悪いことをしても罪を犯したことがバレても笑って楽しく過ごせばいいというのは本当か? 〜ベトナム人からの教え〜

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笑って全部ごまかそう!

悪いことをしても罪を犯したことがバレても笑って楽しく過ごせばいいというのは本当か? 〜ベトナム人からの教え〜

・ベトナム人の気質
・お金にがめついベトナム人
・バイディン寺は東南アジア最大の仏教寺院
・ハイディン寺の駐輪場でお釣りをちょろまかされた
・顔面の写真を撮影しようとすることによる反撃
・どんな悪の中でさえ笑っていられますように
・中島みゆき「竹の歌」

・ベトナム人の気質

東南アジア周遊の旅のさなかで、ベトナムにやってきたタイ、カンボジアからベトナムのハノイまで来て、なんだか他の東南アジアの人々と気質が違うなと強く実感するようになった。タイやカンボジアで感じた大らかでのんびりで人のいい気質は薄れて、自己主張の強い神経質な東アジア的というか中国ぽい気質が目立ってきたように思う。地理的にも中国と陸続きだし、歴史的には中国だったり属国だったりしたのでそれは当然のことかもしれない。

 

 

・お金にがめついベトナム人

ベトナム人で気になるのは、お金にがめついところだ。スキあらばぼったくろうとしてくるし、外国人が何も知らないと思っているのか適正料金のチップを支払っても後5倍は平気で請求してくるし、おつりはごまかしてくるしとにかく金に汚い印象が、今回2週間ゆっくりとベトナム北部を回ったぼくには残ってしまった。それが都会だけならばまだマシなのだが、素朴な田舎に行ってもそのような有様だから驚くばかりである。このような違和感はタイやカンボジアでは抱いたことがなかった。

今回はぼくがベトナムにある東南アジア最大の仏教寺院、バイディン寺の駐輪場でベトナム人にお釣りをちょろまかされた時の体験を共有しようと思う。

 

・バイディン寺は東南アジア最大の仏教寺院

バイディン寺はベトナム北部のニンビンという素朴な田舎にある。素朴な田舎といっても複合世界遺産であり、それなのに訪れる人はまだ少なく秘境感もあり、その自然景観と文化も相まってものすごく見所の多いところだ。ぼくはニンビンに5日滞在の予定だったが、気に入って結局1週間も滞在してしまった。

バイディン寺は東南アジア最大のお寺というだけあって、本当にぼくがこれまで人生で見たお寺の中でも最も広くて、しかも魅力的で迫力ある金色の大仏を何個も見ることができる、実に内容が充実したオススメのお寺だった。駐輪場の一件がなければ、ぼくはもっとバイディン寺を手放しで推奨できたことだろう。

 

・ハイディン寺の駐輪場でお釣りをちょろまかされた

それはバイティン寺の駐輪場で起きた。宿から割と近かったのでぼくはニンビン周辺を自転車で観光するのが日課になっていた。この日もバイディン寺に自転車で行き、駐輪場を探し駐輪代を支払う。ニンビンは田舎でそこらへんに土地が有り余っているのに、駐輪代をいつも取られるのが腑に落ちなかった。多分そこら辺の空き地に置いとくだけなら無料で停められただろう。今回はたまたま空き地を探す間もなく駐輪場に着いてしまったので駐輪場に自転車を停めることにした。

駐輪場代は15000ベトナムドンだった。日本円だと75円くらい。決して高くはない。あいにくぼくはその時大きなお金しか持ち合わせていなかったので、駐輪場のおばちゃんに100000ドン(500円)を支払った。するとおばちゃんはそばにいるお姉さんを指差してその娘からお釣りをもらってちょうだいと呟く。そうかそうかとお姉さんからお釣りを受け取ると、きちんと渡された額をその場で確認する。なぜかこの時は、きちんと額を確認しなければならないような直感が働いたのだ。

虫の感が働いていたのか、ぼくに渡されたお釣りはなんと50000ドン(250円)も少ない35000ドン(175円)だけだった。あれ?とぼくが怪訝な顔をしていると、お姉さんはニヤニヤ笑いながら残りの50000ドンを渡してきた。わかっていてお釣りをちょろまかしていたのは明白だった。おばちゃんもニヤニヤして何か言っていたから共犯だったのだろう。

こんな素朴な田舎でもこんなことをするなんてなんて残念なことだろうと思いつつ、ベトナム人っていつも外国人にこんな態度だよなぁと感じた。外国人が値段の相場を知らないと思っているのか、外国人が0の多いベトナムのお金の計算ができないと思っているのか、法外な値段をふっかけてくることもしばしばだし、なんだか馬鹿にされているような見下されているような気分になってくる。

ぼくは怒って「アホかごまかしとんちゃうぞ」と日本語で言い放って50000ドルを無造作に掴み、その場を立ち去ろうとすると駐車場のおばちゃんが、そんなことで怒るなよと言わんばかりにニヤニヤしながらぼくの足を引っ掛けようとしてきた。反省するどころかまさかのさらなる仕打ち!おばちゃんもお姉さんもまだニヤニヤしている。ぼくの目にはこの光景がとても興味深く映った。

 

 

・顔面の写真を撮影しようとすることによる反撃

普通お金をごまかすという悪いことをして、それがバレたとしてニヤニヤと笑ったままでいられるのだろうか。彼女らはどのような倫理観の元で育ってきたのだろう。もしかしたら外国人からお金をごまかして奪うことを悪いことだと思っていないのかもしれない。外国人はお金持ちなのだから、貧乏なベトナム人がちょっとくらいごまかして多くもらうくらい当然だろうと思っているのかもしれない。少なくとも、お金をごまかしてバレても笑っていられるほどの精神構造をしているのは明らかなのだ。それとももしかしたら、悪いことをして大人に怒られているのになぜか笑ってしまう子供の屈折した感情が残っているのだろうか。

ぼくは彼女らに罪悪感がないのかを確かめてみたくなった。立ち去るフリをして、とっさにカメラを握りしめ振り返り、罪を犯した彼女らの顔面を撮影してやろうと試みた。そもそもの人間としての倫理観が欠如してニヤニヤと笑っており罪の意識さえないものならば、その罪で厚く塗られた顔面を撮影されることくらい平気なのか、試してみたくなったのだ。

ぼくは無遠慮に彼女らの顔面を撮影し始めた。すると予想外のことに、彼女から顔を思いっきり隠し始めた。お姉さんは撮影を始めると同時に完全に後ろを向き、おばちゃんはベトナム笠で顔を完全に覆った。彼女らはまだ楽しそうに笑っている。なんだかぼくも楽しくなってきて「こっち向いてー」などと英語で言ったりして笑顔の写真撮影は進んだ。

結局彼女らの防御は強固であり、一枚も顔面を撮影させてはくれなかった。彼女らも自分が罪を犯した罪人であるという意識はあるようだ。だからこそ罪に染められた自分の顔面を拡散されては不本意だし恥ずかしいからと顔を隠してしまうのだろう。ぼくにはこれまで素敵だと思っていた民族的な情緒を残すベトナム傘が急に寂しく映った。それはおばちゃんが自分の利益のために進んで自ら罪を働いておきながら、いざそれがバレてしまってもその責任さえ取ろうともせずに、なんとかしてその場をごまかし切り抜けようとする下品な手段へと成り下がってしまったからである。

 

 

・どんな悪の中でさえ笑っていられますように

しかし非常におかしなことだが、ぼくが彼女らを写真撮影している間にぼくが本当に面白くて心から笑っていたことは確かだ。なんだかお釣りをちょろまかされたことも、罪がバレても平気でニヤニヤ笑っている女たちのことも、急にどうでもいいことではないかと思えてしまったからだ。

本当は罪なんてなかったのかもしれない。何が悪くて何がいいことなのだろう。そんな境界線さえ持てない世界を、ベトナムの人々はこのインドシナ半島の大地の中で生き抜いてきたのかもしれない。遠い西洋の国の植民地としてフランスに支配され、次には日本にも進入され、平和になるかと思いきや思想により分裂され、大国によって大いに翻弄され、やがてたどり着いた現在のベトナムという国。和辻哲郎の名著「風土」の中にあるように、アジア民族が“モンスーン的”気質として受動的な精神構造を保ち続けていたのだとしたら、白人たちの“牧場的な”能動的気質に立ち向かえるはずもなかった。

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彼らはこれまでのすべての運命を、どんなに悲惨であろうが残酷であろうが、どうしようもなく受け止めてきたのではないだろうか。それしか彼らには為す術がなかったのではないだろうか。どんなにいいことをしても意味がない、どんなに悪いことをしても仕方がない、そんな風に悟りながらも戦火にまみれた歴史の中を、柔らかにしなやかに生き延びてきたのではないだろうか。外部から常に強力な力が押し寄せて、いつ滅びるともわからない、いつ翻るとも知れない、不確かで見果てぬ運命の中で、彼らが覚えてきたことは、どんな時でも楽し気にただ笑うことではなかったのだろうか。

罪など超越した次元で、善悪など見知らぬ異郷で、ただ生き延びるために彼らはどんな時も笑っているのかもしれない。明日をも知れぬ季節の中で、どんな悪の中でさえも、彼らは楽し気に少しさみしく笑っているのかもしれない。今日のベトナムの美しい天が、ぼくにそのように語りかけてくれているような気がした。

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・中島みゆき「竹の歌」

中島みゆき・夜会2/2の楽曲たちと巡るベトナムの旅

“行く夏くる夏 照りつける熱に
うずもれながら決して消えはせぬ
青に黄に緑に移りゆく旗に
うつろいながら決して消えはせぬ

私が覚えてのこせるものは
地下に根を張るあの竹の歌”

 

 

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