速いことが優れているというのは本当か? 〜科学技術により奪い去られたもの〜

 

たまにはゆっくり歩くことも悪くないだろう。

速いことが優れているというのは本当か?

・速いことは優れているように見なされやすい
・速さを信仰することによって奪い去られたもの
・北スペインの800km巡礼歩行の旅
・ぼくはまだ、スペイン巡礼の途上
・自作詩「未明の渓谷」

・速いことは優れているように見なされやすい

速いということは人を得意げにさせる。小学校では素早く計算する子供は尊敬されるし、かけっこでも速い方が人気者になれる。現代の人間社会を支配している科学という概念も、何もかもの速度を速くさせている。

たとえば昔々であれば何年もかけて旅するはずだった長い道のりを、飛行機を使ってわずか数時間で移動することが可能である。また、昔であれば届くのに何日もかかっていた手紙も、今やEメールで一瞬のうちに届けることができる。科学技術というものは、すべてのものを速い速度の川の流れへと注ぎ込み、すべてのものを速い速度で処理してしまう。しかしそれは、人間の人生や生命を根本的に豊かにしているということとは異なる。ただ、速くしただけであるということである。速いということはまるでこの世で偉いことであるようにとらえられがちであるが、果たして本当にそうだろうか。

 

 

・速さを信仰することによって奪い去られたもの

人間の人生や生命といったものは、どんなに科学技術が発達しようともなにひとつ変わっていないように見える。人は皆、生まれて、老いて、病んで、死ぬだけだ。それはどんなに人間が進化しようと科学技術を発達させようと、変わらない生命の普遍的な事実である。そして科学技術が発達している今の世の中を、昔よりも素晴らしいのだと傲慢にとらえる味方もあるが、本当に速度の上昇は人間の営みを豊かにしているのだろうか。

一瞬で連絡が届くEメールや携帯電話の発達は、人の仕事量を減少させて人の生活にゆとりを持たせる結果となったのかと言われれば、実は逆で、速く何でも処理ができる分、1日に可能な仕事の量が増え、人はより多くの労働を強いられて昔よりも苦悩しているのではないだろうか。固定電話の時代ならば連絡が取れなくても仕方のない状況でゆるされた出来事も、携帯電話が発達していつでもどこでも連絡が取り合える現在となっては、すぐさま反応を返したり返事をよこさなければゆるされないという世知辛い世の中に、誰もが疲弊してはいないだろうか。

旅だって同じことだ。昔は玄奘三蔵が何年もかけて中国からインドへとお経を取りに行った道のりも、今となっては飛行機で短時間、しかも安い料金で移動することが可能だろう。ぼくたちは確かに、誰であっても素早く世界中を移動できるようになった。だからと言って何年もかけて中国からインドへと旅した玄奘三蔵よりも、豊かで深い旅ができていると果たして言えるだろうか。ぼくたちは簡単に、素早く中国からインドへと移動できる代わりに、その途中に存在する砂漠の照りつけるような暑さや、砂漠の月夜の孤独や冷たさ、土から這い上がってくるような土の匂い、道のりの途中に咲いている花々の香りや色彩、そして人々とのかけがえのない出会いや交流を、喪失してしまっているのではないだろうか。そしてそれ以上に旅の中で貴重なものなんてあるのだろうか。ぼくたちは速度を握らされる代わりに、本当に大切な旅の要素を根こそぎ科学に奪い取られているのではないだろうか。

 

・北スペインの800km巡礼歩行の旅

 

ぼくは今北スペインの巡礼の道を歩いている。800kmに及ぶ道のりを、約30日間徒歩だけで歩く世界遺産の巡礼の道のりだ。足の弱い人々はバスやタクシーを使って移動する巡礼もあるようだが、ぼくはただひたすらに徒歩で休むことなく歩き続けている。バスや電車などの科学技術を用いずに、ただ自分の肉体だけを使って果たして800kmもの道のりを歩けるものなのか、ぼくも最初は半信半疑だった。800kmといえば、東京から広島、もしくは東京から函館までの道のりだ。そんな長距離を科学技術を使わないで歩行のみで進もうだなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。

ぼくたちの肉体はほとんど科学技術によって運ばれている。車や電車やバスや飛行機以外で、長距離を移動した経験なんてない。だからぼくは、自分の肉体の可能性を信じることができなかった。世界地図で見ても指で辿れるくらいの800kmという長距離を、自分の肉体の歩行だけで移動できるなんて考えられない。

しかし本来、人間というものは肉体的歩行で旅を繰り返してきたからこそ、今ではこんな風に世界中に散らばって繁殖しているのではないだろうか。ぼくたちの旅の原点は、飛行機でもバスでもなく、実は歩行なのではないだろうか。アフリカからヨーロッパへ、そして中央アジア、東アジアへ、さらには北アメリカ、南アメリカへ、どこまでもどこまでも肉体的歩行で進歩し続けてきたのが、人間という種族の歴史ではあるまいか。

 

 

・ぼくはまだ、スペイン巡礼の途上

ぼくはまだ、スペイン巡礼の途上にいる。ぼくの旅ブログ「ミズイロノタビ」では1日ごとに巡礼の詳細も更新している。1日も休まずに約30日間歩いて、今日でやっと700kmを歩き切った。あと100kmの道のりを、世界地図から見てみれば蟻の進みのようにゆっくりとした速度で進んでいく。しかしその速度の著しい遅さが精神に与えうるものは、意外なほどに満ち足りた生きるという時間だった。

スペイン巡礼はぼくたちを速度とはまた違った次元に立たせ、徐々に進みゆく巡礼の歩行の中で、人間の本来の旅路にとって最も大切なものは何かを語りかけてくれているかのかもしれない。ぼくたちは心の受容体を精一杯に世界に向けて開かせて、カミーノの導いてくれる教えの指し示す方角へと、突き進んでいくべきなのかもしれない。

 

 

・自作詩「未明の渓谷」

速いことのほうがいいと
誰もが先を急いでいる
早いことのほうがいいと
誰もが目を見開いて乾き切っている

疑いもしない
激流の中で
川底は乱され
泥が舞い上がっている

本来は清流の濁流
生きる魚たちは前が見えない
見えないことが心地よいのだと
湧き上がる不安を押し隠そうとして

清らかなことをおそれるな
濁らないことを退けるな
明らかなことを悲しむな
果てしなく生きるために

瞬きさえ知らぬ
瞳の奥の渓谷の水
命の焔を貫くために
破壊されても閉眼を来たさない

破壊されて創造は生じる

 

 

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スペイン巡礼27日目!速度を超越するカミーノと巡礼手帳の素敵な抽象画