他人を称賛するのは正しいことで、自分を褒めることは間違っているというのは本当か?

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自分自身を大いに称賛しよう!!!!!

他人を称賛するのは正しいことで、自分を褒めることは間違っているというのは本当か?

・他人を称賛し自分を称賛しないことが、まともな人間への近道
・自分をずっと見つめている自分という存在
・他人ではなく自分自身の称賛により本当の心の安らぎは得られる
・自分自身へのご褒美

・他人を称賛し自分を称賛しないことが、まともな人間への近道

ぼくたちはよく、他人には感謝すべきだと教えられる。何かをしてもらった時には他人にきちんと感謝し、礼を尽くすことが人間としてふさわしいふるまいであると言われる。なるほどそれは確かにそうだろう。相手に感謝し、相手を暗に称賛することは、円滑で心地よい人間関係を生み出す。

それに対して自分自身に対しては謙虚でなければならないと教えられる。自分がどんなに素晴らしい行いをしたって、それを誇りに思い自分自身でその素晴らしさを言いふらすのは下品なことであるとされているし、自分は偉い、自分はすごい、自分が好きなどとは、口が裂けても言うべきではないという風潮で世の中は満たされている。

自分を自分自身で尊重してはいけないどころか、時には相手を持ち上げるために、自分のことを敢えて蔑むように命じられることもある。日本の文化の中で敬語の謙譲語を使用しているときなんかはこれに当てはまる。

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他人を称賛し、自分を見下しているかのように見せかけながら生きることこそ、まともな人間だと思われる日本人の道であると説かれる。

 

 

・自分をずっと見つめている自分という存在

しかし自分が頑張っていることや努力していることを、一番知っているのは誰だろうか。どんなに親しくても、あなたほどあなたのことを知っている他人はいないだろう。親であろうと、親友であろうと、恋人であろうと、配偶者であろうと、他人は他人でありその人の人生を生きることに必死なのだから、まさかその他人があなたよりもあなたのことをきちんと見ていて全てを知っているなんてあり得ないことだ。それは全ての人間にとって当然の成り行きであり、あなただって誰か他人のことを、その誰か自身よりも知っているという自信なんて全くないだろう。

「自分のことは自分がよくわからない」という逆説も世の中にはまかり通っているが、自分と最も長い時間付き合っていて自分のことをずっと見ているのは、自分自身に他ならないだろう。自分のことでさえ理解するのはなかなか困難だが、つらいときに離れずにそばにいて、自分をいちばんわかってくれているのは自分自身ではないだろうか。

 

 

・他人ではなく自分自身の称賛により本当の心の安らぎは得られる

そんな自分を自分で褒めてやらずに、一体誰が適切にその人を褒めることができるのだろう!人間には、他人には見せない部分が本当にたくさんあるのだ。たとえ大切な家族や恋人や親友にだって、見せない姿はいくらでもある。それはどんなに親しくても彼らが所詮他人であり、自分ではない限り仕方のない運命だし、そのどうしようもない孤独な運命を抱きかかえながら、誰もがこの世の中を渡ってゆくのだ。

他人なんて絶対にあなたから離れていくのだ。愛する我が子だって巣立ってゆくし、永遠を誓った結婚相手だってどちらかが死んでしまえばその時点でTHE ENDである。永遠なんてあるはずがない。

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絶対にあなたから離れてゆかない、あなたを絶対に裏切らない、あなたを持続的に見守り続けいつもそばにいてくれるのは、他でもないあなた自身しかありえない。ひとり密かに悩んでることも、泣いていることも、努力したことも、挫折したことも、報われたことも、失敗したことも、恥ずかしいことも、みんなみんな共に歩んできたのは、他人ではなくあなたである。

あなたが最もあなたを裏切らない、あなたにとって唯一無二のパートナーなのだ。そんなあなたがあなたを褒めてやらないで、一体どうしようというのだろうか。確かに他人に褒められることは気分がいい。優越感に浸ることもできる。社会の中で自分が評価されているのだと確認できて安心もする。しかし所詮、あなたのことを何も知らない奴らの不確かな言い分だ。あなたの孤独や絶望や光を何ひとつ知らない他人による称賛が、あなたの生命にとってどんな価値や意味を見出すだろうか。根源的に、本質的に、あなたの生命に恵みをもたらすだろうか。根源という聖域は、他人によってなど決して左右されない。

あなたが、あなた自身で、あなたの髪を優しく撫でてやるときに初めて、あなたの中の根源にすむ少年や少女は、本当に褒められたと絶対的な安らぎを得ることができるのだ。浮世から注がれる相対的な称賛など、取るに足らない。大切な自分自身を大いに称賛し、褒め称えることで「まともな人間」ではなくなるかもしれない。けれど浮世の言う「まともな人間」の称号に、価値など何ひとつないのだ。まともでありたいと思う自分自身を、ふりはらってゆけ。

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・自分自身へのご褒美

最近よく「自分自身へのご褒美」という言葉を耳にするが、自分をきちんと称賛できるという意味でとても価値のあるものではないだろうか。しかし自分のために自分が何かを買うことは当たり前なので、「自分自身へのご褒美」ってただの買い物では?と思ったりもする。

 

 

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