目上目下というくだらない儒教的制度!後輩が先輩にタメ口を聞いてはいけないというのは本当か?

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目上目下というくだらない儒教的制度!後輩が先輩にタメ口を聞いてはいけないというのは本当か?

・中1に教わった日本の目上目下システムの衝撃
・ぼくたち日本人は自分が尊敬したい人を選ばせてはもらえない
・敬語の支配システムが異常だと感じたぼくは、敬語をあえて使わない実験を試みた
・敬語を使わなくても良好かつ円滑な人間関係を築くことは絶対に可能
・英語で人々と触れ合う中でぼくの中でさらに深まる敬語不要論

・中1に教わった日本の目上目下システムの衝撃

ぼくが人生で最も衝撃を受けた出来事のひとつが、中学1年生になったらいきなり目上目下のシステムを強要され、後輩は先輩を絶対に尊敬しなければならないと教えられたことだった。日本人ってなんて馬鹿馬鹿しい制度をとっているのだろうと、中1のぼくは開いた口が塞がらなかった。小学校までは年上だろうが年下だろうがみんな平等に仲良く対等に触れ合ってきたのに、そのような世界観は一気に崩壊し、これからは目上という人間に尊敬を強要され、ひれ伏したり服従したり支配されたりする日々が訪れるのかと思うと、いたたまれないと同時に物悲しい気分になったことを思い出す。

人間というものは日本社会の中で、全く平等では生きられないのだと衝撃を受けた!思考停止の学年や年齢などで人間が階段状に階級分けされ、目下は目上に尊敬を強要されるどころか、自分の意見すら主張することもままならないままで、目上に支配されながら生きて行くのが日本社会の仕組みだと悟った。

 

 

・ぼくたち日本人は自分が尊敬したい人を選ばせてはもらえない

まず先輩後輩という仕組みが実にくだらない。1つ年や学年が上だったり下だったりするからどうだというのだろうか。そんなこと人間性にとってみれば全く大した差異ではないに違いない。しかし日本人は無理矢理1つ年が違うだけで目上と目下に分裂させ、人間関係を引き裂き、境界線を引き、先輩と後輩というまやかしの役割を与え、後輩は先輩に尊敬を強要するのだ。しかもその尊敬を表すためには、態度ばかりではなく言語体系まで変えなければならない(敬語)というのだから正気の沙汰ではない。今までの日本人の中で誰かこんな馬鹿らしい仕組みなんてやめるべきだときちんと主張する者はいなかったのだろうか。

この「1つ年上だから絶対尊敬」「目上だから絶対尊敬」という思考停止のシステムが実にくだらない。人間にとって、尊敬とはそのようなものだろうか。この人は1つ年上だから尊敬、この人は年寄りだから尊敬と、そんな単純に敬意というものを抱けるものだろうか。

はっきり言って1つ年上だからどうだというのだろう。1つ年上にも馬鹿な人間やくだらない人間や下品な人間はわんさかいるに違いない。先生や目上や年寄りにだって人間として全く尊敬できないような種類の人間はたくさん存在しているはずだ。それをただ「目上」「年上」という思考停止した社会制度のためにわざわざ「尊敬」して生きていかなればならないなんてどう考えても異常な社会だ。

人間を尊敬するとは、もっと人生の経験に基づく実感的で豊かな気持ちであるはずだ。例えばその人と一緒に過ごしていて、このような点が素晴らしい、このような点が優れている、そのような長所を多面的に何個も見つけて、その人の人間性も総合してはじめて「尊敬の念」を抱けるのが本当ではないだろうか。

ぼくたちは本当のところでは、自分の人生の経験や人間的な付き合いを通して本心から尊敬できると感じた人だけを尊敬したいと考えているはずだ。しかし日本の目上目下システムがそれを許さない。システムはぼくたちに強要する。年上ならば尊敬、目上ならば尊敬、先生ならば尊敬、年寄りならば尊敬…そんな風に自分自身で尊敬したい人を選ばせてはくれず、ただただロボットのように、思考停止して既定の人々を尊敬し、目上から支配されて生きて行くべきだと洗脳してくる。ぼくたちは本当に尊敬したかった人と、システムの規定上仕方なく尊敬している人の区別が次第につかなくなり、自分が何を敬い何を敬わない人間なのかわからなくなる。

目上目下の制度は「人を尊敬する制度」といえば聞こえはいいが、本質的には目下を黙らせて都合よく部品として操るための支配制度である。中1のぼくはそれに直感的に気づいていたから、この儒教的な目上目下の制度に嫌悪感を抱いたのに他ならない。

 

・敬語の支配システムが異常だと感じたぼくは、敬語をあえて使わない実験を試みた

しかし中1のぼくがどんなに反対したり嫌悪感を抱いたところで日本社会は変わらない。同級生の誰もが教え込まれた通りにこの目上目下のシステムに疑いもなく巻き込まれ、自ら進んで支配され下級兵士のようになっていった。もちろん彼らの行動は正しい。大人しくそのシステムに巻き込まれなければ、習わしに従わなければ、日本では社会的に抹殺されるということをよく心得ていたからだ。しかしそれにしても何の疑いもなく素直に巻き込まれすぎではないだろうか。もうちょっと自分の頭で考えておかしいと感じる骨のある者はいないのだろうか。

ぼくはこのままだとこのシステムに飲み込まれていく過程の中で、せっかく授かったこの尊い生命が洗脳され、都合のよい部品となり、社会的に支配されてしまうと危機感を強め、なるべく目上にも敬語を使わないように努力していた。もちろん社会に出たら抹殺されて生きていけなくなることを予感していたが、中学や高校ならかろうじて許されるとわかっていたのだ。周囲からは聞き分けの悪い子だと思われていただろうが、ぼくは自分できちんと思考した上で行動しているので誰にも文句は言わせまい。幸運なことにぼくはなぜか勉強が得意になり、中学高校と6年間ずっと学年1位を維持していたので先生たちからも一目置かれ、敬語を使わなくても何も言われることはなかった。和歌山県という本来敬語を使わない地域だったというのも影響しているのかもしれない。

 

・敬語を使わなくても良好かつ円滑な人間関係を築くことは絶対に可能

よく目上に敬語を使うべきか、使わなくてもいいかとインターネット上で議論が展開されているときに「使うのが常識だ」「当然使うべきだ」「使うに決まっているじゃないか」という意見が大多数を占めているが、とても馬鹿らしい意見だとぼくは思う。きっと彼らは中1で敬語を使えと教育されたら何も考えずにすぐに洗脳され、おとなしく敬語を使ってきた種類の人間たちだろう。

しかし目上に敬語を使うべきか、使わなくてもいいかという質問に答えられるのは、目上に敬語を使ってきた経験と、あえて使ってこなかった経験と、2つどちらをも併せ持っている人だけではないだろうか。おとなしく従って敬語を使ってきただけの経験しかないような人間に、目上に敬語を使うべきかという質問に答えられるわけがない。それは彼らにはあえて敬語を使わないという貴重な経験が抜け落ちているからだ。目上に敬語を使うとどうなるかということと同時に、あえて敬語を使わないと世界はどうなるかということを人生をかけて実験した者のみが、この質問に答えられるだろう。

ぼくは中学高校と、日本および日本社会を実験するという意味から、あえて目上にも先生にも敬語を使わないように努力した。そして大学や労働してからは、社会的に抹殺されないようにきちんと敬語を使ってきた。その両方の経験を併せ持っている。ではぼくがこの2つを経験してきて敬語についてどう感じるか。

答えは「敬語なんかなくても全く問題はない」である。むしろ敬語なしで目上とコミュニケーションをとった方が、心がすぐ近くなって仲良くできる可能性が格段に上がったことから、敬語なしの世界の方がはるかに魅力的だった。もちろん既に儒教的観念に洗脳されている目上に関しては顔をしかめるような者もいたかもしれないが、人間と人間が対峙してコミュニケーションを取っている際に、そんな細かいことを気にするような小さな人間性などこちらからお断りである。そんな何の足しにもならないことを気にしているうちに、考えなければならないことが人生にはいくらでもあるのではないだろうか。重要なのは言葉の形態ではなく、言葉の内容と心の熱量だ。そのような人間同士の会話の本質に気づかずに、敬語ではないと言葉の形態ばかり気にするようではろくな悟りも開けないであろう。

しかしそのような種類のくだらない人間はほとんどいなかった。誰もがぼくの敬語を使わないことを全く気にせず、そういうものだと受け入れ、敬語という隔たりを作る言語を拒否することで心も近くなり、他の誰よりも目上と心置きなく交流できていたと記憶している。

 

 

・英語で人々と触れ合う中でぼくの中でさらに深まる敬語不要論

労働を中断し世界一周の旅に出てからもぼくの中で「敬語なんて全く不要だ」という思いはますます高まった。世界一周ではいつも英語で会話をする。英語には当然敬語のシステムは含まれていなかった。年上だろうが、年下だろうが、目上だろうが、目下だろうが、敬語なんてありもせず、誰に対しても同じ言葉の形態で英会話するだけだ。そして何の問題も起きない。

しかしそんなこと当たり前ではないだろうか。尊敬を強要され、尊敬を表す言語形態を絶対的に強要されるというシステムの方が異常だし、どうかしていると断言できる。そんなものなくたって、人間はきちんと良好な人間関係を築けるし、何の問題もなく円滑に世界を渡っていけるのだ。中1のぼくの嫌悪感と直感はやはり正しかったのだと今でも思う。日本は目下が都合よく支配されるための無駄な尊敬システムに洗脳されすぎである。

 

 

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