セネカ「生の短さについて」への提言!人生の時間を遅く長く感じた方がいいというのは本当か?

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時間を長く感じても短く感じても、人生は充実して幸福だ。

セネカ「生の短さについて」への提言!人生の時間を遅く長く感じた方がいいというのは本当か?

・ガリシア地方の深い霧の中で感じた永遠
・台湾の花蓮タロコ渓谷の暗黒のトンネルの時間
・旅は少年時代のようなみずみずしい時間感覚をもたらす
・時間を遅く長く感じた方がいいというのは本当か?
・時間を速く短く感じることも悪くはない
・遅く長い時間も速く短い時間も幸福と不幸をもたらす
・旅する少年と創造する少年

・ガリシア地方の深い霧の中で感じた永遠

スペイン巡礼のガリシア地方で先が見えないほどに深い霧の中を歩いていると、まるで時間が止まってしまったかのように感じた。もっといえば、10分が1時間くらいに感じるようになった。ぼくはもう3時間くらい歩いたんじゃないかと思っていると、実際には30分しか立ってなかったりしたのだ。

時間というものは時計という機械が指し示す数字ばかりではなく、気候や環境やそれによる人間の心模様によって長くなったり短くなったりするようだ。

 

 

・台湾の花蓮タロコ渓谷の暗黒のトンネルの時間

同じようなことは台湾一周をしているさなか、台湾東北部に位置する花蓮のタロコ渓谷でも感じたことが思い出される。タロコ渓谷には全く明かりが灯されない暗黒の長い長いトンネルがあり、そこを歩いていると、時間が永遠のように感じられた。まさに実際は10分で通り過ぎたトンネルの中の時間が、本当に永遠のように感じられたのだ!

人間というものは、周囲がよく見えなかったり、先行きが不安定だったり、目の前が真っ暗になったりすると心が不安になり、心配になり、その不安がどうやらぼくたちの時間感覚に影響を及ぼすのではないかとぼくは推測する。不安や心配でオドオドして進んでいると、時間が長く永遠のように感じられるのだ。

 

・旅は少年時代のようなみずみずしい時間感覚をもたらす

それはまた、未経験の未知の領域へと踏み出す冒険にも通じるものがあるだろう。ぼくはまだ人生で行ったことのない異国を旅しているとき、時間がはるかに長く、時に永遠のように感じたりする。不安でおそるおそる歩むのと同時に、この生命にとって新鮮で新しい感動を呼び覚ます異国の旅は、ぼくたちの時間感覚を引き伸ばしてくれる。

それはまさにぼくたちが赤ちゃんや少年の時、まだこの世界の全てが自分の生命にとって未知で新鮮で感動的で輝いていた頃の感覚と同じなのではないだろうか。時間は過去から未来へしか流れないと思っているけれど、旅はぼくたちを赤ちゃんや少年時代のみずみずしい感性を取り戻すことをゆるしてしまう、まさに不思議な魔法の鍵なのだ。

ぼくが旅に出る理由1:旅だけが時間の逆行を可能にする

ぼくが旅に出る理由2:旅は永遠へとたどり着く道

 

・時間を遅く長く感じた方がいいというのは本当か?

しかし時間が長く感じるということは、いいことなのだろうか。時間が長く感じられることは上の例をとって考えてみると、みずみずしい感動的な少年の感性を取り戻しているとも言えるし、もしくは不安に苛まれて怯えながら生きているとも言える。なんだかいいこととも悪いこととも言い難い感じがする。

もしも学校の先生が授業をしてくれていて、授業の後に先生に「先生の授業は長く感じました!」と言ったなら怒られるだろう。それは退屈な授業だったという意味だからだ。この場合は学校の授業を不安に思っているわけでもなければ少年のようなみずみずしい感性で授業を聞いているわけでもないのに、どうして授業は長く感じられるのだろう。それは授業が退屈で「早く終わってくれないかな」と願うあまり、自分の希望の期待する時間の速度よりも、実際の先生の授業の速度が相対的に遅く進むからだろうか。

 

・時間を速く短く感じることも悪くはない

授業が速く進むということは、生徒が授業を面白く感じ集中していることを意味するような気がする。自分の経験で照らし合わせても、集中して真剣に授業を受けていたり、テスト勉強していたりすると、速く時間が経ってしまうような気がする。真剣に人生に集中して生きているということを意味するならば、時間を短く感じるということも悪いことではなさそうだ。

しかし一般的に、人は年を取るごとに時間を短く感じる傾向があるという。それはもはや未知の出来事は自分の目の前に起こらずに、新鮮な体験や感動を経験しないから、繰り返される同じような日常の生活に飽きてしまって、時間の流れが速く、そして時間を短く感じるらしい。それはなんとも虚しく悲しい感性ではないだろうか!人は老いるごとに時間の速度を速く感じ、もはや自分の時間感覚としては加速度ばかりが増していき、死に向かってまっしぐらである。

ジャネーの法則によると、5歳の1年は50歳の10年であるという。50歳が頑張って10年間生きているのに、感覚的には1年しか生きなかったことになるなんて、なんとも勿体なく無駄の多い話だろうか!

 

 

・遅く長い時間も速く短い時間も幸福と不幸をもたらす

旅に出て少年のような感性を呼び覚まし、みずみずしい感性のもとで生きている時に、人生は永遠のように遅く長いと感じまた充実していると思える。逆に集中して物事に取り組み、真剣に何かをやり遂げた際にも、人生は喜びに満ちあふれ、その際には時間を速く短く感じてしまう。

時間の速度が遅く時間自体を長く感じることと、時間の速度が早く時間自体を短く感じること、どちらも人生に幸福をもたらし得るし、また人間に不幸な烙印を押したりもする。ぼくたちは時間を速く感じるべきか、遅く感じるべきか。ぼくたちは時間を長く感じるべきか、短く感じるべきか。

紀元前のローマの哲学者セネカは著書「生の短さについて」で、誰もが人生は短いと嘆くが生は浪費すれば短く感じ、活用すれば十分に長いと説いている。彼にとっては時間が短く感じることは悪であり、人生を長く感じることを尊く感じているようだ。

しかし先ほどから思考してきたように、時間を遅く長く感じることも人間にとって尊ければ、時間を速く短く感じることも同時に尊いものではないだろうか。もちろんその逆も然りであり、遅く長いことが愚かしい場合、速く短いことが虚しい場合もあり、結局それは時間そのものや時間感覚の問題というよりも、時間を感受する人間性の問題ではないだろうか。

人間の幸福は、時間感覚に依存などしない。人間の幸福は時間など超越して、もたらされる精神へともたらされる。

 

 

・旅する少年と創造する少年

ぼくたちは旅立とう
少年のような時間を取り戻し
遅く長い時空をさすらって
やがては永遠へとたどり着くために

旅立った少年の瞳を照らすのは
広大な銀河と風の中の水晶
あらゆる小さな宝石を投げ捨てて
はるかなるに憧れを捧げた

ぼくたちは創造しよう
夢中で生き抜く生命を取り戻し
他の人間などいないと信じるほどに
没頭した先に熱源は生まれる

Δtは無へと収束し
近いことを求めすぎて根源を成す
自分しか生きていないこの宇宙で
たったひとつの肉体を弄ぶ

旅する少年と創造する少年
ふたつが肉体に重なり合ったとき
時空を超越した精神は立ち現れ
冥界への舟は漕ぎ出す

 

 

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