関西地方でも空海(弘法大師)が厚く信仰されているというのは本当か? 〜司馬遼太郎「空海の風景」〜

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お大師さんにおすがりして静かにあの世に行きなさい。

関西地方でも空海(弘法大師)が厚く信仰されているというのは本当か?

・司馬遼太郎「空海の風景」とNHKスペシャル
・NHKスペシャルで印象的だったおばあさん「すべてお大師さんのおかげ」
・関西地方でも空海(弘法大師)が厚く信仰されているというのは本当か?
・お大師さんにおすがりして静かにあの世に行きなさい

・司馬遼太郎「空海の風景」とNHKスペシャル

司馬遼太郎の著書「空海の風景」は、断片的な古代の歴史的資料と想像力を元に、空海の一生がどのようなものであったのか、空海という天才はいかにして成立したのかを書き記したもので、司馬遼太郎自身は自分の作品の中でこの「空海の風景」を最も好んだと言われている。

この「空海の風景」を通して空海の一生を辿ってみようという試みがNHKスペシャルで放送されたらしく、昔むかしにYouTubeに上がっていたその全編を見たことがあった。ぼくが空海の人生に詳しく触れたのはそれが最初である。空海が開いた天空の宗教都市、高野山の麓で生まれ育ったぼくにとって、そして世界で最も美しいのは高野山だと信じるぼくにとって、空海は人生の中で存在感を示していたが、それでも両親や他の家族から空海についての物語を聞かされたことは一度もなかったので、これは絶好の機会だった。

NHKスペシャルの「空海の風景」を見てから当然司馬遼太郎の本の方の「空海の風景」を見たくなって、たまたまおばあちゃんの家に昔購入されたと思われる「空海の風景」が上下巻ともあったので、これはラッキー買わなくて済んだと幸運に思い、早速読んでみた。当たり前だがテレビ番組よりもより濃厚に空海の人生や司馬遼太郎の思いに触れることができ、やはり原作を読んでよかったと感動した限りである。

 

 

・NHKスペシャルで印象的だったおばあさん「すべてお大師さんのおかげ」

NHKスペシャルの「空海の風景」を見ていると、香川県讃岐国出身の空海の特集なのでたくさんの四国の風景が出てきた。その中で香川県の魚市場で働いている元気な93歳のおばあちゃんが取材に応じていた姿が強くぼくの中で印象に残った。彼女のなんだか関西弁とも違う、四国の独特の関西弁と中国地方の喋り方が混じっているような?不思議ななまりに惹きつけられるものがあった。

「(年齢は)93!」「まだ若い若い!」

彼女は弘法大師についての厚い信仰心を語っている。信仰心というよりも、四国に住んでいるお年寄りにとって、このような感覚は至極当然のものなのだろうか。

「お大師さん参るで!お大師さん朝に晩に信心して拝みます。お大師さんのおかげでなぁ動けるんやがな。人間はなぁ自分の力で動けると思ったら大きな間違い!神仏のおかげで動ける!」

このように自分の力で人間は動いているわけではない、神仏などの力があるからこそ生きていられるのだという仏教的な“他力”の思想が、四国に力強く生きている普通のお年寄りから語られることは感動的だ。

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最近のぼくたち若い日本人はこのような感覚を喪失してしまっていることだろう。自分に力があるからこそ自分は歩けているのだ、自分の思い通りに体も心も動かせているのだと思い上がりながら人生を歩んでいるに違いない。しかし実際に自分自身や他人の人生をよく観察していても、自分の思い通りに人生を運ばせられる人はいない。誰もが何か大きな力(それを神仏の力というか何と名付けるかは自由だが)に支配され翻弄されながら、一生を終えていくだけであるので、彼女の発言は実に正しいのではないかとぼくは思う。自力で生きられるには限りがあり、自らの感じる自力さえ本当は他力かもしれないのだ。

 

 

・関西地方でも空海(弘法大師)が厚く信仰されているというのは本当か?

このように空海を語ってくれる家族が、高野山の麓の街であるにもかかわらずぼくの周囲には皆無だった。高野山は四国88箇所霊場のお遍路を巡って最後に行くべき聖地であるにもかかわらず、お遍路のことさえ教えてもらった試しはない。関西の人々はあまり空海に関心がないのだろうか、という感覚が実際にそこで生まれ育ったぼくの中にはあった。

それに対して四国のお遍路を88箇所車中泊で回ってみて感じたことは、すべてのお寺が空海にまつわる伝説を持っており、その境内にメインとなる本堂とは別の「大師堂」を必ず有し、満濃池や御厨人窟などお寺の外であっても空海の伝説の舞台となった場所は多かった。まさに空海の出身地四国という島は、空海の大地と言っても過言ではないほどの趣があったのだ。

 

 

・お大師さんにおすがりして静かにあの世に行きなさい

(自分の家族やその周囲に限った話ではあるものの)四国に比べて関西のこの空海に対する信仰心の薄さは何だろうと疑問に思っていたところ、ぼくのひいおじいちゃんの一代記の本が発見されたので読んでみた。その中には梅田で商売をして大きな富を築いたものの戦争でそのほとんどが失われた話や戦争自体の話、妻や子供たちの家族の話や自分自身の仕事の話や不思議な心霊体験なども書かれていたが、最も印象に残っていたことには、その文章に「弘法大師」への厚い信仰心が刻み込まれていたことだった。ひいおじいちゃんの文章の中では「弘法大師」は必ず大切な人の死の場面に登場するのだった。

お大師さまが出てきた場面はこの本の中で2度ある。次女に先立たれた時と、妻に先立たれた時だ。次女は元々体が弱く戦時中に亡くなってしまったという。その時の別れの場面は非常に印象的だ。

”二十一日の朝、急に容体が悪くなり、遂に回復できず十八でこの世を去った。亡くなる朝節子から

「お父さんの嘘つき。私が死にそうになったらきっと助けてやると約束したのに……」

と言われて私は返事に困った。

「お父さんの力で何とかお前を助けてやりたいと一生懸命介抱したけれど戦争中で充分なことができず本当にすまなかった。

お大師さまにおすがりして良い所へ行きなさい。」

と言って聞かせたら素直に得心して両手を合わせて

「南無大師遍照金剛」

と唱えて静かに息を引き取った。”

この場面こそまさに、ぼくの故郷でも古来より弘法大師信仰が確かに深く息づいていたことを示している確かな証拠だろうと感じた。死という人間にとって重要な旅立ちの瞬間にはお大師さまにおすがりするという昔からの人々の祈りは、科学技術や医学の発達と共に少しずつ失われつつあるのだろうか。さらにひいおじいちゃんが妻に先立たれてしまう場面にもお大師さまは存在している。

”三月に入院して間もなくのことだった。「おじいちゃん、今度は良うならんと思う……。」と淋しそうに言って涙を浮かべていた。「一度は誰でも死なねばならん運命だ。お大師さんにおすがりして静かにあの世に行きなさい」と私は返事した。”

読んでいてなんて美しい言葉だろうと思った。このような言葉を今生きている人々は、死にゆく者に対してかけることができるだろうか。死というものを自らの中でしっかりととらえて、救いへと昇華し、その思いと言葉を死にゆく人々へ与えることができるだろうか。ぼくも死ぬときにはこのひいおじいちゃんの言葉を思い出そうと思った。

「一度は誰でも死なねばならん運命だ。お大師さんにおすがりして静かにあの世に行きなさい」

 

 

 

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