沖縄のお墓は不思議な形!
死んだらあの世へ行くというのは本当か? 〜沖縄の亀甲墓と子宮へ帰る母胎回帰〜
・沖縄の亀甲墓と不思議な墓の文化
・人は死んだらどうなるのだろうか 〜子宮へと帰ってゆく魂たち〜
・「崖の上のポニョ」も母胎回帰的作品?
・沖縄に似ている世界の地域と文化
・沖縄の亀甲墓と不思議な墓の文化
ぼくは沖縄に10年ほど住んでいた。沖縄は同じ日本といっても本州とは全く異なる文化も多くあり、まるで異国で暮らしているようだった。その中でも特に不思議だと感じたのは、沖縄のお墓の不思議な形である。
沖縄のお墓はでっかい!!!日本のお墓の面責なんてせいぜい1〜2平方メートルくらいだと思われるが、沖縄はお墓自体がそれ以上の巨大さで、お墓を取り囲む敷地もこれまた広大だ。沖縄の人々はお墓参りの際にお墓でピクニックして敷地内でご飯を食べたりするという習慣もあるという。
沖縄のお墓は形も独特だ。この形状は亀甲墓と呼ばれ、盛り上がった亀の甲羅のような形をしており、どこからどう見ても日本のお墓とは別物だ。ぼくはなんでお墓が亀の甲羅の形をしているのかとても不思議だったが、実は沖縄のお墓は子宮の形をしているのだという話を聞いてやたらと感動してしまった。
・人は死んだらどうなるのだろうか 〜子宮へと帰ってゆく魂たち〜
ぼくたちは死んだら、どうなるのだろうか。今は若くてもいつかは死ぬので、死んだらどうなるのか不思議に思って考える時間も無駄ではないだろう。世界を見てみると生まれ変わって何度でも命を生き直す輪廻転生をするとか、閻魔様が天国か地獄はを判断するとか、土に埋まって入ればいつか神様が迎えにくるとか、色々な説が唱えられているけれど、日本人はといえば、川を渡ったら先に死んだ家族たちがそこで待っていてくれていて、みんなでもう一度幸せに暮らせるという考え方が最も一般的ではないだろうか。
しかし沖縄の昔の人々は、死んだら人は子宮に帰っていくと考えていたのだろうか。そのような思いがお墓の形として体現され、今の時代に至るまで引き継がれているのではないだろうか。ぼくたちは誰もが皆、母親の子宮から生まれる。子宮はこの世に生きる全ての人々の共通の故郷だ。そんなぼくたちの共通の故郷へと、死んだらやがては帰っていけるなんて感動的な思想ではないだろうか。
ぼくたちはほとんどの場合、順番として母親が自分よりも先に死んでしまい深い喪失感に襲われるが、死んだらまた故郷としてのお母さんの子宮へ帰れるということは、喪失に対する救済を与えてくれはしないだろうか。あるいは死んだら子宮に魂が舞い戻ることにより、そこからさらに誕生を経験して新たな生を生きてゆけという輪廻転生的な思想さえはらんでいるのかもしれない。
・「崖の上のポニョ」も母胎回帰的作品?
宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」は抽象的な作品であるがゆえに様々な解釈をゆるされる。ポニョとそうすけは映画の中で全体を通して、誕生から結婚、老人になって最後に死ぬまでの人生の一通りのプロセスを模倣したような流れになっているのだと解釈する動きもある。
最後にポニョとそうすけが目指すのは巨大なクラゲに包まれた水中の不思議な空間だ。あのクラゲは「子宮」を表してるのだという解釈を見たとき、ああ最後の死のステージにおいて、子宮へと帰っていく母胎回帰の思想を、宮崎駿さんも直感で感じ取っているのではないかと感じられた。
・沖縄に似ている世界の地域と文化
しかしどうやら亀甲墓は沖縄独自のものではないらしい。台湾本島でも見かけたし、中国大陸福建省に極めて近い台湾の離島金門島でも、沖縄のものとそっくりな亀甲墓を目撃した。またベトナムのホイアンでも亀甲墓を目撃している。やはり巨大な中国文化の流れとして、その周囲へと派生したのだろうか。しかし奇妙なことに、中国大陸で亀甲墓を見かけることはなかった。
沖縄文化の派生は興味深く、沖縄文化がどこから来てどこへ行くのか非常に興味深い。中国大陸福建省に極めて近い台湾の離島金門島は、シーサーもいて石敢當もあり、台湾本島よりも沖縄に極めて類似しているものを感じた。沖縄文化は中国福建省的な要素が強いのかと思ったが、中国大陸福建省は特に沖縄に似ているとか感じられなかった。
沖縄文化はどこから来てどこへ行くのだろう。それに着目しながらアジアの大陸を旅していくのもひどく面白い。