ぼくはおばあちゃんっ子だった。
女より男の方が偉いというのは本当か? 〜おばあちゃん>おじいちゃん〜
・男の方が女より偉いというのは本当か?
・お父さんよりもお母さんの方が存在感が大きい
・おじいちゃんよりもおばあちゃんの方が偉い
・「おばあちゃんの家」
・男の方が女より偉いというのは本当か?
男女平等が叫ばれて久しいが、社会的にはまだまだ昔ながらの男の方が上であるという風潮も完全には消え去ってはいないように感じられる。たとえば家族という人間の集団を考えれば、やはりお母さんよりもお父さんの方が家の代表という感じがするし、それに対して別に誰も不満を言わずに認めている気配がある。
しかし社会的には男が代表的だと認められていても、子供たちにとってはどうだろうか。
・お父さんよりもお母さんの方が存在感が大きい
お父さんの方がお母さんよりも家の代表という気配はあっても、幼い頃のぼくにとってはお父さんよりもお母さんの存在の方が大きかったように思う。ぼくに限らず、もしかしたらほとんどの子供にとってはそうではないだろうか。
子供たちは幼い頃から、お母さんのお腹から生まれてきたのだとか、お母さんのおっぱいを飲んで育ったのだとか、自分の生命がお母さんに根ざしているという物語をたくさん聞かされる。そのような物語を聞いて子供たちは、自分の生命はお母さんあってのものなのだと母親に神秘性すら抱くようになる。しかし、お父さんと言えばどうだろうか。
子供たちは生命誕生の仕組みの生々しい詳細を幼い頃は教えてもらえないので、お父さんという人間が自分の生命とどのように関わっているのか非常にわかりにくい。ぼくも小さい頃は、お母さんがお母さんである理由(お母さんのお腹から出て来たから)はわかっても、お父さんがお父さんである理由がまったくわからずに困惑した。そして自分の生命とはあまり関わりのなさそうな(実際どのように自分の生命に関わっているのかまったくその仕組みを大人は教えてくれない)お父さんという人間は、たまたまお母さんと一緒にいる男性だからお父さんなだけで、別にそこらへんの他の男性とでも代替可能な取り換えのきく人物なのではないかと疑っていた。
そのように自分の生命との関係性があやふやで詳細不明なお父さんという人間よりも、自分がこの人のお腹から出てきたのだというわかりやすい確かなつながりを感じられるお母さんの方が、子供にとって存在感が増すのはごく自然な現象である。お父さんが仕事でお母さんよりもたくさんお金を稼いでこようが、子供達にとってそんなことはさほど重要ではないのだった。
・おじいちゃんよりもおばあちゃんの方が偉い
しかしお父さんはまだいつも家に一緒にいるので、お母さんと比べてそんなに存在感が少ないということもなかった。ぼくが子供の頃にものすごく存在感の違いを感じたのは、おじいちゃんとおばあちゃんである。
ぼくは両親が共働きだったので、幼稚園や学校から帰るとおばあちゃんがいつも家で待っていてくれた。家に帰ればおばあちゃんがいるし、おばあちゃんは料理を作れるし、洗濯もできるし、お菓子だってくれるし、たまにお小遣いもくれるし、子供のぼくにとっておばあちゃんは絶対的な存在となっていった。家事全般をこなしてくれていたおばあちゃんは、ぼくの生命にとってかなり重要な存在だと子供ながらに鋭く感知していたのだった。
毎日家に来てくれていたのはおばあちゃんだが、しかしごく稀におばあちゃんが家に来れないときはおじいちゃんが来てくれることがあった。しかしぼくはそれがあまり好きではなかった。おじいちゃんは家事もあまりできないし、お菓子の場所もわからないし、子供ながらにおばあちゃんと比較してなんだか生きていく力の乏しい存在だと見なしていたのである。
・「おばあちゃんの家」
本来ならば、おじいちゃんの方が立派なのだ。おじいちゃんがきちんと社会でしっかりお金を稼いでくれたからこそ、家族を養うことができ、子孫も繁栄し、ぼくたちが楽しく何不自由なく暮らすことができているのだ。おばあちゃんがたまにくれるお小遣いだって、おじいちゃんが稼いだお金に他ならない。
しかしそのような経済的観念や社会的地位は、子供たちにとっては非常にわかりにくい。子供たちにとって本能的に重要なことは、社会でお金を稼いでくるかどうかよりも、家できちんと家事をこなし、生活する能力があり、自分という小さな生命を養っていくための術を持ち合わせているのかということだった。幼いぼくにとっては、完全におじいちゃんよりもおばあちゃんの方が偉かった。
ぼくはおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる家を「おばあちゃんの家」としか呼んだことがない。本来ならばおじいちゃんが稼いだお金で建てた家なのだから、おじいちゃんの家と呼ぶべきだ。しかし小さい頃のぼくは完全におばあちゃんの方がおじいちゃんよりも素晴らしく偉い人だと思っているので、おじいちゃんの家と呼ぶなんて考えられなかった。
このように、社会的通年では男の方が上と見なされているような場合でも、幼い子供たちがそのような観念を認めているとは限らない。