「弘法にも筆の誤り」にもうひとつの意味が存在していたなんて!!!!!
「弘法にも筆の誤り」の由来と2つ目の意味とは?!弘法大師が「応」の字を間違ったままにしていたというのは本当か?
・「弘法にも筆の誤り」の弘法とは弘法大師、すなわち空海のこと
・「弘法にも筆の誤り」の由来と一般的な意味
・衝撃!「弘法にも筆の誤り」にはもうひとつ別の意味が存在していた
・「弘法にも筆の誤り」には「名人は直し方さえも常人とは異なる」という別の意味も含まれている
目次
・「弘法にも筆の誤り」の弘法とは弘法大師、すなわち空海のこと
有名な日本のことわざに「弘法にも筆の誤り」というものがある。弘法とは弘法大師、すなわち空海のことだ。弘法大師は平安時代のお坊さんで、四国の香川県に生まれた。聡明な神童だった弘法大師は都にあった当時日本唯一の大学へ入学するが、儒教的な処世術ばかりを教える大学の勉強に嫌気がさし、生命の本質や真理を知りたいと志し退学を決意し、山野を放浪しながら仏教修行を続けた。
やがて留学するために唐へ渡り、長安で密教の真髄を学ぶ。当時の密教はひとりの師からひとりの選ばれた弟子へと受け継がれるものだったが、なんと日本から来たばかりの留学生である弘法大師がその後継者に選ばれ、すぐさま密教を伝授されたという。密教を授けられ唐での用が済んだ弘法大師はそのまま日本へと帰り、やがて紀伊山脈の真ん中に密教の聖地である高野山を開いだ。高野山は今でも弘法大師がもたらした密教を伝え続けている、神聖な天空の仏教都市である。
・「弘法にも筆の誤り」の由来と一般的な意味
弘法大師は平安時代の三筆に加えられるほどに字を書くのがうまかった。そんな弘法大師が天皇の命を受けて応天門の額を書いたが「応」の字の「心」の一番上の点をひとつ書き落としてしまった。 弘法大師のような書の名人でさえ書き損じることもあるのだ、どんなに上手な人でも失敗することがあるのだという慰めとして、「弘法にも筆の誤り」ということわざが使われるようになったという。
・衝撃!「弘法にも筆の誤り」にはもうひとつ別の意味が存在していた
とここまでならば日本人の誰もが知っている一般常識的な内容かもしれない。「弘法にも筆の誤り」ということわざが、たとえどんなに上手な人でも失敗することもあるさという意味であるというくらい誰もが知っているはずだ。しかしぼくが最近知って驚いたのは、実は「弘法にも筆の誤り」にはもうひとつの別の意味も含まれているという事実だった!
・「弘法にも筆の誤り」には「名人は直し方さえも常人とは異なる」という別の意味も含まれている
実は弘法大師が「応」の字の「心」の一番上の点をひとつ書き忘れてしまったとき、なんと揚げられた額に筆を投げつけ、見事に「応」の字を完成させてしまったという伝説が残っているという。つまり一般的な「その道に長けた人であっても失敗することもある」という意味の他に「名人は直し方さえも常人とは異なる」という意味が含まれているという。
なんと弘法大師が「応」の字を間違ったという伝説から「弘法にも筆の誤り」ということわざまで生まれたというが、さすが弘法大師は「応」の字をそのまま間違ったままにはせずに、ダイナミックで大胆な筆を投げつけるという方法ですぐさま正しい「応」の字に修正したということらしい。いやはや恐れ入ったと言う他はない!
誰もが知っている「弘法にも筆の誤り」ということわざに、こんな別の意味も含まれているなんてとても意外だ。もしもこの知識をみんなの前で披露したならば、ちょっと物知りな人として尊敬されるかもしれない。
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