マスクをしない人は感染を広げる悪人で、マスクをしている人は感染拡大させない常識人だというのは本当か?

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マスクをしないでじっと黙っている人と、マスクをしながらペチャクチャくだらないことを喋っている人間の、どちらがコロナを広げているのだろうか。

マスクをしない人は感染を広げる悪人で、マスクをしている人は感染拡大させない常識人だというのは本当か?

・新型コロナウイルス感染経路は、飛沫感染や接触感染
・新型コロナウイルス感染予防において、「喋るな」と誰も言い出さない不思議
・学校で言われ続けた「私語厳禁」「雑談禁止」
・マスクをしないで黙る者、マスクをして無駄話をする者
・浜崎あゆみの「Endless sorrow」のミュージックビデオは”会話禁止”の世界観

・新型コロナウイルス感染経路は、飛沫感染や接触感染

新型コロナウイルスは、今のところ飛沫感染や接触感染だと言われている。飛沫感染とは、人間が喋ったり咳をしたりくしゃみをしたりした時に体外へと排出された小さな水滴の中にウイルスが含まれており、その水滴を呼吸によって体内に取り込むことで他者へと感染させるという経路だ。またその水滴がドアノブや机など、ぼくたちが普段触れる生活用品に付着してしまい、他の人がそれを触ってから自分の粘膜に触れてしまった場合も感染し、これを接触感染と呼ぶ。

つまり会話や咳やくしゃみなどで水滴を世界へと発散させないことが新型コロナ感染予防の最重要項目であると見なされ、ぼくたちは三密となる状況下ではマスクを必ずすべきであると言われている。また飛沫のついたものに接触した手で自分の粘膜を触ってしまうことがないように、こまめな手洗いが推奨されている。

 

 

・新型コロナウイルス感染予防において、「喋るな」と誰も言い出さない不思議

ぼくが最近不思議に思っていることは、マスクをしろ、手を洗えなどと声高く誰もが世の中で主張しているのに対し、「喋るな」とは誰も言い出さないことだ。新型コロナウイルスは会話や咳やくしゃみによって水滴が飛ぶことにより感染を広げる。咳やくしゃみというのは病状や生理現象だから防ぎようがないとしても、無駄な会話をするなと推奨しなるべく飛沫を飛ばさないように努力することは新型コロナウイルスの感染拡大予防になりそうな気がするのに、誰も無駄な会話をするなと主張しないのはなぜだろう。

人間はペチャクチャとよく会話をする生き物だ。周囲を見渡せば、言葉を用いて会話している人間たちで溢れている。ビジネスの重要な会話をしている人もいれば、人生における哲学を真剣に語り合っている人々もいることだろう。しかし世間を観察していると、人間の会話というのは十中八九どうでもいいくだらない会話ばかりである。今しなくてもいい会話、どうでもいい会話、時間の無駄になっている会話、生産性のない会話、これらの会話を我慢し飛沫を飛ばさないように留意することで、人間はどれほどの新型コロナウイルスの感染拡大を防げるのだろうか。

 

・学校で言われ続けた「私語厳禁」「雑談禁止」

ぼくたちは学校にいる時にしばしば「私語厳禁」「雑談禁止」などと厳しく言い渡されたものである。無駄な会話などせずに授業に集中し、課題を遂行しろという意味だ。確かに無駄話などせずに授業に集中した方が有意義な時間の過ごし方だが、学生たちは学生同士のどうでもいい会話こそが青春の楽しみであり、最も重要な行動であると見なしている傾向があるので、隙さえあればなんとかして私語や雑談をしようと努力するものだ。無駄話をさせずに有意義な時間を過ごさせたい先生と、どうしても無駄話をしたくてたまらない学生の心は、いつも対立している。

しかしあれほど先生から言われた「私語厳禁」「雑談禁止」という言葉も、学校を卒業して大人になってしまってからはとんと聞く機会がなくなってしまった。コロナ禍の今こそ、最も効率的に新型コロナウイルス感染拡大を予防するために、無駄話を続ける大人たちに向かって学校の中のように「私語厳禁」「雑談禁止」と言い渡してはどうだろうか。なぜ「マスクをしろ!」「手を洗え!」という命令は日本中のどこでも見ることができるのに、飛沫を飛ばす根本原因となる「無駄話をするな!」「私語を慎め!」という命令を誰も下さないのは不思議なものであると感じる。

 

 

・マスクをしないで黙る者、マスクをして無駄話をする者

今の世の中では、街中でマスクをしなければ罪人であるかのように見なされる。どんな個人的な健康的事情があろうとも、人混みの中でマスクをしない者は悪人であると、多くの日本人が決めつけているに違いない。しかしよく考えてみれば、マスクをしないでずっと黙っている人間と、マスクをしながらペチャクチャと無駄話を繰り返しマスクを貫いて飛沫を世界へと発散させている人間の、一体どちらが感染拡大に一役買っているというのだろうか。

人間たちは安直に単純に、マスクをしていない奴は人でなし、マスクをしている自分は常識のある偉い人物だと思考停止して世界に裁きを下しているが、マスクをしている人間がマスクをしていない人間よりも感染拡大を進めていないなどとは決して言えないのではないだろうか。善人か悪人かなんて、決してマスクという物質によって単純に裁いてはいけないのではないだろうか。マスクをしていなくても決して喋らず、飛沫を飛ばさず、ウイルスの感染拡大に加担していない者もいれば、マスクをしていても馬鹿馬鹿しい雑談や私語を繰り返し、ウイルスを拡大している者もいるに違いない。

 

 

・浜崎あゆみの「Endless sorrow」のミュージックビデオは”会話禁止”の世界観

浜崎あゆみの「Endless sorrow」のミュージックビデオの内容は、”会話禁止”の世界観だ。MVの冒頭では会話禁止の世界であるにも関わらず、自由に歌を歌いあげようとした黒人が警察に逮捕されている。なぜ2001年にこのようなMVを残したのかはよくわからないし、「Endless sorrow」の歌詞も決してそんな感じの世界観ではないので不思議な印象だ。

しかしコロナ禍の今こそ、この浜崎あゆみの「Endless sorrow」の中のように”会話禁止”にしてしまったならば、飛沫もあまり飛ばずに新型コロナウイルスも収束しやすくなるのではないだろうか。

けれどそんなことは無理だと誰もがわかっている。飛沫から感染するとわかっているのに誰も「私語厳禁」「雑談禁止」と叫ばない世界だ。きっと人間には言葉を使って会話しなければ生きていられないというような本能がプログラムされているのだろう。どんなに無駄な会話でも、どうでもいい会話でも、生産性のない会話でも、飛沫を飛ばせば感染が拡大するとわかっていながらも、我慢できている人間などひとりもいない。人間は無駄な会話、生産性のない会話やバカバカしい言葉の中にこそ、なんらかの生きている特別な意味を見出しているのかもしれない。

 

 

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