五木寛之さんの「五木寛之 21世紀・仏教への旅」という番組は、ぼくの仏教への重要な最初の導きであったと同時に、これまでもそしてこれからも、ぼくにとって最も大切な仏教の題材のひとつである。
チベット僧侶が幸福について語ったこととは?!人間の目的が経済的発展であるというのは本当か?
・「五木寛之 21世紀・仏教への旅」の成り立ち
・衝撃の多かったブータン編
・幸福についてブータン人が語ったこと
・日本人に自殺が多いことについて
・どのように子供たちへ命の大切さを伝えるか
・ブータンの仏教的価値観
目次
・「五木寛之 21世紀・仏教への旅」の成り立ち
「五木寛之 21世紀・仏教への旅」は5つのパートから成り立っている。
①インド編
②ブータン編
③韓国編
④中国・フランス編
⑤日本・アメリカ編
それぞれが2時間で構成されており、どのひとつが欠けても成り立たないくらい、それぞれが充実した濃密な内容となっている。残念ながらDVD化などはされていないようであるが、本はすべて出版されている。ぼくははるか昔にyoutubeですべてを見ることができたが、それもすべて消去されているようだ。現在この5つに接するためには、本を読むしかないだろう。
・衝撃の多かったブータン編
その5つの中でも、ひときわぼくを感動させたのは、“輪廻転生”の観念を詳細に特集したブータン編であった。ブータンの人々はチベット仏教を信仰しており、チベット仏教の考え方は“輪廻転生”の思想に根ざしている。人は何度でも生まれ変わるから死ぬのか怖くないとか、何に生まれ変わるかわからないから生きとし生きるものをむやみに殺さないとか、死んだ後は生まれ変わるのだから墓は作らないなど、合理的な思想である。
中島みゆきの歌に馴染み深い人々ならば、“輪廻転生”というものに関して強く興味を惹かれるだろうし、実際にぼくの興味もそれゆえのことだったのだろう。しかし、やはり中島みゆきの歌を聞いたり夜会を見ているだけでは知ることができない、“輪廻転生”の広大な精神世界が存在し、それを深く学ぶことができたのは、彼女の歌の意味を再確認する上でも非常に示唆に富むことになるだろう。
今回は、五木寛之さんが直接ブータンに赴いて、国のリーダーとして活躍しているブータン人のカルマ・ウラさんや、高僧のロポン・ペマラさんの話が、ぼくたちがこの国の中で現代という時代を強く生き抜くための大きなヒントになるだろうと思い、その内容を記載したいと思う。
・幸福についてブータン人が語ったこと
ブータン王立研究所所長のカルマ・ウラさんが幸福について以下のように語っている。
「幸福ということは一人ではあり得ません。人と人との関係の中でしか幸福はあり得ないということです。その考えは仏教に根ざしています。幸福ということは仏教的に言えば悟りを得ることに近いものだと思います。それは人との関係においてあるものですから、他の人が不幸な状況にある中で自分だけが幸福であるということはありえない。幸福を追求するということには責任が伴うものです。それは私たちの行いにかかっています。幸福は単独ではあり得ないのですから、良い関係を作るためにはまず自分自身の行動を変えていかなければなりません。それを目指すことが大切だと思います。
欧米的な考えでは生活が良くなれば、人は幸福になれると言います。確かに、それは社会的進歩には違いないでしょう。しかしそれは仏教から言わせれば、非常に低いレベルの話です。食べることに困らないとか、人権を侵しませんというようなことだけでは、決してみんなが幸福になるとは思えません。もっと上を目指して行く必要があると思います。
そのためにはまず人と人との関係を改善していくことが重要です。他人の幸せなしに、自分の幸せもないのですから。何をもって社会の進歩を図るのかと言えば、人間関係の改善こそ、進歩の尺度にすべきだと思います。」
・日本人に自殺が多いことについて
カルマ・ウラさんの話は次のように続きます。
「(五木寛之さんが本で書いたように)私も人を殺すということと、自殺するということは相関関係にあると思います。自分の命を尊重できないと、他人の命も尊重できないわけですから。そのことに関して言えば日本人はあまりに物事を突き詰めて考えすぎるのではないかと思います。自分には何ができるのかとか、あるいは他の人は自分に何をしてくれるのかとか。だから絶望して自殺をしたり、何もしてくれない相手は自分にとって価値がないから殺すというようなことが起きる。そんな風に考えるのは良くないと思います。それは関係の喪失であり、希望を失うことにつながります。物質的に恵まれているかどうかよりも大きな問題だと思います。自分自身のことばかり、あまり深刻に考えないことが大切でしょう。死に関しても、悲観的に捉えすぎないことが大切です。遅かれ早かれ、誰にも死はやって来るのですから。」
・どのように子供たちへ命の大切さを伝えるか
五木寛之さんが、日本の子供が純粋に「どうして人を殺してはいけないの」と先生に尋ね、その確かな答えが結局見つからないまま時が過ぎたような気がするという会話に対して、ブータンの僧侶ロポン・ペマラさんは次のように説明します。
「もしこの世で人を殺してしまったら500回は人間に生まれ変わることができません。しかも500回殺され続けることになるのです。人を殺すということはそれほど罪深いことなのです。そういうことを、きちんと諭さなければなりません。
仏教では人の生活は4つの要素で成り立っていると考えます。ひとつは愛、そして慈悲、さらに幸福、平等です。
愛というのは例えば、親と子の愛です。愛し合っていればわずかな食料でも分け合うものです。動物でさえどれほど子供を愛することか、その様子を見て学ばなければなりません。それからわたしたちはこの世に存在する生きとし生きるものすべてを愛さなければなりません。たとえどんなものであっても、過去においてあなたの両親や兄弟だった可能性があるのです。それを忘れてはいけません。この世の中には愛を必要としている命がたくさんあるのです。
最も大切なのは慈悲の心です。わたしたちはそれぞれの人生において病気になったり死を迎えたりします。そのときにその苦しみを一緒に味わおうとする気持ち、それが慈悲の心というものなのです。慈悲とは何かと考えるとき、常に自分自身のことにひき付けて考えなければなりません。もしあなたが誰かに針をさそうとするとき、自分にその針をさしたらどんな痛みがするだろうかと考えてごらんなさい。そのように思いやることが慈悲の心なのです。人に苦しみを与えないようにすると言う気持ちこそが、慈悲の心なのです。」
・ブータンの仏教的価値観
以下は、番組の終盤にカルマ・ウラさんがブータンの仏教的価値観について語ったものです。
「ブータンでどのような仏教的価値観を大切にしているかと言えば、ふたつあります。
ひとつは仏教用語でいうところの縁起です。つまりあらゆるものが互いに関係しているということです。縁起ということは、これは理屈ではなくてみんな身を以て感じていることです。そしてもうひとつの考え方は無我です。つまり、自我など大したことではないということです。自分というものが自分だけで存在するのではなくて、他との関連の中にあるということなのです。
この縁起と無我というふたつの概念は非常に強くブータンに根付いています。そうすると、自分だけの幸福というのは当然ありえない。例えば、鶏を食べる時に人間として鶏を食べる、その面からしかみんな物を考えないけれども、一度立場を変えて、食べられる側からその関係を見てみることも大切です。」