重要な物事を決めるときに他人のアドバイスを聞いた方がいいというのは本当か? 〜呪われた人生〜

 

他人の言葉によって物事を決める人生は呪いを受ける。

重要な物事を決めるときに他人のアドバイスを聞いた方がいいというのは本当か? 〜呪われた人生〜

・迷い人
・選択の結果
・他人の言葉を聞いて選択し進む人生はやがて呪いを受ける
・全てを自分のせいにできる人生は幸福だ
・あなたを救えるただ唯一の人はあなた

・迷い人

人は生きていると、どっちにしたらいいかなとよく迷う。たとえばそれがケーキにしようかクッキーにしようかとか、バスにしようか電車にしようかとか、ドラえもんを見ようかクレヨンしんちゃんを見ようかなど、わりとどうでもいいことならば問題ないのだが、人生には色々と重要な選択を迫られる事態が生じる。

学生だったら理系に進もうか文系に進もうかとか、何大学の何学部に進もうかとか、卒業したら就職先はどこにしようかとか、今の仕事を辞めようかそれとも続けようかとか、結婚しようか離婚しようかなど、自分の人生を大きく左右する深刻な選択を迫られた時には、人は大いに迷い、自分の狭い知識の範疇では決められないと判断した場合には、すがりつく思いで誰か頼りになりそうな人にアドバイスを求めようとする。

「アドバイスを聞く」というと、なんだかとてもいいことをしているように聞こえる。他人に相談し、他人の意見を聞き、それを考慮に入れた上で、重要な選択を進めた方が、なんとなく間違わないような気がするが、果たして他人からのアドバイスは聞いた方がいいのだろうか。

 

 

・選択の結果

選択というのはしばしばいい結果に終わることもあるし、悪い結果となってしまうことも当然起こる。全ての選択がいい結果に終わる人はいないし、その逆もまた然りであり、全ての選択が悪い結果に終わる人もいない。けれどぼくが今まで生きてきて気になることは、その結果が悪かった際の話である。

 

・他人の言葉を聞いて選択し進む人生はやがて呪いを受ける

もしもそれがいい結果に終わったのならば何の問題もない。それを選択した自分自身を賞賛すればいいし、その選択にアドバイスをくれた誰かに感謝すればそれで終わりだろう。しかしその結果が悪かった、選択が間違っていたと感じる場合には、そう簡単にはいかない。

人は悪いことが起きると何が原因だったのだろう、誰のせいなのだろうと考え込み、ひとつの原因や責任を求めてしまう癖がある。そして誰が悪かったのだろうと考えるときに、自分だけのせいにできればそれは幸いだ。自分が悪かったのだと潔く諦め、時間がかかっても前を向いて歩き始めることは容易い。しかし誰かのアドバイスにしたがって決断し、その結果として悪いことが起こった場合、そう簡単にはいかない。

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最終的に決断したのは自分なので自分が悪かったのだと思う一方で、あの人のアドバイスを聞いたから悪かったのだ、もしもあの人のアドバイスさえ聞いていなければと、悪い結果を他人のせいにしてしまう自分に気がつく。そしてその他人を恨み、他人の言うことを参考にしてしまった自分自身を恨んでしまうことすらある。

そういう状況に陥った時に、人は不幸を感じる。悪い結果の全てを自分自身に帰着できずに、他人になすりつけられる余地を与えられた時に、心の中で他人に罪を着せるというまやかしにより自分自身を安心させ、自分は悪くなかったあの人が悪かったのだと他人を恨むことで上手に生き延びるもののけとなってしまう。

全部自分のせいにできないというのは悲しいことだ。誰かのせいにできるという状況を自分自身に与えてしまう人生は不幸である。その不幸とは、重要ま選択の際に、他人からアドバイスを聞き、それを参考にすることがから始まる。それは自らの底から恨みを生み出す呪われた選択となり、呪いの毒は次第に全ての人生へと侵食し、清らかだった生命に濁りを投じる穢れとなるだろう。

 

 

・全てを自分のせいにできる人生は幸福だ

全てを自分のせいにできる人生は幸福だ。悪いことが起こっても、全部自分が悪かったのだから仕方がないと、笑って悲しみを吹き飛ばしてしまうような、そんな人生を送りたい。全て自分で決めたのだから、後悔すらないと胸をはって終わりたい。

 

 

・あなたを救えるただ唯一の人はあなた

ぼくはなぜだか他人から相談事を持ちかけられ、アドバイスを求められることもしばしば起こる。それはその人の性質の根源に根ざすような、底から湧き上がってくる苦しみや呪いが原因であることがほとんどだ。ぼくはその時々に応じてアドバイスをして感謝されるが、最後に必ず告げることは、あなたを救えるのはあなたしかいないということだ。

ぼくがどんなに的確なアドバイスをしたとことで、その人の悩みがその人の根源から常に湧き上がっている限り、一時はぼくのアドバイスによって悩みが消失したかのように見えても、後から後からその人の根源から苦しみは無尽蔵に出現し、その人の心を蝕むことは明らかだからだ。

そのような迷い、悩み、浮世をさまよい歩いている人々は、自分がどうして生きるのが苦しいのかわからない、聡明な他人ならばその答えを知っているだろうと考えては、他人に答えを求め続けるもののけと化してしまうが、率直にいえばそれは愚鈍な態度である。ぼくがその苦しみの根源を見抜き、助言をしたところで、苦しみの根源を消失させられるわけでは決してない。

あなたの根源を見抜き、荒ぶる苦しみを鎮められる唯一の人間は、他でもないあなたなのだ。それにはあなたがあなたの根源を、濁りのない清澄な瞳で見抜かなければならないが、そのためには人生の中で、怠ることなく修行を続ける必要があるだろう。

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