争い合わないことが正しいというのは本当か?

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ぼくたちはこの世の中で、大いに争わなければならない。

争い合わないことが正しいというのは本当か?

・人間という樹木はぶつかる
・争い、ぶつかり、語り合うべきぼくたちの生命
・戦争について
・自作詩「孤独な戦争」

・人間という樹木はぶつかる

人を傷つけることはよくないことだと人は言う。しかしこの世の中で、人を傷つけず、また傷つけられずに生きていくことなどできるだろうか。それは本当に生命のふさわしい真実の姿なのだろうか。人間という自我が芽生えている限り、ぼくたちはぶつかり合い、傷つけ合う運命にある。

人間は樹木に例えられることがある。天へと高く伸びていく数多くの枝は自我の象徴だ。人間という樹木が近隣に密集して生きている限り、数知れないほどの枝葉はお互いにぶつかり合い、衝突し合い、傷つけ合う。それは近くで関わり合って生きている限りの人間の運命である。人間は精一杯に生きて自我を張り巡らせいるからこそ、大いに傷つけ合い、ぶつかり合うことができるのだ。もしくはそのようにして生じた摩擦熱が、人間の存在という熱量の正体かもしれない。

この世に精一杯自我を張り巡らせて真剣に生きている限り、ぶつかり合わないことなど決してありえない。誰も傷つけず、誰にも傷つけられず、そしてなにひとつ罪を持たない生命がいるとしたならば、それは偽物の生命ではないだろうか。もしくは生きているつもりで、死んだように自我をひた隠しにしながら生きているだけの虚像の塊かもしれない。

 

 

・争い、ぶつかり、語り合うべきぼくたちの生命

人を傷つけることはよくない、人とぶつかり合うことは悪だという世の中の偽物の言葉に流されてはならない。この世では、真剣に生きていれば生きているほど、人を傷つけ、また傷つけられ、大いに命は燃え盛ってゆく。それはまるで真剣に人間を救済しようとする不動明王のように。

不動明王が怒っているというのは本当か?

誰も傷つけないように、ただ和を乱してはならないと自己を制御している自分自身を決して誇ってはならない。それはただ、傷つけられぶつかり合うことを恐れて命を燃やすことをたじろいでいる虚ろな生命の幻影である。

人間は傷つけ合うものなのだと、ぶつかり合うことが当たり前なのだと、そのように受け入れることから真の生命の船出は始まる。傷つけあってもいいのだから、ぶつかり合ってもいいのだから、真実の中を生き抜くように、大いに自我を張り巡らせ、語り合い、心を交わし合うことこそ真の人間の生き方である。真実で語り合わない生命を、生きているとは呼ばない。言葉が尽きるまで、心と言葉が一致し満たされるまで、ぼくたちは問い合い、聞き合い、語り合おう。

あなたが“逆らって”いるというのは本当か? 〜言葉が悪意をまとっている〜

誰もが真実の生命を生き抜くためには、清らかに争い合わずにはいられない。語り合わない者は人ではない。真剣に生きるあまりに誰かを傷つけてしまったかもしれないと、悩む夜更けも人生の趣としてよいものだ。しかしその悩みは、真剣に人と向き合い語り合うことなしに時を過ごした胸の痛みに比べればはるか小さい。

 

 

・戦争について

戦争は愚かなことだと、当然のように語られる。しかし人間の歴史の中で、戦争がなく争いが絶えた時代がいつあったというのだろうか。人間はいつの時代も争い合い、憎み合い、殺し合っている。どんなに戦争の愚かさを主張しても止むことのない争いというものは、実は人間の犯した間違いではなく、人間自身の正体ではないだろうか。

ひとりの人間が樹木のように自我を張り巡らせている限り、ぶつかり合わないことなどありえないように、そのひとりひとりの人間が集合した人類というものが、ぶつかり合い争い合うことは当然の成り行きではないだろうか。それを教科書に書かれているとおりに、自分自身の頭で考えもせずに、戦争を悪と決めつけることは軽薄な考えではないだろうか。戦争とは悪ではなく、人間の正体そのものではないだろうか。

もちろん戦争は悲しいし起こってほしくはないものの、人間の性質が争いに根ざしている気配を保っている限り、どんなに悲しく思っても、大きな人間同士の争いはいつまでも起こるだろう。

 

 

・自作詩「孤独な戦争」

ボクにはボクの傷があって
キミにはキミの傷がある

ボクの傷はキミのものじゃない
キミの傷はボクのじゃない

キミの傷をボクは知らない
ボクの傷をキミは知らない

キミの傷はボクに関係ない
ボクの傷もキミとは無関係だ

「痛い」だなんてもがく君を見て
美しく手を差し伸べる人たち
まるで君の痛みをすべて
知っているような顔をしてるね

ぼくはと言えば痛む君を見て
冷たく「あなたの痛みは分からない」と言おう
君は君の痛みを抱えて生きてゆけよ
ぼくはぼくの痛みを抱えて生きていく

いつの日かぼくら お互いに笑い合えるだろう
共に誰も知らなかった 孤独な戦争の日々を語ろう

 

 

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