お金を使うとなんだかスッキリする!!!!!
お金を使って買い物をするとストレス解消になるというのは本当か?
・お金を使って買い物をするとストレス解消になる
・お金を蓄える安心とお金を使用する歓喜
・お金を使って買い物をするとストレス解消になるというのは本当か? 〜税金の反例〜
・お金を使って買い物をするとストレス解消になるというのは本当か? 〜駐車場代の反例〜
目次
・お金を使って買い物をするとストレス解消になる
新型コロナウイルスの人々の自粛の影響で、世界中の経済が落ち込んでいるという。自分の生活と照らし合わせてみても、感染しないために家にばかりいてお出かけも旅行もしないのでものやサービスを買うということが全くなくなったので、世間の経済が低迷するというのはよく実感されるような心地がする。
そんな中おばあちゃんに頼まれてコンビニに買い物に行ってくると、安いお菓子を買っただけなのになんだか心がスッキリしたような気がして意外だった。お金を使い経済を回すということは、たとえ安価であろうと人の心や精神からストレスを解消させる効果があるようだった。
・お金を蓄える安心とお金を使用する歓喜
考えてみればおばさんや主婦が買い物をすることで日々の鬱憤を晴らしてストレスを解消させる様子を、テレビや物語の中や日常生活でもよく見かける。理屈は明確にはわからないがお金を使って経済を回すことは人の心からストレスを除去する働きがあるのだろう。
お金というものは今の時代で人が生きるためには絶対に必要なもので、貯金をして財産が増えれば増えるほど通常人の心は安心してゆくものだが、それと矛盾するようにしてお金を使用して自分の好きな物質やサービスを提供されることで人の心はストレスを解消し満たされたような気分になる。お金を使うということは、お金を貯めて安心するという気持ちとは別の種類の刺激的な歓喜を人の心にもたらすようである。
自分が頑張って労働して手に入れたお金で自分の好きな服を買ったり本を買ったりお菓子を買ったりすると心は満たされる。また自分の趣味としてお金を使って旅行に行ったり快適なサービスを受けることでも心はストレスを解消できる。
よく考えれみればぼくたちはお金という物質としての薄汚れた紙切れが欲しいわけではなくて、お金という紙切れの持つ価値、パワーが欲しいのだ。お金が放つ価値を所有すれば、自分の好きなものをいくらでも買って、自分の望むサービスを自由に受けることができ一時的に心が満たされていくことだろう。貯金としてお金の持つパワーを徒然なるままに蓄えたままで動かさないままでいるよりも、お金を使用することにより経済的な激流を起こして物質やサービスをもらい受けた方が、お金の持つ本来の意味を見出しているようで心地がよいのは当然だろう。
それでは人間はどのような場合でも、お金を使用すれば心が満たされストレスは解消されるのだろうか。
・お金を使って買い物をするとストレス解消になるというのは本当か? 〜税金の反例〜
ぼくが反例として真っ先に思い浮かんだのは「税金」だ。税金としてコンビニにお金を支払ったところで、全くストレス解消にならないどころかストレスが心に倍ほど蓄積してしまうのはぼくだけだろうか。どうして税金を支払うということは、こんなにも心が悲しみに満たされてしまうのは自分でも不思議である。税金を支払って他の買い物のように、あーストレスが解消したスッキリスッキリと感じる人は果たしてこの世にいるのだろうか。
税金としてお金を支払うということは、そのお金が自分を含め社会の役に立っているということなのでいいことのはずだが、その役立ちの様子が全く自分の目の前でありありと見えないことが、税金を支払う際の心の虚しさの原因だろうか。それとも強大な権力により無理矢理に理由をこじつけられてお金を奪い取られてるという、税金の真実の姿に気づいてしまっているだけだろうか。
お金を使用すれば通常、何かその対価としてそれ相応の物質やサービスをその場で提供してくれるのが当たり前だ。しかしコンビニで10万円近い税金を支払ったとしても、なんの物質もサービスも与えられないというのは驚愕に値する。論理的にいくらこれは税金だから10万円支払っても何も返ってこないのだということを自らに説得してみても、10万円支払っているのにその場で何も与えられないというめちゃくちゃな状況に脳の理解が追いつかないのが現状だ。
10万円を支払えば通常ならば、ものすごく美味しい食事が10回分くらい食べられたり、ゴージャスなホテルに何泊もできたり、価値のある素晴らしい洋服が返ってきたりするのが当たり前だ。しかし税金を10万円コンビニで支払った後に残るのは、なぜだかわからないが10万円がどこかに奪い去られたという喪失感のみである。これではストレスが解消されるわけがない。
・お金を使って買い物をするとストレス解消になるというのは本当か? 〜駐車場代の反例〜
またぼくが車で旅をしていて嫌悪するのが、駐車場代を支払うという行為だ。これは車をその場所に停めさせてもらっているというサービスを受けているのだからある意味支払っても当たり前な気がするが、なぜだか心が不思議な嫌悪感を抱いてしまうのだ。なぜ駐車場代を支払うという行為では、人の心はストレスを解消できないどころかストレスが100倍くらいに高まってしまうのだろうか。
駐車場代を支払えなどと言ってくるのは、だいたい土地の余っていない県庁所在地の都会や有名な観光地だと相場は決まっている。都会ではない場所では土地がそこらへんに余っているのでどこにでも車を停めてくださいという感じで、駐車場代など取られる気配はないのだ。もしかしたら駐車場代なんてだいたいどこも無料で駐車させるという行為に特に価値なんてないと感じられるのに、ある一定の人間密集地帯だけはお金を奪い取られるのに違和感があるのだろうか。
昔のちびまる子ちゃんのアニメで「地球はみんなのものなのに、どうして地面にお金がいるの?!変なの変なの!お父さんどうして?!」とお父さんに質問して、お父さんはその質問に答えられずまる子を軽くあしらっていた場面があったが、まさに人間みんなのものである地面に対してお金を支払うという行為が、心の奥に住んでいる少年の子供心に納得にいかないものがあるのだろうか。
もしくは車を止めさせてやるということが、本当にサービスなのかどうかという点も気にかかる。レストランなどで水を持ってきてくれたり、ご飯を運んでくれたりしてサービスを受けたならば、その人の働いた分のサービス代を支払わなければならないと納得もするが、駐車場なんて大概誰ひとりいないではないか。何の労働もせずにただ呑気に鼻でもほじくっているだけでお金を巻き上げようとする駐車場代というサービス自体に違和感があるのかもしれない。しかし何の労働もせずに動きもせずにお金を取れるから「不動産」というのかもしれないと、この文章を書いていて無駄な悟りを得た。
このようにお金を使って買い物をすることはほとんどの場合心のストレス解消へと繋がっていくが、いくつかストレス解消にならないどころかストレスの蓄積を助長する場合もあるので生きていく上で注意が必要である。