真実が未来にあるというのは本当か?

 

誰もがさがして欲しがっているもの。

真実が未来にあるというのは本当か?

・真実はいつかの未来にあるのだろうか
・誰もがさがして欲しがっているもの
・真理は懐かしさの香りがする
・ぼくたちは真実のために掘る人になろう

・真実はいつかの未来にあるのだろうか

もしもこの世に真実や真理というものがあるというのならば、ぼくたちはどこでそれを発見し見出すべきなのだろうか。それをさがし出すことが、ぼくたちの生まれてきた目的だろうか。

一般的に言えば、真実は何かしら人生の先に待ち構えているような気配を受ける。たとえ今は真理というものを見いだせていなくても、この先の人生で経験値を積み重ねていくことによって、または勉強で知識を身につけていくことによって、または修行で何もかもを捨て去ることによって、真理を見出せると考えられている場合もあるかもしれない。

それらはいずれも、今ここに真理はないものの、この先一生懸命に真面目に生きていきさえすれば、そして年月や経験や知識を自分自身に付け加えることによって、いつか手に入れるかもしれないという気持ちの立ち位置であるように思われる。しかし本当に、真実というものはぼくたちの先の、未来という場所に待ち構えているものなのだろうか。

 

 

・誰もがさがして欲しがっているもの

浜崎あゆみの全盛期の最も売れたオリジナルアルバム「Duty」の表題曲「Duty」の歌詞は、次のように始まる。

“誰もがさがして欲しがっているもの
それはいつかの未来にあると
ぼくも皆も思い込んでいるよね

なのにねまさか過去にあるだなんて
一体どれほどの人 気付けるだろう
予想もつかない”

この「Duty」の曲の中では結局「それ」というものが何なのか、最後まで明かされないままであり、「それ」というものがなんであるのかは、聞き手のそれぞれの判断に委ねられることとなった。この意味深な曲を聞く人の数だけ「それ」とは何かの答えがあるのだろうが、ぼくにとっては「それ」が「この世の真理」のように聞こえてならない。

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・真理は懐かしさの香りがする

日本を代表する数学者に、岡潔という方がいる。この方は偉大な数学を研究するばかりではなく、さまざまな文章を世の中に発表していたようだ。そのエッセイの代表作として「春宵十話」がある。その中にこのような言葉がある。

“真理にばったりと会うと人間は懐かしいと思ってしまう。懐かしさが真理を見つけだす情操なのだ。”

「真理は懐かしさの香りがする」という言葉に、ぼくは心の底から納得した。それと同時に、ぼくは浜崎あゆみの全盛期の名曲「Duty」を思い出さずにはいられなかった。日本の偉大な数学者、岡潔の「春宵十話」と、浜崎あゆみの「Duty」はぼくの中で繋がっているのだ。

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・ぼくたちは真実のために掘る人になろう

真実や真理というものは、年をとって経験を積み重ね、知識を蓄えるということによって発見されるというよりはむしろ、自分が赤ちゃんや幼少の砌、この世界の何もかもが新鮮で未知で畏怖にあふれていた頃に、自分の世界を必死に形作ろうとして獲得した感動的なすべての不思議な感覚が、その人の人生を通じての「真実」や「真理」であるのかもしれない。

学校の先生や、親や年上の人間たち、社会という人間の群れや、宗教という体系が、ぼくたちにさも真実だと言って教え込んでくるものは、実はまったく自分たちにとっての真実ではないのかもしれない。そのようにして獲得された偽性の真実は、逆に本当の真実を見抜く瞳を曇らせる障害物として働き得ることもあるのではないか。

ぼくたちはこの世界を全体として感じ取ろうとして必死になっていた赤ちゃんや少年の頃に、既に獲得した「真実」や「真理」を持っている。しかし確かに持っているはずの「真実」や「真理」は、人間として生きていくたびに、社会という人間の群れの部品となるごとに、そして生命や真理にとって不要な添加物を植えつけられるごとに、次第に記憶の彼方へと押しやられ、やがて大抵の人々には見えなくなってしまう。少年の頃には見えていた真理の光が、人間という闇に隠されて道に迷ってしまう。「真理」という道しるべを忘却してしまった人々は、なんとかそれを手に入れたいと、未来という見当違いの方角へと突き進む。しかしそれは真逆の方向に位置するものだったのだ。

ぼくたちが「真理」を手に入れるためにすべきことは、未来という方向に突き進んでいくことではなく、自分という湿り気のある土を掘り進む作業なのかもしれない。そういえばゴッホの絵には、ただひたすらに土を掘っている人を描く「掘る人」という絵が多数あった。

 

 

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