安室奈美恵の引退曲「Finally」の歌詞の意味とは!人間は夢を叶えるために生きているのだというのは本当か?

 

Finally I can stop dreaming…

安室奈美恵の引退曲「Finally」の歌詞の意味とは!人間は夢を叶えるために生きているのだというのは本当か?

・安室奈美恵「Finally」の不思議な歌い出し
・安室奈美恵「夢は叶えるものだから」
・「夢は叶う」ことを伝え続けた安室奈美恵
・どこまでも人の心の渇きを満たさない夢の正体
・直感的な夢を叶える輝かしい体験とその風景
・人間にとって夢を叶えないことの大切さ

・安室奈美恵「Finally」の不思議な歌い出し

中国の廈門で、特に理由はないが2018年9月16日に引退した安室奈美恵の最後の大ヒットベストアルバム「Finally」を通しで聞いていた。「Finally」は3枚組でボリュームが多く、そうそう通しで聞く機会もないのだが、桂林から廈門までの移動に長時間かかったので聞いていたような気がする。

ベストアルバム「Finally」の最後はまさしく表題曲「Finally」で幕を閉じる。言わば数々の伝説に彩られた安室奈美恵の歴史は、「Finally」という曲で終わりを告げるのだ。その歌詞の歌い出しは、ちょっとやそっとじゃ思いつかないような驚きに満ちている。

“Finally I can stop dreaming
願い続けた日が
遂に今スタートを切ったの”

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なんと衝撃的な歌詞だろうか。ありふれた教科書に書かれているように、夢を叶えるために頑張ろうとか、夢を叶えて幸せになろうと陳腐に歌うのではない。“やっと夢見ることをやめられる、ずっと夢見ることをやめられる日を願っていたのだ”と歌われている。

しかもそれがそんじょそこからの中途半端な歌手によって歌われるわけではない、その人生をかけて夢を叶え続け、挑戦し続けてきた安室奈美恵が歌うのだからこの上ない説得力に包まれれてしまう。一体どうして彼女は夢を見ることをやめられる日を願ってきたのだろうか。

もちろんこれは安室奈美恵による作詞ではなく他人が作ったものだが、安室奈美恵の歴史の幕を閉じる表題曲として彼女の意思が少なからず反映されているに違いない。

 

 

・安室奈美恵「夢は叶えるものだから」

一般的に言えば、夢を叶えることは嬉しいことだ。みんな夢を叶えるために努力すべきだと人間たちは語り合っているし、夢を叶えて幸せになることこそが人生の目的だと世の中では言われているような気がする。

安室奈美恵もその昔、デビュー当時は「夢は叶えるものだ」と高らかに歌い上げていたようだ。当時の世の中の熱量をぼくは知らないが、10代の沖縄から出てきた安室奈美恵が小室哲哉とタッグを組み、次々にミリオンセラーを連発して夢を叶えていく中で、輝かしく「夢は叶えるためにあるんだ」と歌われてしまっては、そりゃあ当時の若者にはこの上ない刺激になったことだろう。

ベストアルバム「Finally」の最初の方の楽曲「Chase the Chance」で、勢いのある安室奈美恵はこのように歌っている。

“夢なんて見るもんじゃない
語るもんじゃない
叶えるものだから”

 

・「夢は叶う」ことを伝え続けた安室奈美恵

その才能ある歌とダンスで数々の人々を魅了し、実際に「Chase the Chance」の歌詞のように夢を叶え続けてきた安室奈美恵。彼女の大切にしているメッセージは「夢は叶う」ということではないかと感じる。実際に楽曲の中では夢を叶える重要性を強調しているし、彼女が引退間際でイッテQのテレビに特別出演し、安室ちゃんの大ファンであるイモトアヤコと共演した時も、最も重要な場面で「夢は叶います」というメッセージを解き放っている。

そんな彼女が最後の最後の楽曲「Finally」でなぜ、夢を見ることをやめられる日をずっと願っていたと歌ったのだろうか。ずっと夢を叶える重要性を強調してきたのに、なぜ最後にそのような歌詞を選んだのだろうか。

 

・どこまでも人の心の渇きを満たさない夢の正体

彼女にとって夢を叶え続けることは、大変なことだったのだろうか。彼女に限らず、人間にとって夢をずっと叶え続けることは、一般的に言われるように幸福なことではなく、むしろぼくたちにつらさや苦しみを与えるということなのだろうか。

安室ちゃんのように大きな夢を叶えなくとも、ぼくたちでも小さな夢を叶えることは日常生活においてあることだろう。たとえば肉まんを食べたいとか、琵琶湖に行きたいとか、大切な人に会いたいとか、小さな夢を少しずつ叶えながらぼくたちの人生は営まれていく。

しかしどんなに夢を叶えようとも、結局そこで満足するということはありえない。どんなに美味しい食べ物をたらふく食べても次の日にはお腹が空くように、どんなに大きな夢を叶え続け心がひどく満たされていたとしても、まだやりたいことがあるとか、やり残したことがあるという風に、どこまでもどこまでも夢というものは形を変えて逃げていく。夢は一般的に言われているように、綺麗で美しいものではなく、一種の煩悩と同じなのではないだろうか。

夢を叶え続けるその精神力は並大抵ではなかっただろうし、その姿が多くの人々を励ましてきたことも事実だが、彼女も「夢」というものの怪しい正体に気づき、そこから自らを退けさせるべきだと判断したのかもしれない。そして自分が完全にやり切ったと感じ、満足した時点で退くことを決意したのかもしれない。

 

 

・直感的な夢を叶える輝かしい体験とその風景

人がたったひとつではなく、大小数々の夢を見る。夢はどこからやって来るのだろうか。願いは誰によって仕組まれ与えられているのだろう。安室ちゃんのように歌って踊りたいという夢を求める人もいれば、医者になりたい人や、ずっと家の中で目立たずに静かに過ごしたい人や、自分で商業を立ち上げたい人もいるだろう。ぼくたちはそれぞれに数々の異なった夢や願いを持っている。それはまるで、ぼくたちの顔面が知らず知らずのうちにひとりひとりにあてがわれたように、夢はひとりひとりに無理矢理にあてがわれている。

将来の夢を持つのはいいことだというのは本当か? 〜過去や未来を見ない生き方〜

ぼくには旅に出て、世界で行きたい場所がたくさんある。そして別に行きたくない場所と激しく行きたい場所が綺麗にわかれている。どのように自分自身がそれを感知しているのか、それがとても不思議だ。

たとえばぼくは、中国の雲南省というところになぜかわからないがとても憧れて、ずっと行きたいと願っていた。そして激しく行きたいと願っている割には、実際に行こうと行動を起こすことはなかった。憧れは憧れのままで、頭の中の中のとてつもない桃源郷のような美しさが、実際に訪れることによって崩れてしまうことが怖かったのかもしれない。しかしそんなぼくにも、偶然雲南省を訪れる機会がついにやって来た。そしてその場所は、ぼくが頭の中で描いていたものよりもはるかに美しくあまりに神秘的だった。自分の中の野生的で直感的な夢を叶えるというのは、このように輝かしいことなのだと感じた。

そしてもうひとつ、中国大陸の福建省から船で行けるという台湾の離島・金門島にもなぜかとてもすごく行きたくて、しかしこれも雲南省と同様に決して積極的な行動を起こすことはなかったが、雲南省の旅と同じ旅の中で偶然訪れるような運命の中に仕組まれていた。そして金門島は、やはりぼくの想像をはるかに超えた神秘的な場所だった。今は金門島にいるが、ぼくが10年住んだ沖縄を、この世界の中にもうひとつ見つけたような不思議な感覚だ。

 

 

・人間にとって夢を叶えないことの大切さ

ぼくはこの旅の中で雲南省と金門島を訪れて、夢を叶えるという輝かしい感覚を味わうことを知った。そして、夢が叶うという寂しさも同時に知った。夢を見ていることは、夢を叶えるということよりも幸せなことなのかもしれない。それは遠足の準備が、実際の遠足よりも幸せであるという感覚に似ている。夢を叶えてしまった後では、現実を知った後では、もはや同じ夢を見ることはできないのだ。また新たに憧れを見つけ、夢を見つけ、願いを見つけ、そしてそのまだ見ぬ世界へと自らの精神を浸し、心を安定させなければならない。

自分の心の中に、まだ果たされない輝きがないと、人はうまく生きられないのかもしれない。ぼくたちは夢を叶える感覚を知ることも大切だが、夢を叶えないままに保ち続けることも生きる上で重要なことかもしれない。

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