアを知るということは、すなわち現代生きているぼくたちの立っている基盤の性質を知ることにつながり、自分自身を知るということにも役立ってくるだろう。
漢字の素晴らしさや奥深さは果てしない。古代の日本人は古代の中国に憧れ、漢字をかっこいい先進的な文明だと見なし、ずっと中国から一生懸命に学んできた歴史があるはずなのに、最近になって急に、もっと強そうな白い民族が現れたからって憧れの対象を乗り換え、さらには漢字をかっこよくないと卑下するなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しく軽薄な感性ではないだろうか。最近の洗脳的な流行ばかりに惑わされず、この島国の民族は何に憧れ何から多くを学び取り、それによって養われたどのような感性がぼくらの奥底に潜んでいるのか。もう一度立ち止まってじっくりと考えてみる時代に来ているのではないだろうか。