中国のたくさんの国旗は、中国の不安と脆弱を自ら示しているような気がした。
国旗を多く掲げるほどに国家の偉大さが示されるというのは本当か? 〜多いほどに垣間見える中国の不安と恐れ〜
・中国ではどこでも赤い国旗がはためいていた
・少数民族たちに国旗を持たせる笑顔のパフォーマンス
・国旗の多さが逆に国家の不安と恐れを露わにしている
・日本の街には国旗が異様に少ない
・中国ではどこでも赤い国旗がはためいていた
ぼくは45日間、雲南省から貴州省から桂林から廈門という、南中国横断の旅をした。中国の旅の中で最も気になったことは、中国の国旗が異常に多いことだ。とにかくそこらへんに中国の赤い国旗が掲げられ、ぼくたち旅人はもちろんのこと、そこに住んでいる中国人の住人たちも、自分は中華人民共和国に所属する人間なんだと意識せざるを得ない。
国旗が特に集中して設置されているのは、これまた迷惑なことに美しい写真スポットなどだ。お、ここから写真を撮ったらさぞかし綺麗だろうという風景の場所に限って、中国の旗が無数に赤々とはためき、思い描いていた情緒とは別の写真ができあがってしまう。中国に入国した当初はその無数の旗を見て、ああ中国にやって来たのだなぁという旅情も感じていたのだが、しばらくすると多すぎじゃない?また国旗なの?と呆れるほどにまでなっていった。
どうしてこんなにも、中国の街には国旗が多いのだろう。
・少数民族たちに国旗を持たせる笑顔のパフォーマンス
また街に国旗が掲げられているだけでは物足らず、様々な種類の少数民族たちに中国の国旗を握らせ、みんなで笑顔で旗をふるというなんともわざとらしい演出が大きな映像に流れているのもよく見かけた。
ここまで国旗というものを大々的に主張し、どこであろうと見せつける姿勢は、中国という大国の偉大さを見せつけているというよりはむしろ、中国という国が国民を信頼しておらず、いつの日か彼らが国に向かって反逆してくるのを必死に抑え込むために、なんとか国家への忠実な所属を促そうと必死に頑張っているような気さえした。中国という国家は、国民に対して不安を持ち、臆病になって怯えているのではないだろうか。
・国旗の多さが逆に国家の不安と恐れを露わにしている
中国南部を旅して実感したことだが、中国という国には本当に多くの少数民族たちが暮らしている。中国人のメインは漢民族だが、その他にも雲南省のナシ族や白族やチベット族、貴州省のミャオ族やトン族、またモンゴル族など本当に多くの種類の民族の人々と触れ合った。中国の少数民族の合計は55種類とも言われる。
日本には大まかに言えば日本民族しかいないのでほとんどの日本人の頭の中では国家=民族であり、それゆえにこの中国の感覚は分かりにくいが、ひとつの民族でひとつの国家が作られたわけではなく、たくさんの民族たちを取り入れてこそ中国という大国が構成されているようだ。おそらく世界中のほとんどの国が、国家と民族を不一致にさせながら営まれているのだろう。
世界史を勉強していればわかることだが、日本が天皇のもとでずっと日本であることはむしろかなり珍しく、中国大陸の方ではとめどなく国家が滅亡し、また興り、幾たびも形を変え名前を変え、国家を目まぐるしく推移させながら今の中華人民共和国の姿になっている。しかし歴史から学べるように、中国大陸では国家というものはすぐに滅んでしまう脆いものなのではないだだろうか。国家というものが常に移り変わっていくことを知っている中国大陸の人々にとって、心を寄せるべきものは国家などではなく民族であるということをきちんと理解してしまっているのではないだろうか。
そしてこんなにも多くの種類の民族たちを、ひとつの国家へと帰着させるというのはいつの時代も無理があるのだろうか。チベットやウイグルのように、またその他の民族においても、国家へと向かい反逆する可能性は常に潜んでいる。異様に多い国旗の数は、国家の不安と反逆の心を抑え込もうとする権力が見え隠れして、見ているこちらまで不安定な気持ちにさせられてしまった。
・日本の街には国旗が異様に少ない
日本というのは、逆に街中の国旗が異様に少ない国だと思う。世界中を旅してみても、こんなに国旗が少ない国が他にあるだろうか。これは日本という国家がだいたい日本民族で構成されており、分裂したり崩壊したりする可能性が極めて低いことを示唆しているのだろうか。やはりひとつの国家というものは、ひとつの民族だけで構成した方が安定するものなのだろうか。それともひとつの民族だと思い込ませる何らかの力が重要なのだろうか。
いずれにしても日本という国は、中国に比べて格段に“まとまり”が感じられる国であることに間違いはないのだろう。2500年以上天皇という存在のもとでまとまりを感じてきた歴史があるのならば、国家にとってこれほど心強いものはない。