絆や繋がりが人間にとって大切なものであるというのは本当か?

 

絆の別名を、しがらみという。

絆や繋がりが人間にとって大切なものであるというのは本当か?

・人が生き延びるためには繋がりが絶対に必要だ
・美しい絆を大切にすべきだという教え
・簡単には別れられない旅人たち
・人間の苦しみのほとんどは人間関係に由来する
・絆や繋がりが人間にとって大切なものであるというのは本当か?
・孤独へと飛翔する勇気

・人が生き延びるためには繋がりが絶対に必要だ

人はひとりでは生きていけない。そんなことは日常生活にちょっと思いを馳せればわかってしまうことである。ぼくは米の作り方を知らないから、お米を作っている農家やお米やさんに頼らざるを得ない。ぼくは服の仕立て方を知らないから、好きなデザイナーさんや好きなセレクトショップを選択する。ぼくは家の建て方を知らないから、大工さんにお願いするしかない。

よく考えれば自分という人間の能力はかなり低く、毎日何気なく接している食べ物や着るもの、住むための道具やこのブログを書くのに必要なパソコンに到って、何ひとつ自分で作り出せるものなどない。ぼくはきちんと勉強をしてきた種類の人間で、中学も高校もずっと学年で1位の成績を修めてきたのに、どうしてこんなに何も知らないしできないのだろう。

いくら学校の勉強の知識を獲得したところでまともに米を作ることもできなければ、自分が着る服ですら完全に作ることができない。ましてや家やパソコンなんて作れと言われても無理である。せっかく医者にまでなって薬の使い方や副作用はわかるけれど、じゃあここで最初から薬を作ってくださいはいどうぞ!と言われても絶対に無理である。医者は薬をただ製薬会社から買ってそれを使うだけであり、薬をどのように一から製作しているかの詳細なんて全然知らない。

全てのものづくりの基礎は学校の勉強に根ざしているのかもしれないし、きちんと意識を持って頑張れば米作りや服作りの能力くらい身につくのかもしれないが、わざわざお米やさんや服屋さんで買えるものを一から自分で作ろうとかそういう気も起きないのが正直な気持ちだ。ぼくたちは自分で能力を持ち合わせていなくても、他人と繋がり合うことにより金銭や心を媒介とすることで、自分に欠如した部分をお互いに補い合いながら、人間として文化的な生活を営むことが可能だ。社会的な動物としての人間が生きていくには、他者との繋がりが絶対不可欠だ。

 

 

・美しい絆を大切にすべきだという教え

「絆」というものは大切なものだと、親や大人やテレビたちから教えられる。家族同士の愛や友情、恋人との心の触れ合いなど、人々はその良好な関係性を大切に守ること、美しい絆を育んでいくことを通して、素晴らしい人生を送ることができるのだと信じられている。逆に絆を大切にしない者、人間関係をないがしろにしがちな人には、仲間外れにされて孤独な未来がやって来る傾向があるだろうと噂される。

人々は絆を大切にすることによって、人間同士の関係性を守り育て続けることによって、上記のように助け合い補い合い、この浮世を上手に生き延びていくことが可能だ。突き詰めて言ってしまえば、絆を大切に守った方が生存として利益になるのであり、都合がよく、得であるということを本能的に人間んたちは察知しているからこそ、絆は大切だという道徳を生み出したのかもしれない。

 

・簡単には別れられない旅人たち

世界で旅をしていて思うのは、旅人同士の絆の強さだ。昔は旅人同士でどんなに仲良くなっても、知らない異国の者同士もはや今後会えることもないだろうと考え、二度と会えないことだろうと潔くさよならをし、別れを惜しみ合い、しかしだからこそ忘れられない一瞬のような美しい思い出として永遠に残り続けるような旅に独特の出会いがあったのだろう。

しかし今の時代は違う。インターネットとSNSが発達したことにより、IDを交換することでどこにいても連絡を取り合うことが可能だ。ぼくたちはもう二度と会えないという運命を悲しみ、だからこそ相手を大切に思うということすら許されず、すかさずにfacebookやinstagramのアカウントを交換し、即座につながりあい、今は日本にいても中国や香港や台湾、タイやインドネシアやマレーシア、はたまたヨーロッパや南米からまでメッセージが届き、気軽にそっちの国のコロナウイルスはどうかと訪ね合える環境に身を置いている。

絆を持たないということ

ぼくたちはインターネットによって、素晴らしい絆を与えられた。そして同時に、絆を持たないことをゆるされなくなってしまったのだ。

 

・人間の苦しみのほとんどは人間関係に由来する

人には様々な辛いことや悩みがある。しかし究極的に言って、人間の悩みのほとんどは人間関係に由来するのではないだろうか。上司との関係がうまくいかないのに逃げ出せない、恋人の気持ちが近くにいればいるほどにわからない、思いもよらないお金のトラブルで揉めている、周囲の人から悪い噂をされているような気がする、家族なのに自分の気持ちを全くわかってもらえずに孤独感を感じているなど、人間関係の悩みというのは本当に多い。

人間関係、人同士の繋がり、絆とは、人間の生活に必要不可欠であると同時に、人間の苦しみの大半を担っている悪事でもある。そのような「絆」を、果たして手放しで賞賛し素晴らしいものだと決めつけてしまっていいのだろうか。それは恵みの源泉であると同時に、苦しみの根源でもあるのだ。

絆を持たないことは孤独として嫌われる。人間関係に乏しい人は社会性がないと見下される。いずれも人間同士の繋がりが薄いことにより、生存できる可能性が低下していることを憂いているのだ。しかし多すぎる絆や過剰な人間関係が、人間に大きな災いをもたらし苦しめる傾向があるということにも、大いに注目すべきである。

 

 

・絆や繋がりが人間にとって大切なものであるというのは本当か?

ぼくたちは絆が強調されるあまり、たくさんの人と繋がった方がいいのだ、友達は100人いた方がいいのだ、facebookの友達も多ければ多いほどいいのだと信じ込みがちになるが、必要以上の人間関係なんて本当に必要なのだろうか。自分自身のことすら理解するのために膨大なエネルギーと時間がかかるこの人生において、他人のことに構っていられる時間なんてごくわずかである。

ぼくたちは誰もが望まずともこの”自己”という存在を与えられて、その正体が何なのかを見極めるために必死に生き抜いていかなければならないというのに、むやみやたらと広がり続ける複雑で濁り始めた他人とのネットワークにかまけて、人生の本来の目的を見落としてしまっていたのでは本末転倒である。ぼくたちが追い求めるべきものはいつだって濁世における人間集団の渦ではなく、清らかで孤独な自分自身という聖域なのだ。

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さようならと言うべきときにさようならと言えない現代は、もはや呪いである。本当は断ち切るべき縁を断ち切れずに、いつまでもインターネット上で繋がり合い関わり合い、一瞬の縁だからこそ美しい思い出として過去に残るべきはずだったものが長い人間関係の果てにやがて濁り始め、絆によって心が絡め取られ巻き取られ、絆と共に心まで腐敗を始めてしまってからではもう遅い。

「絆」とは本来「束縛」「しがらみ」という意味であり、決して美しい言葉ではない。人間の集団の中に溶け込みながら、悟りを開いた者はない。誰もが、人間は絶対的に孤独なのだと絶望し、諦め、その絶望という起点から始めた人生の果てで、やっと一筋の光を見つける。人間の絆が決して美しいままで終わらないということを、人間関係がやがて残酷に腐敗する定めにあることを、古代の人々はよく見抜いていたのではないだろうか。どんなに永遠を誓い合っても、紆余曲折の果てにその一生だけはなんとか寄り添っても、たかが「死」という簡単な出来事によって、引き裂かれるのが人間同士の絆の運命だ。

 

 

・孤独へと飛翔する勇気

ぼくたちが今の時代に求めるのは、新しい繋がりや絆の作成機械ではない。むしろ過剰な繋がりは人々の心を疲弊させるばかりだ。昔は携帯電話もなく簡単には繋がり合えないからこそ、責められることもなく適度な距離感を保ちながら築き上げられた人間関係も多くあったのではないだろうか。過剰な繋がりや絆は、人々に悪意や苦しみを与える。

ぼくたちが今必要としているのは、むしろ逆の発想ではないだろうか。絆を薄める力、孤独を厭わない勇気、孤独へと飛翔できる翼。ぼくたちが本当に必要だと初めから心でわかっていたものは、誰ひとり寄り付かない縁切りの寺だったのだ。

 

 

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