スネ夫は嫌味な性格で、いつも自慢話ばかりしているというのは本当か?

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スネ夫は嫌味な性格で、いつも自慢話ばかりしているというのは本当か?

・スネ夫といえば自慢話ばかりする嫌味なキャラクター
・スネ夫は自慢話ばかりするからみんなから嫌われている
・スネ夫が嫌な奴だと思われるのは、スネ夫が悪いのか?
・スネ夫とのび太たちの貧富の差が、スネ夫を嫌味な性格へと仕立て上げしてしまう
・日本人の同調圧力が、ひとりだけ豊かなスネ夫を非難しみんなと同じ位置にまで引きずり下ろそうと努力する

・スネ夫といえば自慢話ばかりする嫌味なキャラクター

ドラえもんのスネ夫といえば、自慢話をするキャラクターとして有名だ。「スネ夫=自慢話キャラ」というのはもはや公式のように成り立っており、インターネット上ではスネ夫が自慢話をするときのBGMまでもが有名すぎて人気になってしまうほどだ。

スネ夫はいつものび太やジャイアンやしずかちゃんに家が金持ちであることや、高級車を買ったことや、芸能人のサインをもらったことや、まだ発売前の商品を手に入れたことや、休みに海外旅行をしたことなどを自慢している。のび太たちは内心それを嫌味な性格だと思いながらも、スネ夫が招待してくれたときなどには喜んでスネ夫の恩恵を享受している。

まさに金持ちであればそれを利用して上の立場になれるという、子供社会の中でも資本主義のシステムが発揮されていることを表している。

 

 

・スネ夫は自慢話ばかりするからみんなから嫌われている

ぼくが子供の頃からドラえもんを見てきて感じたことは、スネ夫は自慢話をすることによってみんなから嫌われているということだ。これに異論を唱える日本人は、おそらくいまい。アニメ全体の雰囲気からしても、他のキャラクターたちの感情を考慮しても、スネ夫が自慢話をすることによってみんなから嫌味だと思われ、嫉妬され、反感を買っているのは誰の目から見ても明らかである。

典型的な例で言うと、スネ夫はいつも夏休みに家族で海外旅行に行ったことを自慢していた。スネ夫がいつも海外旅行先として自慢しているのは、ハワイやフランスやスイスなどの豊かな西洋の国々だ。決して中国やタイなど物価の安いアジア系の国々へ行ったという自慢はしない。おそらくアジア系の貧しい国々だとのび太たちから羨ましがられるかどうか怪しいから、絶対に羨ましがられそうなイメージのよい、行くのにお金がかかりそうなヨーロッパ系の国々をスネ夫の旅行先として設定しているのだろう。この辺は昭和的な日本人の西洋コンプレックスが垣間見られて興味深い。昔の日本人にとっては自分たちよりも文化レベルの高そうな遠くの西洋の国々へ行くことが自慢とされたのだ。

ともかくスネ夫が旅行するのにお金のかかる西洋の国々へ旅行した思い出話を、海外旅行なんてできない家庭ののび太たちは羨ましく思い、嫉妬しながら聞くより他はない。のび太たちが悔しく思い、スネ夫が嫌われるのは当然の成り行きだろう。

 

・スネ夫が嫌な奴だと思われるのは、スネ夫が悪いのか?

ぼくも幼い頃はスネ夫は嫌なやつだと思いながらテレビを見ていた。それは子供達にそう思えと、ドラえもんのアニメの雰囲気全体が伝えていたからである。のび太もスネ夫を嫌味だと思っている、ジャイアンもスネ夫に嫉妬している、しずかちゃんもスネ夫にいい印象を持っていない、それならば見ている子供である自分も、スネ夫が嫌なやつだと思わざるを得ないだろう。

しかし大人になってから気づいたことは、スネ夫って実は全然悪い奴じゃないんじゃないかということだ。スネ夫は本当に、ハワイやスイスに海外旅行していたのだ。その思い出話を友達に聞かせて、一体何が悪いのだろう。スネ夫は本当に海外旅行をしたから、その素晴らしかった日々の思い出を詳しく友達に話しているだけだ。ハワイやスイスに行ったというのが嘘であるならばそれは虚言癖として問題だが、まさかそんなことはあるまい。スネ夫はハワイやスイスに行き、だからハワイやスイスの話をのび太たちにしていただけだ。

例えばこれが鎌倉や横浜や伊豆へ行ったという話ながら、それほど嫌味な自慢話だと捉えられなかったことだろう。まぁそれくらいの旅行はみんなするよねと聞き流されたかもしれない。しかしこれはおかしなことではないだろうか。鎌倉や横浜や伊豆へ行ったことを話すのは許されて、ハワイやスイスへ行ったことは自慢話として非難されるなんてどう考えても理不尽だ。どちらも自分の住んでいる場所とは違う場所へと旅行した経験談だというのに、片一方は受け入れられてもう片一方は嫌味な自慢話だと嫉妬されるなんてどう考えても理にかなってない話である。

スネ夫は行ったから行ったと言っているだけだ。もっと身近な例でいえば、山へ行ったとか、川へ行ったとか、スーパーへ行ったのと同じ感覚で、行ったことを行ったと話しているだけにすぎない。そんなスネ夫を嫌味ったらしい「悪者」と決めつけてしまう原因はどこにあるのだろうか。

 

 

・スネ夫とのび太たちの貧富の差が、スネ夫を嫌味な性格へと仕立て上げしてしまう

もちろん冷静に考えてスネ夫が悪いはずはない。行った場所へ行ったと言うだけの少年を悪者にしてしまうなんて、あまりにもかわいそうで理不尽だ。重要なのはスネ夫が海外旅行に行けるほどお金持ちで、のび太たちが海外旅行に行けないほど貧しくて、その貧富の差こそがスネ夫を「嫌味な性格」へと仕立て上げているのではないだろうか。

のび太たちがスネ夫と同じくらいの財力を持っていたならば、スネ夫の海外旅行の話を嫌味だと嫉妬するはずがない。自分たちも同じくらいお金を持っているのだから、頑張ればスネ夫と同じように外国へ行けるからだ。もしものび太たちも海外旅行へ行くような家庭ならば、お互いにどこの国がよかったとかあの観光地がよかったなどとスネ夫と教え合ったりして、建設的な情報交換の会話が可能かもしれない。スネ夫が嫌味な性格だとただただ憎まれるのは、のび太たちがスネ夫に比べて相対的に貧しい家庭に生まれて海外旅行に行けるはずもないからである。

しかし生まれつく家庭なんて誰にも選べるわけがない。みんなくじ引きのように、貧しい家か金持ちの家かわからないまま赤ん坊としてこの世に生まれてくるのみである。スネ夫だって金持ちの家に生まれたくて生まれてきたわけではないし、のび太たちだって貧しい家に生まれたくて生まれたわけでもない。みんな同じようにたまたま生まれついた家の環境に合わせて頑張って生きているだけなのに、スネ夫が金持ちの家に自分を適応させて海外旅行に行ったからと言って嫌味な奴だと非難されるのはかわいそうなことだ。

 

 

・日本人の同調圧力が、ひとりだけ豊かなスネ夫を非難しみんなと同じ位置にまで引きずり下ろそうと努力する

スネ夫が海外旅行に行ったことを自慢して嫌味な奴だと噂される雰囲気の中には、スネ夫ものび太たちと同じように海外旅行へなんて行くべきではない、スネ夫ものび太たちと同じような地に足ついた生活をすべきだ、スネ夫もみんなと同じように派手は暮らしは慎むべきだというような、同調圧力を暗に感じずにはいられない。その日本人的な同調圧力こそが、スネ夫を「悪者」に仕立て上げる犯人ではないだろうか。

のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんを見ていると、明らかにスネ夫の家だけが富み栄えている。さらにその豊富な財力を駆使することによって、スネ夫は他の人にはできない様々なことを経験し、それを友達みんなに披露する。そこで「みんな同じようになるべきだ」という同調圧力が働くならば、のび太やジャイアンや静香ちゃんが頑張って勉強して、将来お金持ちになって、スネ夫の家庭と同じくらい裕福になろうと努力することだってできるはずだ。その方が友達みんなが豊かになっていい生活を送ることができるので建設的なディレクションだろう。

しかし日本的同調圧力はそれとは別のことが引き起こされる、すなわちひとりだけ上にいるのならば、非難してなるべく自分たちと同じところまで引きずり下ろしてやろうというわけだ。このひとりだけ上にいるなんてずるい、自分だけいい思いをするなんて許さない、みんな一緒になるべきだという同調圧力が、スネ夫を嫌味ったらしい自慢話ばかりする悪者だと裏で感じさせている真犯人だ。

ぼくたち日本人は幼い頃から、スネ夫を嫌な奴だと思い込んできた。それはスネ夫だけが海外旅行をしているし、何でも欲しいものを手に入れているし、大きな家に住んでいるし、それをいつも自慢するし、ひとりだけ目立って豊かな生活をしているスネ夫のせいだと信じ込んでいた。スネ夫を嫌味な性格だと感じるのは、他でもないスネ夫のせいだと信じて疑わなかった。しかし大人になって広い視野を手に入れたのならば、本当に悪いのは豊かなスネ夫ではなく、ひとりだけ豊かなスネ夫を引きずり下ろしてやろうという、日本人のジメジメとした同調圧力の方ではないだろうか。みんな同じ生活を享受すべきだ、ひとりだけ豊かな者は制裁されるべきだ、出る杭は打たれるべきだ、そのような雰囲気が渦巻くこの単一民族国家で、多様性が育まれるのは困難なことなのかもしれない。

 

 

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