あなたは永遠の愛を誓いますか?
人間は永遠の愛を誓ってもいいというのは本当か? 〜中島みゆき「齢寿天任せ」の世界観と永遠の穢れについて〜
・「あなたは永遠の愛を誓いますか?」という西洋的結婚の方式
・人間は永遠の愛を誓ってもいいというのは本当か?
・中島みゆきのニューアルバム「CONTRALTO」の「齢寿天任せ」
・「齢寿天任せ」の歌詞は「結果オーライ」がラスト・ツアーである理由?
目次
・「あなたは永遠の愛を誓いますか?」という西洋的結婚の方式
結婚式を開催する際、日本人はなぜか西洋的な教会スタイルで行うことが多い。ウェディングドレスが華やかで美しいから女性に好まれるのだろうか。その結婚式では、神父さんが新郎新婦に誓いの質問をする場面が必ず設けられる。
「あなたは永遠の愛を誓いますか?」と神父さんは新郎新婦に尋ねる。そして彼らは必ず「はい」と返事するようなしきたりになっている。もしもそこで「いいえ」などと言ってしまえば、その時点で幸福な結婚式は終わってしまうだろう。
しかしぼくはいつもこの西洋式結婚式で質問される「永遠の愛を誓いますか」という質問にかなりの疑問を感じていた。本当に人間は、永遠の愛など誓ってしまってもいいのだろうか。
・人間は永遠の愛を誓ってもいいというのは本当か?
「永遠」ということは、本当にこの先ずっとと言うことだ。未来のことなんて誰にもわからないのに、この先ずっとの愛をその場で誓ってしまっていいのだろうか。それとも未来がどうなるかわからないからこそ、「誓う」のだろうか。
しかし、「永遠」というのは何もこの一生に限られた時間だけではあるまい。死んでからも、時間は永遠に続くのだ。永遠に愛するということは、死んでからも愛し続けるということだ。死んでからも永遠に愛し続けるなんて、死んだら人間はどうなるかわからないのに、そんな不確かなことを、結婚式という重要な場面で誓うなんて、むしろ軽率ではないだろうか。
片方が死んで片方が生き残っているならば、死んだ方を思って生き残った方が愛し続けるのは可能かもしれないが、両方死んだ後はどうなるのだろう。もしも輪廻転生があるとして、ふたりが生まれ変わった後でも、その永遠の愛の誓いの効力が魂のうちに残され、すっかり記憶から消えてしまった永遠に愛すべき人を探し続けながら、彷徨うように来生を生きることになったら、なんとも気の毒な話ではないだろうか。
来生も両方日本人に生まれたのならばまだ救いはあるものの(それでも再度巡り会うなんて不可能に近いと思うが)、男の方が来生でインド人として生まれ、女の方が来生ベトナム人として生まれたのならば、これはもう永遠の愛にとってどうしようもなく救いのない状況である。インド人とベトナム人は、前世で永遠の愛を誓ってしまったばっかりに、ここにいない人をさがしつづけ彷徨い続け、いつまでも欠乏感に苛まれながら一生を終えるのかもしれない。
本当に愛している人に、そんな来生を望めるだろうか。欠落した来生が前世の「永遠の愛」に起因するならばこれほど悲しいことはない。「永遠の愛を誓いますか?」という問いかけは、“永遠”というからにはきちんと死んだ後や来生のことまで考慮されているのだろうか。どうもそうとは思えず、そこに西洋的な思想の軽薄さがあるように思われる。
本当に相手のことを愛し、思いやれるならば、せめて「永遠」など誓わず、「今生限りの愛を誓う」とでも言い直した方がいいのではないだろうか。本当に愛しているのならば、一生を超えた後の世界で、相手が永遠という穢れに苦しむ姿など見たくはない。
・中島みゆきのニューアルバム「CONTRALTO」の「齢寿天任せ」
上記の文章のような内容は、ぼくがもう長年ずっと脳内で考えていたことだが、先日発売された中島みゆきのニューアルバム「CONTRALTO」の中に似たような歌詞が出てきたので共感を覚えた。その歌詞とは「齢寿天任せ」の歌い出しの部分である。
さようならは別段怖くない
怖いのは嘘つきになることです
いつまでも離れずにいますなんて
ありえない嘘をついてしまうことですいつまでと区切りましょう
突然で驚かぬように
・「齢寿天任せ」の歌詞は「結果オーライ」がラスト・ツアーである理由?
この「齢寿天任せ」は先日行われた中島みゆきのラスト・ツアー「結果オーライ」でも歌われた。「CONTRALTO」は最新のオリジナルアルバムであったにもかかわらず、収録曲で歌われたのはたったの2曲だった。その2曲にこの「齢寿天任せ」が含まれていたのには、どのような意味があったのだろうか。
ぼくはこの歌詞の中に、今回の「結果オーライ」がラスト・ツアーとなってしまう理由を中島みゆきなりに説明しているのではないかと感じられた。ぼくは「結果オーライ」の初日東京新宿公演に参加したが、彼女から明確なラスト・ツアーの理由は特に明かされなかった。その代わり彼女は、今回が全国を回るのは最後となってしまう理由を、彼女らしく歌詞に託したのではないだろうか。
さようならは別段怖くない
怖いのは嘘つきになることです
いつまでも離れずにいますなんて
ありえない嘘をついてしまうことですいつまでと区切りましょう
突然で驚かぬように
人間は時間的に限られた肉体を持っているのだから、もちろんいつまでも永遠にツアーで歌い続けることはできない。ずっとツアーで歌う続けますという顔つきをして、終わりを予感しているのに嘘をつきながら歌い続けることよりも、いっそこれがラストですと潔く区切りをつけたい、あなたたちを突然の終了により驚かせたくはない、のだと。
今回も名作!!!!!
セットリストあり!「CONTRALTO」を聞いてなくても中島みゆきラスト・ツアー「結果オーライ」初日を楽しめるというのは本当か?