学校の勉強を頑張りいい大学いい会社に入って高収入になれば幸せな人生を送れるというのは本当か?

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高収入になって得たものは、夜も眠れない人間らしからぬ環境労働だった!

学校の勉強を頑張りいい大学いい会社に入って高収入になれば幸せな人生を送れるというのは本当か?

・いい大学いい会社に入り高収入になれば幸せになれるというのは本当か?
・ぼくは勉強を頑張り、医者になった
・少ない時間で高収入を獲得してこそ、幸せで理想的な生活はもたらされる
・ぼくは勉強を努力したのだから、その見返りに効率的にお金を稼げる労働を期待した
・ぼくが勉強を頑張った結果として期待した労働と、実際の医者の労働環境とのギャップ
・勉強を頑張ればその高い能力や知識の分、より多くの労働を課されることも多々ある
・理想的で幸福な人生を手に入れるためには、勉強を頑張るだけではなく積極的な取り組みが必要
・どのような道に幸せを見出そうとも、学校の勉強はきちんとこなしておくべきだ

・いい大学いい会社に入り高収入になれば幸せになれるというのは本当か?

クレヨンしんちゃんの「風間くんの息抜きだゾ」という回で、毎日塾へ通っている風間くんが疲れたので今日は塾を休みたいという話がある。「ぼくだってたまには息抜きしたい」と言う風間くんに対し、風間くんのママは「でもね、いま頑張らないといい小学校へ行けないの!てことはいい中学、いい高校、いい大学に行けないってことよ!それはつまり、一流の会社に入れないってことなのよ!だから塾を休んだりしたら大変なことになるの!わかるでしょう?」と言って説得するというシーンがある。

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この意見はほとんどの教育熱心な日本の親の意見を代表しているようでとても印象的だ。つまりは子供が勉強を頑張って、いい成績をとり、いい大学にまで入るのは、一流の会社に入って安定した高収入を確保するためだということだ。まさに人生はより多くの金を稼いだ者が勝者であり、たくさんの金儲けをすることこそが人生の目的であり幸福だという、高度経済成長期前後の日本の人生観を表現しているようでもある。(「風間くんの息抜きだゾ」はまだひまわりが生まれる前の90年代前半の作品)

しかし本当に人生は、より多くの金儲けをするためにあるのだろうか。一流の会社や高収入を得るためにこそ人生があり、それまでの小学校、中学、高校、大学の勉強というものは、全てより多くの金儲けをするための修行の期間、準備期間に過ぎないのだろうか。小学校、中学、高校、大学で勉強を必死に頑張って金儲けの準備をし、その結果として一流企業で金儲けをするという労働期間を経て、気がつけば老後となり死ぬというのが、理想的な人生だろうか。

 

 

・ぼくは勉強を頑張り、医者になった

ぼくは中学高校と勉強が得意で、6年間ずっと成績学年1位だった。小学校や大学でも得意だったのかもしれないが、小学校や大学は順位が出ないのでよくわからない。中学高校となぜかわからないが勉強が得意だったので、国立医学部医学科へ進学することができた。きちんと受験勉強してきた人の間では国公立医学部医学科が超難関だということは周知の事実であり、はっきり言ってきちんと勉強してきた人ではないとなかなか受からないだろう。

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そしてそのまま医者となり、病院で働くこととなった。医者といえば世の中でも高収入で安定した職業として有名であり、ここまでは風間くんのママの言う通りならば「いい大学に入っていい会社に入り高収入を得る」という理想的な人生を手に入れ、幸福な生活を営むことが許されたも同然だろう。しかし人生の幸福というものはそう単純ではないことを、ぼくは自分の人生を通して実感した。

 

・少ない時間で高収入を獲得してこそ、幸せで理想的な生活はもたらされる

そもそも幸せな人生とは何だろうか。衣食住を保ちながら生きて行くには大抵の場合お金が要るので、お金を稼ぐ必要があるというのはまぁ本当であるとして、重要なのはそのお金の稼ぎ方である。幸せな人生を送るためには、どのようなお金の稼ぎ方をすることが理想的だろうか。「いい会社や安定した組織に入っており、高収入であれば幸せな人生だ」というのではあまりにも浅はかな考えである。重要なのはお金を稼ぎ出すその過程ではないだろうか。

1日に1時間労働して月に30万円もらうのと、1日に8時間労働して月に30万円もらうのとでは、明らかに前者の方が効率的だし、多くの人にとっての理想的なお金の稼ぎ方だろう。1日に1時間しか労働しなくてもいいのなら人生が労働に束縛されることもなく、他の時間で自分が本当にやりたいと心から願うことやその準備に専念することができるから、心が豊かな人生を送れる可能性が格段に高い。1日に1時間しか労働しないなんて楽しすぎだとか怠け者だとか言われそうだが、効率的な労働でお金を効率的に稼ぎ出すに越したことはないだろう。

 

・ぼくは勉強を努力したのだから、その見返りに効率的にお金を稼げる労働を期待した

ぼくは中学高校とその成績から勉強を頑張っている人だと見なされていた。そしてみんなが勉強を頑張っていると賞賛してくれているものだから、このままいけば何か人生でご褒美がもらえるのではないかと期待していた。みんなが賞賛されることをしていれば、賞状や賞金や景品など、何かいいものをもらえるのは世の中の常である。学生の本分は勉強であり、その勉強でよい結果を残しているのだから、何か将来いいことが起きるのだろうと予感せずにはいられなかったのだ。

ぼくが想像したいいこととは、労働に関して具体的に言えば、効率的にお金を稼ぎ出すことだった。勉強を頑張っているのだから、いい会社に入ってたくさんのお給料をもらうだけではなく、少ない時間でたくさんのお金をもらえるような、そういう効率的な労働と共に歩む日々を期待していたのだ。そしてそれこそが、豊かな人生を歩むための条件だろうという予感が心のどこかに常にあった。そしていい学部、いい職業へ就き、ついに労働に従事する時がやってきた。医者というのは誰もが勉強を頑張ってきた人たちだ。本人の自覚は別としても、客観的に見て勉強をサボりながら医者になれるということは絶対にない。医学部に入るのも超難関だし、医学部に入ってからも他の学部とは違い、授業と実習とレポートと試験の連続の6年間だからだ。

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勉強を頑張ってきた人々はその見返りやご褒美として、効率的にたくさんのお金が手に入るような仕組みへと導かれるのだろう、そうでなければ頑張る意味なんてないではないか、きっとたくさんお金を稼いでたくさん自分の時間や余暇を持てる生活が待っているはずだと期待した。医者が高収入であるというのは、まぁ本当のことだろう。最初の初期研修医の頃はそうでもないが、少し上になると給料が2倍になって、こんなにお金なんて要らないのにと感じることもしばしばだった。しかし問題はお金を稼ぎ出すその効率である。なんと医者は夜中寝ることすら許されず、そして次の日には眠らずに1日中ずっと働かなければならないという過酷な労働環境の中でお金を稼ぎ出していたのだ!

 

・ぼくが勉強を頑張った結果として期待した労働と、実際の医者の労働環境とのギャップ

実際に医者として働いてみて、この事実はぼくにとって衝撃的だった!これが勉強を頑張った人に与えられるご褒美のような生活だとしたならば、人間は何のために学生時代に勉強を頑張るのだろうと疑わずにはいられなかった。そこにはぼくの思い描いていた幸せな生活とは真逆の生活が営まれていた。すなわち高収入であることに変わりはないが、少しだけ働いて収入を稼げる効率的な労働体制ではなく、ものすごく長い間働くからこそ高収入を得られるという非効率的な労働風景だったのだ!

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たくさん働いたならたくさんお金をもらえて当たり前では?!とぼくは疑わずにはいられなかった。医者は一睡もできずに夜も働いて、さらに入院患者がいるから土日すらなく、ぼくは夏休み以外は1年中ずっと病院に通っているという労働環境に身を置いた。果たしてこの労働が、勉強を頑張ってきた人に対して与えられるご褒美になるのだろか。もしかしてぼくが世間知らずなだけで、同じ時間だけ働いて給料が半分だとかいう低収入の人々も確かに世の中には存在するのかもしれない。しかしぼくがこの記事で焦点を当てたいのは、勉強をきちんと頑張ってきた人々の労働についてだ。

勉強を頑張ってきた結果として与えられた医者という職業が、こんなにも非効率的なお金の稼ぎ方をするものだとは驚きだった。そしてその労働環境は、ぼくの思い描く幸福な生活とはかけ離れていた。ぼくはこんなに高収入なんかでなくてもいいから、もっと効率的な、労働に縛られないような生活を望んでいたのだった。そしてぼくは何よりも健康的で健やかな生活を望んでいた。夜に一睡もできない生活なんて、自分に幸福な生活をもたらしてくれるとはとても考えられなかった。

 

・勉強を頑張ればその高い能力や知識の分、より多くの労働を課されることも多々ある

人は何のために学生時代から勉強を頑張るべきなのだろか。高収入になるためだったら、それは正しいかもしれない。安定した職業を確保したいのならば、それも叶うだろう。しかしそれが幸福な人生を意味しているとは限らないというのは、結構重要なポイントではないだろうか。思い描く幸福な生活とは、人によって異なる。ぼくの中で幸福な生活とは、労働にほとんど束縛されない、効率的な労働環境の中でお金を稼ぎ、きちんと休息を取りながら健康的な日々を送ることだった。勉強を頑張って得た医者という職業が、それとは真逆だったことに着目せずにはいられない。

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人間は勉強を頑張れば頑張るほど、効率的な労働環境を約束されるわけではない。人間は勉強を頑張れば頑張るほど、その能力や知識の高さに応じて、優れた人々にしかできない限られた仕事を長時間任されて、その結果、非効率的な労働に従事する可能性だって高いのだ。もっと簡単に言えば、学生時代に勉強を頑張っておけば、そのご褒美として、楽な人生が約束されそうな気がしてしまうが、決してそんなことはなく、能力や知識が高くなればなるほどそれに応じて多くの労働を任されて、勉強を頑張っていない場合と同じ程度に、むしろそれ以上に人生の時間を労働に奪われる可能性だってものすごく高いのだ。

 

 

・理想的で幸福な人生を手に入れるためには、勉強を頑張るだけではなく積極的な取り組みが必要

労働の中で自分高い能力を社会のために使えるということに喜びや幸福を感じるのならばそれでもいいかもしれないが、労働はただ単にお金を稼ぐ手段だという思想を色濃く持っている人からすれば、ただ単純に勉強を頑張るだけでは楽な人生、効率的にお金を稼げる人生は巡ってこないだろう。

思考停止していい大学、いい会社、高収入などとバカのひとつ覚えのような理論を信仰しているだけでは、ただ単に権力者に都合の良い非効率的な労働環境へと巻き込まれるだけであり、本当の幸福な生活を見出せない。

学生時代に勉強を頑張ったなら、努力して身につけたその高い思考能力を駆使し、応用して、もっと効率的な労働環境の中にどうやったら入り込めるのか、もしくはどうやったら効率的な労働環境を自分で作り出せるのかを積極的に考えていく必要があるだろう。

 

 

・どのような道に幸せを見出そうとも、学校の勉強はきちんとこなしておくべきだ

まとめると「学校の勉強を頑張り、いい大学いい会社に入り高収入になれば幸せになれるというのは本当か?」という疑問を解決するときには、まず自分にとっての幸せとは何かを十分に考える必要があるだろう。その上で自分がどのような人生の経路を辿っていくのか思考停止せずに積極的に考えていなければならない。

しかし自分にとっての幸せの形がどのようなものであろうとも、学校の勉強を頑張ることが重要であることに変わりがないというのが、ぼくの意見だ。こういう「本当にいい大学に入っていい会社に入って意味あるの?」という記事を見ていると、勉強を頑張ってもいなければいい大学にも入っておらず、いい会社にも入っていない人の意見や主張が目立っている。しかし彼らの意見に果たして大きな説得力があるのだろうか。もしかして勉強をしなかった自分を正当化するためだったり、いい大学やいい会社に入れなかったコンプレックスから自分を慰めるために、勉強なんて頑張っても意味がないと負け惜しみを言っているだけの可能性も十分にあるのではないだろか。そのような自己愛のための主張では、説得力に欠けるだろう。

本当に参考になるのは、実際に学生時代にきちんと勉強を頑張って、いい会社に入ったりいい職業に就いたりして高収入となり、その上で果たして幸せになったのかという実体験を加味した人の意見ではないだろうか。そのひとつとしてここでは、医学部に入り医者になったひとりの人間としての意見をまとめたものである。

どのような形を幸せと言うかは人それぞれとしか言いようがない。大切なのは自分自身の心とごまかさずに対話して、自分にとっての本当の幸せを見極めることだ。本当の幸せは別のところにあるのに、自分には叶わなそうだからとか、自分には無理そうだし努力も足りないからと言って、自分が思い描く本当の幸せを捻じ曲げて、自分をごまかして別の幸せを幸せだと思い込み生きるべきではない。そしてそれがどのような形であろうとも、どのような幸せを目指して進むべき人生であっても、学校の勉強というものは必ずその幸せの実現を助けてくれるだろう。

もちろん学校の勉強だけでは到底本当の幸福へとたどり着くことは難しいが、本当の幸せへと踏み出すための足がかりとなったり、手がかりとなったり、基本的な道しるべとなってくれるのは学校で得た万遍のない知識と教養である。知識と教養は持っているに越したことはなく、例えば人生で行き詰まって先が見えなくなったとしても、知識と教養をきちんと宿してきた人たちはそれらを応用し対処法や活路を格段に見出しやすい。知識と教養がなければ道に迷った時に、オロオロと戸惑い疲弊し狼狽して、自分が何をすべきかわからずに立ちすくむだけである。

また学校の勉強を習得しようと努力した際に養われる集中力と持続力は、どのような幸福を目指す人生であっても有効に活用することができるだろう。何事に関しても辛抱強く持続することは大事で、才能というのは持続力を指すと言われることもあるほどである。

森羅万象様々な物事に興味を持ち、様々な分野において知識と教養を深めておけば、数多くの選択肢やチャンネルから必要な情報を的確に取り出すことができ、それぞれを網羅しつなぎ合わせ、あなたが豊かに生きていくことを助ける貴重な示唆となるだろう。知識と教養のない者は物事を深く考察することや、適切な情報をうまく組み合わせることができずに、世の中の本質を理解しないままで都合よく操られ、支配されていく可能性が高くなる。愚かな人生を送らないただそれだけのためであっても、学校で学ぶ知識と教養は決して無駄にはならないのだ。愚かであれば自分が愚かであることが見えないので、余計に愚かな人生を送らないことは困難となる。愚かな人生を送らないというのは、意外と準備が必要で大変なことなのだ。

 

 

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