ぼくたちは年をとる度に、時間の感覚が加速していくらしい。
ぼくたちは永遠へとたどり着けないというのは本当か? 〜旅が時間を操る〜
・時間の果てしない加速
・慣れ果ててゆく人生
・ぼくたちは死へとたやすく向かいゆく
・時の減速装置としての旅の発見
・旅は永遠へとたどり着く道
・時間の果てしない加速
覚えていないだろうか。小学校の夏休みは時間がものすごく長く感じたことを。覚えていないだろうか。自分にとって新しい、知らない道を通った時に、時間が何倍にも長く感じたことを…。
時間というものは不可思議なものだ。時間は時計という均等な機械が規則正しく刻んでくれるもののように思い込まされているが、ぼくたちの感知する時間は、それとはまったく異なることもある。1時間なのに、10分みたいに感じることもある。1時間なのに、1日にも感じることもある。時間の感覚は不確かに動き回るまるで生き物のよう。そしてぼくたちは、それを飼いならすことができないでいる。
ぼくたちは年をとる度に、時間の速さを感じる感覚が加速していくらしい。ぼくたちの平均寿命は80歳だから、40歳でやっとこさ折り返しのように思えるが、時計やカレンダーで均等に規則的に数えあげた“時間”に関してはそうであっても、ぼくたちが感知するぼくたちにとっての“本物の時間”はその限りではない。一説によるとなんと20歳で、ぼくたちの感知する時間としては折り返しとなるようだ。これをどのように数えあげたのかは定かではないが。
・慣れ果ててゆく人生
しかしこれには思い当たる節が無限にあるだろう。幼少期には1日が今よりも何十倍、何百倍の長さに感じたに違いない。夏休みの一日がとてつもなく満たされ、豊かで、はるかに長く、何をしようかと思いを巡らせたこともあるだろう。しかし年をとる毎にだんだんと時間は加速され、知らない間に5年、10年が過ぎていて驚くなんていうことは、大人にとってはよくあることらしい。20年前がまるで1年前のように感じられるのは、大人になり時間感覚がひどく加速しているからに他ならない。実際には20年の歳月を1年のように感じてしまっているのだ。このままではあと60年生きようが、3年生きた心地しかしなくなる。それはなんとなく損でもったいない気持ちにならないだろうか。
時間というものは一般的に、新しいものを感知するほど長く感じるらしい。なるほどこの考えは納得だ。たとえばこの世に生まれてきたばかりの赤ちゃんにとっては、世界のすべてが珍しく新鮮な存在となる。それゆえ生きているだけで新しいもの、未知なものに暴露され続けることになるが、そんな赤ちゃんや子供の感じる時間感覚は大人の感じるそれよりもはるかに長い。逆に大人になればなるほど知っているものが多くなっていき、世の中に慣れ果ててゆく。日常生活でどのような体験をしても、過去のどこかで既に経験したことばかりになり、何か感情を感じても、昔に感じたことのあるものばかりとなり、やがて大人の精神は既知の感覚を省略するために、時間感覚がはるかに短くなっていく。ぼくは最近60歳前後の人々とよく話すが、皆口々に30年を1年のように感じると言っていたのが印象的だ。彼らの感覚的時間の余命は、もはや1年以内となるのだろう。
これは日常的な感覚で言えば、知らない道を初めて通っていく際には時間がものすごく長く感じるのに、帰りにまたその同じ道を通ると時間がさっきよりはるかに短く感じるという出来事の中にも見出すことができるだろう。
・ぼくたちは死へとたやすく向かいゆく
このように感覚的時間は曖昧なものとしてぼくたちの人生を取り巻いている。そしてこのまま時間を加速させられたのならば、ぼくたちはひどく速い速度で死に向かっていくに違いない。感覚的時間の観点からすれば20歳でもう人生の半分なのだ。このような事実は意外であり戸惑う。ぼくたちは20際の時点では、あと5倍は生きられるのかとのんびり構えていたが、もう半分を切ってしまうなんてやり切れない。
死ぬということは予め決まっていることなので別にいいが(むしろどのような現象なのか興味深く楽しみでもある)、せっかくの生きている時間を、世の中に慣れ果てて精神を枯れさせることで加速させることなく、いつまでもみずみずしい感性で少年のように人生を生き続けることは不可能だろうか。そして本来の新鮮な時間感覚を取り戻し、豊かに人生を生き抜くことは困難だろうか。
・時の減速装置としての旅の発見
その端的な方法としてぼくは旅を発見する。旅ではなにもかもが新鮮で新しいものだらけだ。
言葉もできず、社会の仕組みもわからず、無力で無知な赤子のような存在となり、ぼくたちは再び赤子のように戻ることにより、彼らの持つ時間感覚を取り戻すことができる。彼らの持つ時間感覚は永遠だ。それは世界のあらゆるもの、なにもかもが新しいからに他ならない。そのような感覚に立ち戻ることで、さらに自分の持っている既知の感覚と絡め合わせることで、また新たな創造的感覚を手に入れることができるに違いない。
・旅は永遠へとたどり着く道
他の人々がどうなのか知らないが、永遠にたどり着くというのはぼくの人生のテーマのひとつである。この生命のあらゆる創造性を駆使して、物質的もしくは精神的に感性を昇華させ、その炎の中で永遠的な感覚へとたどり着き、そして永遠と一瞬が同じものであるという感覚を養うこと。
そのような感覚が浮世の中でどのように役立つかは不明だが、ぼくは野性的な直感で、真理のためにその感性が必要なことを知っている。旅はぼくを、永遠へと近づけさせてくれる道である。これまでもこれからも、ぼくは旅の中に真理を見出すことをやめないだろう。この命が尽き果ててさえも、なお。