ぼくたちは自らの真っ当な意見を主張するだけで、社会から疎外されてしまう運命にあるのだろうか。
権力者や目上や上司に逆らったら報復を受け、二度と仕事をもらえなくなるというのは本当か?
・労働基準法を遵守せず休業手当を出さない組織たち
・医者や看護師が無料でシフトカットされても泣き寝入りする理由
・権力者や目上や上司に逆らったら報復を受け、二度と仕事をもらえなくなるというのは本当か?
・ぼくは二度と仕事をもらえないことを覚悟の上で、雇用者へ自らの意見を主張した
・雇用者に逆らった後も、ごく普通に仕事をもらうことができた
・革新的な若者、保守的な老人の風景
目次
・労働基準法を遵守せず休業手当を出さない組織たち
ぼくは先日、医師としてのコロナワクチンバイトの勤務が確定していたにもかかわらず、会場が実は休みだったという間抜けな理由でシフトカットされてしまった兵庫県西宮案件(運営は医療法人社団 泉会、仲介は株式会社CUC)の出来事を記事にした。ぼくがこの出来事を記事にした理由は、雇用者側のミスで勝手にシフトカットしてきたにもかかわらず、労働基準法を遵守することなく休業手当(本来支払われるべきだった金額の6割以上)を1円も払わないと雇用者側はが主張してきたことに、大きな違和感を抱いたからだった。ぼくたちは勤務が確定し、雇用契約がしっかりと締結されている以上、きちんと労働基準法に則って休業手当を支払うように雇用者に向かって強く主張する権利を誰もが持っているはずだ。
大抵のまともな組織なら、シフトカットしても労働基準法という法律をきちんと守ってこちらから何も言わなくても休業手当を支払ってくれるのだが(世界的企業のアマゾンや東京都練馬区はその真っ当な組織の好例)、たまに向こう側から一方的にシフトカットしてきた挙句に休業手当を1円も支払わないと厚かましくも主張してくる大阪市や医療法人社団 泉会のような組織も散見されるので要注意だ。上記の西宮案件では、素人ながらに法律を調べながら理路整然と法律に基づいた意見を粘り強く繰り返し雇用者へと述べることにより、無事に休養手当を獲得することができた。
・医者や看護師が無料でシフトカットされても泣き寝入りする理由
コロナワクチンバイトというのはワクチンの供給が不安定になったり会場の都合などで、割とシフトカットが起きやすい環境にあると、2021年6月から継続的にコロナワクチンバイトを続けているぼくは実感している。したがって医者や看護師や会場スタッフが突如としてシフトカットされてしまう事例をぼくはたくさん見てきた。そしてその際に結局は休業手当が支払われなかったという事例が、稀にではあるがやはり発生してしまっているようだ。彼らの話を聞いているとそんな時に医者や看護師や会場スタッフは、ぼくのように法律をきちんと守るよう雇用者側に主張することなしに、そのまま泣き寝入りして休業手当を諦めてしまうことがほとんどだ。その理由は一体なんだろうか。
まず第一の理由は、そもそも彼らが労働基準法や休業手当の仕組みについての知識がないことだ。ぼくも最初は労働基準法や休業手当のことなんて全く知らなかったが、大阪市がいきなり7日間のシフトをカットしてきたことに大きな違和感を覚え、色々とインターネット上で調べた結果それらの知識が身についていっただけのことだった。医者や看護師なんてほとんど医学の勉強しかしてこなかったのだから、法律のことなんて知らなくても当然と言えば当然だろう。しかしそれが雇用者に「医療者たちはどうせ社会常識を知らないのだからこちらの都合のいいように取り扱ってやろう」と見下させることを助長させてしまっている可能性はなきにしもあらずである。そのような見下しが、医療者には労働基準法を遵守せずに休業手当を支払わなくていいという横暴な態度へと繋がってしまっているのではないだろうか。
また第二の理由としては、労働基準法や休業手当のことを知ってはいるものの、権力者や目上には逆らわない方がいいと信じ込んでいるから、泣き寝入りをしているというパターンも散見される。ぼくたちは特に社会的な力があるわけでもない、たかが雇われているだけの弱小サラリーマンのような人間だ。そのような卑小な存在が、雇用者という権力者もしくは目上に向かって自らの意見を主張するなんておこがましいという空気が、この日本社会には蔓延しているのだ。これはまさに儒教的観念を国民に植え付けることによって、目上に逆らうことをさせず、自分の意見さえ主張しない従順で大人しい思考停止した部品のような人間たちを大量生産させることに成功している証だろう。
しかしぼくは常々思っているが、権力者や目上に向かって自分の意見を述べることが果たして”反抗的態度”なのだろうか。それはただ自分の意見を積極的に”主張”しているだけに過ぎない。ぼくたち人間はひとつの自我を持ちながらこの人生を生き抜いていくのだから、自分独自の独特な意見を持っていて当然だ。その意見を主張し表現することが、たとえそれが権力者や目上の意見に反するものであっても、なぜ”逆らいの行為”として悪行のように見なされなければならないのか、ぼくには理解できない。誰もが自分の感性により生み出された自分の意見を持ち、それを自由にお互いに表現し合っていいはずだ。そしてそれぞれの意見の多様なぶつかり合いがさまざまな新しい形の意見を生み、統合したり消滅したりして、やがては誰もが不満を抱くことの最も少ない均衡の世界が形成されるのではないだろうか。
理路整然とした自分の真っ当な意見を権力者や目上に向かって主張することが”反抗”であると自分自身で感じられるなら、それはあなたが知らず知らずのうちに愚かなおそれを植えつけらている証である。自分の独特な意見を持ち、それを主張し表現することは、生命としてまともな素晴らしい行為だ。真理の世界には目上も目下もあるわけがないのだから、どのような人間へとあなたが自らの意見をぶつけることになろうとも、それは生命としての美しい表現であり、”反抗”にも”反逆”にも”抵抗”にも決してならない。それはただ、あなたがあなた自身を真っ当に表現しているだけのことだ。人間社会から注がれる愚かな植えつけや洗脳に、心を惑わされてはならない。
・権力者や目上や上司に逆らったら報復を受け、二度と仕事をもらえなくなるというのは本当か?
日本社会において医者や看護師や会場スタッフが泣き寝入りをする理由は、実はこの第二の理由が非常に大きな割合を占めているのではないだろうか。
ぼくが大阪市のシフトカットに違和感を覚えて色々と調べた結果、労働基準法と休業手当の知識を獲得したので、実家でご飯を食べているときに「大阪市が休業手当を支払ってくれないから労働基準法に則って支払ってもらえるように労働基準監督署に相談しようと思う」という世間話をしたら、父親に「そんなことをしたら大阪市から二度と仕事をもらえなくなってしまうからやめた方がいい」と返された。これこそまさに空気を読んだほうがいい、協調性を保った方がいい、波風を立てない方がいい、たとえ法律的には自分が正しくても権力者や目上には決して逆らわない方がいいという、典型的日本人的思考法の結晶だろう。ぼくは自分を作った親がこのような意見を述べることをとても恥ずかしいと感じた。
また大阪市案件で年配の看護師と働いていた時にも、シフトカットされたことや休業手当の話題になった際に「労働基準監督署になんか言わない方がいい、見ていなさい、今後大阪市から仕事を絶対にもらえなくなるよ」と脅された。まさにこのような思考回路こそが、年寄りが長年の社会的経験によって生み出した世渡りの方法なのだろう。経験豊富な彼らは世の中というものがどういう仕組みで回っているのか、どのように立ち回るのが賢い生き方でどのようにふるまうのが楽で安易で生き易いのかを、社会経験の乏しい若者のぼくに教えてくれているのだった。
そしてこれこそが、医者や看護師や会場スタッフが休業手当の権利を主張しない最大の理由だ。みんな、次の仕事をもらえなくなることが怖いのだ。ほとんどの人間は雇われて労働して、給料をもらわないと生きていけない。雇われなくなったら一体どのようにしてご飯を買ったり、衣服を買ったり、家賃を支払ったりすればいいのだろう。雇われなくなることを、仕事をくれないこと、給料をもらえなくなることは、すなわちこれ以上は人間らしく生きられないことを意味する。だからこそ誰もが次の仕事をもらうことに必死になり、仕事をもらえなくなる可能性のある行動はなるべく慎むようにと、恐怖を植え付けられているのだ。
・ぼくは二度と仕事をもらえないことを覚悟の上で、雇用者へ自らの意見を主張した
ぼくだって思慮の浅い方ではないので、大阪市が休業手当を1円も支払ってくれないことに関して労働基準監督署に相談する際には、もちろん大阪市からもう二度とコロナワクチンバイトの仕事をもらえないことを覚悟した。仕事をもらえなくなってもいいから、きちんと労働基準監督署に訴え出ることが自分の中でとても大切な行為のように思われたのだ。それは自分の大切な人生の時間をきちんと大阪市案件のために確保していたのに、そのような従順な心を1円も支払わずに踏みつけにする大阪市のその腐った根性や体質に根源からの怒りを覚えたからだった。
別に7日間のシフトをカットされて、その分の70万円の給料が惜しかったわけではない。医者なんだから70万円くらい、よそで働けばすぐに稼げるのだ。そのようなはした金が問題だったわけではなく、生きている貴重で大切な生命の時間や、人間や世界のためにまっすぐに働こうとする人間らしい気持ちを、無造作に踏みにじるようなその態度を許してはならないと直感で感じられた。そのような腐敗の精神が後世へと引き継がれてしまっては、これから先この日本で生きていく純粋な多くの魂さえ穢されてしまうだろう。ぼくの怒りは70万円をもらえないことによる大阪市へと向けた個人的で卑小な怒りではなく、もっと壮大で人間社会や世界へと向けた純粋で根源的で普遍的な怒りだったのだ。
・雇用者に逆らった後も、ごく普通に仕事をもらうことができた
もうシフトを入れてくれないだろうと覚悟してぼくは労働基準監督署に大阪市のことを訴えたが、それから先も現在に至るまで、大阪市はぼくに大量のシフトを入れてくれた。まるでぼくが労働基準監督署に相談したことなんてなかったかのように、ごく普通に大阪市でコロナワクチンバイトに今でも従事できている。また西宮案件でも同様のことが起きた。休業手当を支払ってほしいと粘り強く雇用者に主張した際には、ややこしい医者だと見なされて二度と西宮会場では働けないことも覚悟の上だったが、その後も西宮案件のコロナワクチンバイトを申し込むとあっさりと普通に採用されてしまった。
つまりぼくの大阪市や西宮案件の経験から言えることは、たとえ権力者や目上に逆らった行動を起こしたとしても、その後もめちゃくちゃ普通に仕事をくれるということだ。父親や年配の看護師がぼくに脅してきたように、逆らったからといってその報復として仕事をくれなくなるということは決してなかった。社会経験豊富な年寄りの意見というのも案外あてにならないものだ。もちろんどんな場合でもぼくのケースのようにうまく事が運ぶとは限らないし、ぼくが医者という希少な職業だからクビにしたくてもできないという事情があるという可能性だってあるだろう。普通のサラリーマンならば、本当に上司に逆らったら意地悪で仕事をくれなくなるということもあるのかもしれない。
・革新的な若者、保守的な老人の風景
今回ぼくが学んだことは、ぼくのような未熟な若者が社会を革新させようと無鉄砲に反逆し、経験豊富な父親や年配の看護師のような老人がそれを抑圧しようと必死になり世界を変えてはならないと保守的にふるまうということだ。きっとどんな時代においても、どんな国であっても、おそれを知らない若者が革新的に行動を起こし、おそれ過ぎている老人たちが保守的にそれを抑え込もうとし、その2つの勢力が拮抗しながら営まれているからこそ世界は、とてつもないスピードで移り変わることもなく、だからと言って全く変わらないということもなく、少しずつ少しずつ形を変えていくものなのかもしれない。それこそが浮世の移り変わりの情緒ある風景なのだろう。