ぼくが浜崎あゆみのCDを始めて買おうと思ったのは、彼女がテレビ番組で「A Song for XX」という曲を歌っているのを聞いたのがきっかけだった。
浜崎あゆみがすごかったというのは本当か?
・A Song for XX
・浜崎あゆみのオールナイトニッポンの内容
・いつか人を信じられるように
・「氷脈の城」
・人を信じることっていつか裏切られ
この時の彼女は初のベストアルバム「A BEST」の宣伝に精を出していた。その一環として、TV番組で集中的にこの歌を歌っていた。この歌は彼女の1stアルバム「A Song for XX」のタイトル曲だったが、思い入れの強い曲ということで「A BEST」の一曲目に収録されていたし、「A BEST」の宣伝としても大いに活躍していたようだ。
この頃の彼女(SEASONS〜Dearestあたりくらいまで)の声がぼくは最も好きだった。悲痛で、苦しそうで、まるで泣くように歌っているみたいだと思った。そんな声が、絶望的な歌詞の意味を余計に駆り立てて説得力を持たせていた。そして容姿的にも最も洗練されていた時期であるように思う。さらにはこの時代の孤独を極めた歌詞を、ぼくは愛していた。つまり、どれをとってもこの時代の彼女は、ぼくの中で美しさの頂点を極めていた。
そんな時代の彼女が「A Song for XX」を歌う姿は衝撃的だった。まずその歌詞に感銘を受けずにはいられなかった。
“人を信じることっていつか裏切られ
はねつけられることと同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっといろんなこと知りすぎてた”
“ひとりきりで生まれて ひとりきりで生きてゆく
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた”
・浜崎あゆみのオールナイトニッポンの内容
この歌詞の確かな意味を知ったのは、1stアルバム「A Song for XX」の発売イベントとして放送されたという浜崎あゆみのオールナイトニッポンのラジオ音源を、インターネット上で聞いてからだった。その内容を書き起こしてみようと思う。
ナレーション『目を閉じると、ラベルのはげ落ちた黄色いカセットテープが見えた。少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの楽しげな会話。多分、何かの童話だったように思う。そして、物語が終盤にさしかかったころ、一緒に聞いていたはずの母親の姿が見えない。庭先で響いたクラクションに、窓の外をのぞくと、そこにはボストンバッグをかかえ、玄関を出ていく男の背中を見送る母親の姿があった。これが、彼女の中にある、最も古い記憶だ。
1978年10月2日。福岡で生まれた、浜崎あゆみ。小さい頃から人見知りが激しく、他人とコミュニケーションを取るのが、苦手な子供だったという。彼女を理解するには、彼女にとってたった一人の家族だと言える、彼女の母親について話しておくべきだろう。彼女の母親は、母親である事よりも、一人の自分として生きている女性だった。保育園に娘を迎えに来るのは、どの母親よりも遅いくせに、若さと派手さにかけては、どの母親よりも上。ある意味で、それは自分勝手な母親と言えるのかもしれない。
しかし、娘である浜崎あゆみにとって、彼女は、最初から、母親でも家族でもなく、「マミー」という、まったくオリジナルの存在だった。手料理を食べたこともない。一緒に眠ったこともない。ましてや、寝物語に童話を読み聞かせるなどという、どこの子供にもあるような当たり前の風景も、浜崎あゆみとマミーの間にはない。浜崎は言う。「マミーはいつも泣いていた。でも、どうして泣いているかを尋ねたことは、一度もない」という。お互いに、たった一人の家族でありながら、そういう絆を、どちらからともなく拒否してきた浜崎あゆみとマミー。常に一定の距離を保っての生活の中で、彼女は学んだ。「一人きりで生きていく」ということを。「知らない方がいいこともある、知っちゃいけないこともある」ということを…。
ところで、彼女は父親の顔を知らない。もちろん、母親に、家にいない父親についての何かを尋ねたことなど、一度もない。でも、浜崎あゆみは知っている。彼女の中にある、一番古い記憶。あの日、黄色いカセットテープを聞きながら、窓の外に見た風景こそ、両親が離婚する瞬間だったのだということを。マミーが黙って見送った男性こそ、自分の父親なのだということを。そのことに気付いてから、彼女は来る日も来る日も無機質な子供部屋で、一人、あの黄色いカセットテープの中の物語を、繰り返し聞いたという。少し芝居がかった女性の語りと、森の動物たちの、楽しげな会話。しかし、あれほど聞いたはずなのに、今では、あの物語がどういうものだったのか、まったく思い出せない。浜崎あゆみが、その小さな手で、何度も何度もラジカセのスイッチを押しながら、繰り返し、聞いていたものは、一体、何だったのだろう。もしかすると、彼女はその答えを探し続けながら、今日も一人きりで歌い続けているのかも知れない』
浜崎あゆみ「えー、今、聞いていただいたのはですね、あゆの子供の頃のことなんだけど、みんな、どう思ったかなぁー?と思うんですけど。別に、あのー、ドラマチックにしようと思ってとかね、そういうのは全然なくて。あの、正直に、こっちのスタッフの方に、お話しして、みなさんが作っていただいたテープなんですけれどね。まぁよくあるバラ珍みたいなトーンだよね。そういうドキュメンタリーのような感じって言われるんだけど、あゆにとっては、別に、これが、すごく普通で、お父さんがいないっていうこととか、うちの両親が離婚したっていうことは、特別な事だとは思ってなくて、すごく普通なことだと受け止めてきてて。
で、うちの母親の歳もね、あゆは知らなくて。マミーに、『今、いくつなの?』って聞いたこともないし、多分、聞いても、彼女は、『えー、あたし、25』とか、多分、そんな感じで返してくると思ってるから、聞いたことないんだけど。格好もすごく派手でねぇ、みんなによく『お姉さんですか?』って言われるような外見の人で。すごく、自分勝手に生きてて、良く言えば、すごく自由に生きてる。あゆっていう娘がいることを、忘れてるのか、気にしないようにしているのかわかんないけど、すごく自由に、一人の女性として生きてるって感じがして。あゆにとってはね、この20年間、「お母さん」っていう風に感じたことはなくて、いつも、「マミー、マミー」って呼んでて。それは、名前が「まゆこ」っていうからっていう理由からでもあるんだけど、「マミー」って呼んでたのね。で、マミーをね、すごく、あの、あゆの面倒とかを見たり、自分の親の面倒を見たりとかする人じゃなかったんだけど、その代わり、あゆが、すごく悪いことをしたり、すごくいいことをしたりした時に、怒らないし、ほめない。ほんとに何も言わなかった。だから「あ、あゆも自由にやっていいんだな」って、だから、あの人はあの人で「自由に生きてるんだなぁ」と思ってたし、そう解釈してたのね。
で、中学の時にね、あゆがあんま学校に行ってなかったのね。で、普通に言えば、まぁ何だろうな?学校にあんまり来ない子。ヤンキーだったり不良だったりするのかな?別にそこまでいってたつもりはないんだけど、先生から家に電話があって。ちょっと浜崎さんね、最近学校来ないんで、なんとかしないといけないってんで、うちの親が呼び出しかかったんだけど、うちの親はね『じゃわかりました。すぐ行きます』って言って、電話切ったのね。しばらくすると、あゆが職員室で待ってるじゃない。そうすると、うちの担任の電話が鳴るのよ。
そしたら、うちの親がね『すいません、私、おなか痛くなっちゃって行けないの。ごめんね』って言って、電話切っちゃったんだって(笑)。そんで、『お前のお母さんはね、どうなってるのかわかんないけど、お前もかわいそうだな、大変だな』って言うのよ、うちの担任が。それが何か、妙にくやしくてね「あんたうちの母親の事知らないくせに、なんなのよ」と思って、くやしかったんだけど、まぁ別に、そんなマミーをあゆは、腹が立つとも思った事はなくて。確かに、周りの人はすごく色んな事言った。うちの隣に住んでたおばさんとかね、同じマンションの人とかは、ほんとに、あそこのね、子供とは付き合うのやめなさいとか、すごく言われて、転校させられそうになった事も、何度もあったの。『友達になるのやめなさい』って言われて。それを、あゆは悲しいと思った事もないし、そう言われて友達でいるのをやめようと思う人がいるなら、それでいいと思ったし。それを悲しいと思った事はなかったけど、あゆは、何だろう……マミーが、そういうね、マミーがそういう態度を取っている事によって、あの人はあの人なりに、一生懸命、きっとそういう孤独な愛情の中で育ってきた人なんだと思ったし、あゆに対しても、私は、あゆのことは何も干渉しないよって、私は自由に生きていくし、その代わりあなたも自由に生きていきなさいって、あなたが何かをした時は、あなた自身が責任を取りなさいって言われてるような気がしたから、すごくあの人の生き方に納得ができてて。最近、もう、全然会わないし、話したりもしないんだけど。
でも、すごく、いろーんな意味で、今になってみれば、この年になってやっとね、私はあの人から学んだ事が、すごく多いし、浜崎まりこという、一人の女性として、私は20年間、あの人を見て生きてきて、あたしはこんな風な人間になりたくないと思ったし、あたしはこの人と同じような間違いはおかしたくないと思ったし、そういう意味で、母親から学んだ事はすごく多くて。ごめんね、鼻声で。好きな所も、嫌いな所も、はっきり言って、ひとつもなくて、それは多分、あの人を一人の人間として見たこともないからだと思うんだけど。
えーっとですね、これは、1stアルバムのタイトルにもなっている、”A Song for XX”、バツバツということなんですけど、このバツバツのところは、みんなの好きな言葉を入れてくれってことなんだけどね。まっ聞く人は、分かる人には分かると思うんだけど、今、話した本人のことをね、あゆなりに、「詞」にしてみましたので聞いて下さい。浜崎あゆみで、”A Song for XX”」
浜崎あゆみは自らのオールナイトニッポンの中で、彼女にとっての「A Song for XX」のXXは彼女の母親であることを明かしていた。
・いつか人を信じられるように
ぼくは当時「A Song for XX」の歌詞を、いつもこう変えて心の中で歌っていた。
“人を信じることっていつか裏切られ
はねつけられることと同じと思っているよ”
ぼくにはこの歌詞を、浜崎あゆみのように“思っていたよ”と過去形にはできなかった。人を信じて自らの心を打ち明けたなら、人に裏切られるという思いがずっとあったのだ。そしてきっとそれは、今なお存在しているのかもしれない。生まれながらの運命や宿命は、そう簡単に変えられるものではない。もしかしたらぼくは、この本来の歌詞のように“思っていたよ”と過去形にできるようになるために、そのために生きているのかもしれない。
それは容易いことではないかもしれない。困難を極めるだろう。けれど彼女が歌っている歌詞のように、前へと進んでいくしかないのだろう。
“運命でも宿命でも変えてってみせようじゃない
こわいものならもう十分見尽くして来たんだから”
彼女は昔たしかにすごかった。そしてぼくはこれからも彼女を見続けるだろう。彼女に与えられた孤独があまりに大きく美しかったから。
・「氷脈の城」
「もう誰も愛せない」
高いピアノの音が響く
冬空の真下で
銀色の針がぼくに知らせている
悲しくなかった
痛くなかった
ただあまりに無力で
動けなかった
どうしてだろう
生まれ落ちた瞬間から既に
知っていた運命を
教えられたそれだけで
涙は流れない
永遠に流れない
あんなに泣いていたのは
まだ救いを求めていたから
涙は流れない
本当は零れるはずだった悲しみは
この世にはないものとなって
ぼくの内側に積もり続ける
終わりなき悲しみ
それはまるで雪のようね
一生が終わっても
凍り続けるぼくの世界
◆青の世界◆
愛する人に愛されたいと
天に祈っていたのは
今にも消えそうな自分を
保つためだった
氷の城に閉ざされることで
生命は永遠になる
どうかいつまでも消えないで
たとえそれが悲しみでも
愛されたいと祈る
あの日々のぼくは
まだぼくの中の時の異国に
住み続けるけれど
あなたを愛したことが
永遠を生み出したならば
ぼくはきっともうこの先
「誰も愛せない」