あなたが罪深いというのは本当か? 〜植え付けられた者たちへ〜

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自分を憎むことで幸福になれるだろうか。

あなたが罪深いというのは本当か?

・自己防衛の洪水
・否定の雨
・まれびとは異界へ
・自作詩「時を止めた少年」
・光へ

・自己防衛の洪水

自分は悪くない、自分に罪はない、そのように責任の所存を押し付け合いながら浅はかな浮世は進んでいく。逆に自分が悪いのだ、自分は罪深い人間だと思い込みながら生きる人生は、なんと生きづらいことだろうか。

人は大抵、自分を正しいと思っているし、自分を愛している。それを幼稚で浅薄なことだと罵るものもあろうが、それにより自分を苛むことなく、自分を咎めることなく、滑らかに人生の旅路を通り過ぎることができるならば、それは自分の命をより合理的に生きるための本能だろう。

この荒波の浮世の中で、いちいち自分が悪いのだと傷ついてはいられない。自分が悪いのだと責めて悩んでいる間に、浮世は先へ先へと進んで自分が取り残されてしまう。どうせこの浮世を生き抜かなければならないのならば、自分が悪いなどと思い悩むだけ時間の無駄である。

それよりもむしろ潔く、自分は自分を最も正しいと思っているのだと居直り、それを防御壁として次々に浮世の荒波を乗り越えていく方が建設的な人生であると言えよう。

誰もが自分は決して正しいとは思っていません、自分なんて愛していませんという顔つきを世間に見せつけておいて、無意識の中ではきちんと自分を正当化し、自己愛を発生させ、それがなければ傷だらけになって生きられないこの世の苦海を渡っていくのだ。

 

 

・否定の雨

知らず知らずのうちに、自分は間違っているのだと植えつけられた魂がある。思いもよらないうちに、自分を愛することを妨げられてしまった運命がある。それは誰にも止められない洗脳。天から雨が降り注ぐように、否定が傘をささない我が身に注ぎ込まれることもある。

自分は間違っているのだと、罪悪感に苛まれて。生きているだけで人を傷つけるのだと、自らの咎を数え上げて。避けられない運命はこの世を彷徨う。どうしようもない宿命は答えを見つけられずに立ち止まる。

この世にいない方がいいのではないか。生まれてこなければよかったのではないか。そのように思い込まされた無垢な魂たちが引き裂かれそうな悲鳴をあげる。

どうして生まれてきたのだろう。幸せになんて決してなれやしないのに。どうして生きているんだろう。ぼくが生きているだけで、大切な人々が傷つくのに。

人を愛することが幸せというのは本当か?

植えつけられたおそれは光を遮って、もはや目の前さえ見えなくさせる。運命の根源から育まれた自我は、自らを蝕んで自分を愛する道を閉ざしてしまう。どうして生まれてきたのだろう。どうして生きているのだろう。問いかける風の中に、答えは、ない。

 

・まれびとは異界へ

まっすぐに育つはずだった自己愛の幹は、方々に散り散りとなりて、隙間なく埋め尽くされるはずだった正当化の枝は、おかしな方向を象って。

この世にはない方角を示し始める。この世に生まれるはずだった自分を愛する心を、膨大な量のままで彼岸へと逃がして。この世にはない色を呈し始める。この世で栄えるはずだった自分を正しいと思う心を、どこにもない透明な無限の国へとのばして。

ぼくはこの世の人ではない人になる。この世で生きていたかった思いだけをこの世に残して。ぼくは旅立ちの人になる。もはや誰もぼくに触れない。

植えつけられたおそれは少年の祈りを削り取って、思いもよらない創造へと導く。どうしようもない運命は少年の心を彼方の国へと運んで、もはや誰もたどり着けない異国のまれびととなる。

 

 

・自作詩「時を止めた少年」

傷ついたとき人は 時を止める

時を止めた少年
水色の少年

注ぎ込まれた透明な雨
無尽蔵に愛を洗い流す

明日を見なくなった
過去を見なくなった

IMAという清流に足を浸す

□少年のままの顔をして
少年のままの服を着て
少年のままの色をして
少年のままの感性を放つ□

時が流れていないと
人々は訝しがった
時を受けていないと
人々は気味悪がった

あの子を傷つけた奴らが
一番にあの子をおそれた

時が青く凍りついて
青い樹氷は日時計を示して

白い月は空に止まる
澄んだ涙が頬を伝う

もう傷つきたくないと
心を閉ざしたこと以上に
少年は燃え始める
真理の国への出離の誓い

生まれる感触を
いつまでも知りながら

永遠という清流に足を浸す

 

 

・光へ

誰かがあの子に、おそれを植え付けることさえなかったら。誰かがあの子の運命を、咎めることさえなかったら。

いいえ。誰もがあの子におそれを植え付けた。植え付けない者などこの世になかった。誰もがあの子を責めることをやめなかった。その言葉は雨のようにあの子へと降り注いだ。それを正しいことだと誰もが胸を張っていた。間違っているものなどないと肩を並べて歩いた。もはや誰も、自らを罪人などにしなかった。

あの子におそれを植え付けることが、つながれたこの世の習いだった。あの子に自らを咎めさせることが、人々の生きている証だった。

どうしようもなく植え付けられた者たちよ。どうしようもなく傷ついた者たちよ。

定められた海鳴りの音を聞いて、この世にはない海を超えて行こう。なにひとつ持つものはない。誰ひとり伴うものはない。おまえだけに与えられた海がある。他の誰にも超えられない海がある。海の色も海の音も、みなそれぞれに違うけれども、海がどこかでつながり合うことを、果てしない闇の彼方に祈って。

植え付けたものたちを憎みはしない。傷つけたものたちに復讐を誓わない。

植え付けた闇さえも突き抜ける光を、傷つけた意味さえも打ち破る炎を。

 

 

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