苦しみは敵だというのは本当か? 〜自分自身の最大の親友の発見〜

 

ぼくたち人間は大抵、苦しみを憎んでいる。

苦しみは敵だというのは本当か?

・苦しみという敵
・生老病死の人の苦しみ
・脆く不安定な幸福
・苦しみという親友
・自作詩「波」

・苦しみという敵

苦しみなんてなくなればいいと思っている。悲しみなんて自分の元から去ってゆくことを願っている。そうすればその代わりに反対の幸福というものが訪れてくれる気がする。苦しみや悲しみのない世界に、その空白を埋めるように、幸福が対照的な存在として心に安らかさをもたらしてくれると感じる。

苦しみや悲しみは、幸福の敵であり、退けるべき存在だと決めている。しかしそのような考えでは、いつしか人生に行き詰まりを感じさせる時が訪れるかもしれない。

 

 

・生老病死の人の苦しみ

先日もここで書いたが仏教の根本原理は「人生は苦しみに満ちている」ことであるとされる。人間は誰しも生老病死、すなわち生まれて老いて病んで死んでいくという苦しみの中にいて、誰もそれから逃れることはできないのである。

少し考えてみればこれは確かに真実だと思われる気配がする。誰もが老い病み死んでゆく。老いなかったり、死なない人はこれまでの歴史上まったく存在しないようである。これらの苦しみから逃れる術が人間にはないとすれば、ぼくたちは生きる上において、何を心がければよいのだろうか、苦しみに満ちているのが人生の正体であるとするならば、幸福というものを受け取ることは不可能であるというのだろうか。

 

・脆く不安定な幸福

しかし生きている間に幸福を感じている人々もいることだろう。それはこの生老病死の苦しみから目をそらしているゆえなのだろうか。生老病死の苦しみをそんなに気にも止めなければ、人並みの悩みなどはありながらもたしかに気軽な幸福を感じながら生きることも可能であるかもしれない。特に若く健やかで美しい時代を生きる人々にとってはそのようであるだろう。

しかし若い時代を過ぎ去ったとき、老いや病や周囲の死など、どうしようもない苦しみから逃れられない運命を徐々に実感し出した時に、人は若い時代と同じように、なんとかなるという万能感を保ちながら、気軽な幸福を保ち続けながら生き続けることが困難になってくることもあるだろう。または若くとも、自分ではどうしようもない孤独な苦しみの運命を担う者たちにとって、人生は苦しみであるという思想は身近なものになるかもしれない。

生きるという苦しみの海に気付いた時に、人はどのようにしてその中にさえ幸福を見出すことができるのだろうか。

 

 

・苦しみという親友

苦しみを敵と見なしてそれを退けようとするのでは、幸福への道としては不適切である。なぜなら苦しみというのはぼくたちの人生そのものであり、それを否定することは自分の命さえ否定することにもなりかねないからだ。それに気づかずに、苦しみを退け幸福という対照的なものを取り入れようとする考え方は、苦しみという自分自身の人生を傷つけ、知らず知らずのうちにさらなる苦しみを呼び込んでいるだけかもしれない。

重要なことは、生きることは苦しみである、苦しみは自分自身の人生であるということ心の中で受け入れることではないだろうか。苦しみは生きる限り、この身にまとわりついてくるのだ。考えてみれば、生きているあいだ中ずっと自分自身に伴ってくれるものなんて、そう多くありはしない。親だっていつか死ぬし、友達だって入れ変わる、永遠の愛を誓い合った人ともあらゆる死によって別れさせられるのだ。好きな服だって変わるし、好みの本も移り変わる、思想だって通り過ぎてゆくだろう。人間は究極的には不確かで孤独な存在でしかありえない。それなのに、ずっとそばにいてくれるなんて、もはや苦しみは親友といってもよかろう。苦しみは敵ではなく、親友だと思いなした時に、その時はじめて自分の人生を自分の透き通った瞳で見ることが可能となり、そこから本当の人生が始まるのではないだろうか。

苦しみは自分自身に伴う、自分自身の最大の親友。そのように感じた、そこを起点として、それではこの苦しみという親友と、どのように歩んでいけば幸福が得られるのだろうと考えることは興味深い。苦しみを敵と見なしそれを退けた時に幸福という対照物が外界から訪れるわけではなくて、苦しみという親友を自分自身に確かに認めたその先に、その苦しみの中にこそ存在する幸福を確認することは可能だろうか。影があるから光が生まれ、死があるから生が認められるように、まさにそのようにして苦しみという海の中にこそ、対であるはずなのに確かにまったく同じものとして、幸福というものが存在するのかもしれない。陰と陽は複雑に絡まり合い、しかし結局はひとつのものとして、ぼくたちの心に迫ってくることだろう。苦悩を認めたからこそ、その絶望を起点として、苦悩と同じ意味であるところの幸福を発見できるという論理は、矛盾しているようでまったく矛盾していない興味深い思想である。

 

 

・自作詩「波」

悲しみよ、終わらないで
苦しみの雨よ、やまないで

あなたがいなくなるのではないかと
時々不安になるのです
あなたのことをふと忘れて
過ごす日々が増えるたびに

根源に燃える炎
終わるはずのない熱を放っている
奥底に潜む水
清流となり青い意味を注ぎ込む

炎と水
助け合い、打ち消し合い
この命のさなかで巡り会う
絶え間ない波を生み出す

安らかな聖地などない
常に蠢く海原の上
戦争は生きる限り続くよ
ぼくたちの瞳には見えぬとも

ぼくの中の波よ、やまないで
沈降と隆起を繰り返し
滅びることのない透明な循環
新しい創造が顔を出す

悲しみはぼくを愛している
苦しみの雨は親友
もう惑わないあなたたちを
おそろしいと指さす人々の声には

 

 

 

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