サッカー男子はさわやかでかっこよくてモテモテだというのは本当か? 〜サッカーは狩りの化身〜

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サッカーを見るとぼくはいつも原始時代に思いを馳せてしまう。

サッカー男子はさわやかでかっこよくてモテモテだというのは本当か? 〜サッカーは狩りの化身〜

・サッカー男子はさわやかでかっこいいというのは本当か?
・サッカー男子はまさしく原始時代の狩りをする男子そのもの
・狩りという幸福な本能的労働を奪い去られた男子たち
・サッカー男子がモテるというのは本当か?

・サッカー男子はさわやかでかっこいいというのは本当か?

サッカーをしている男子というのは爽やかでかっこいいというイメージがあり、中学や高校でもよくモテているようなイメージがあるが、実際のところどうなのだろうか。

ぼくはサッカーという競技を見ていると、あのスポーツは現代に残された「原始時代の狩り」の名残ではないかと思ってしまう。

 

 

・サッカー男子はまさしく原始時代の狩りをする男子そのもの

原始時代では男子たちがチームを組んで石槍などの武器を持って、獲物のマンモスをウッホウッホと協力しながら追いかけて狩りをしていたというようなイメージがある。アニメか漫画で何度も見かけたであろうその原始時代の狩りの風景が、現代でサッカーをしている男子たちの姿に合致するのだ。

もちろんサッカーという競技においてボールを追いかけている男子たちはそのまま狩りをする原始人の姿、ボールはマンモスなどの獲物の姿である。マンモスだけじゃなくて、うさぎとか鹿とかも追いかけていたのかもしれない。とにかく楽しそうにサッカーをしている男子たちの風景を見かけると、原始人たちが楽しそうに獲物を追いかけて生きるために必死になって狩りをしている姿が浮かんでしまうのだ。そんな変な見方をするのはぼくだけだろうか。

 

 

・狩りという幸福な本能的労働を奪い去られた男子たち

しかし時代が進んで人間の生活様式が変化するにつれて狩りなんてしなくてよくなった。狩りではなくもっと効率的で合理的な酪農が発達したからだ。ほとんどの男子たちは狩りを引退し、会社に入ったサラリーマンをやったり、公務員になって安定した給料をもらったり、自分で会社を経営して頑張っている人もあるかもしれない。

しかしそんな彼らも本当は心の奥底で、狩りをしたいという原始時代からの欲求がまだ残されているのではないだろうか。会社で書類を作るよりも、商売で金を生み出すよりも、作り笑いにまみれた時間を過ごすよりも、もっともっと直感的に本能的に精一杯やりたい労働があるのではないだろうか。自分自身の肉体で自分や家族たちを養う獲物を獲得する、そんな野生的な行動を時代の流れに奪い取られて、心は虚無の状態に陥っているのではないだろうか。

そんな心の空洞を埋めてくれるのが、現代において最も原始時代の狩りの形態に似ている、まさしく狩りという行為から進化してたどり着いたのではないかと疑ってしまうほどに似ているサッカーではないだろうか。いや、サッカーだけに限らずバスケットボールなど流れ行くボールを必死に追いかける球技全般がそうなのかもしれない。

男子たちは時代の流れによって奪い去られた本能的な狩りの欲求を、サッカーという競技で満たして幸福になるのではないだろうか。彼らが本当に追いかけているのは、ボールではなくて昔むかしの懐かしいマンモスや、うさぎや、鹿なのではないだろうか。

 

 

・サッカー男子がモテるというのは本当か?

もしその仮説が正しければサッカー男子が女子にモテるというのも頷ける。ボールを巧みに操れるというのは、上手に狩りができるということの象徴だ。サッカーができるならば、この男は狩りでたくさんの肉を家に持って帰ってくれるに違いない!都合よくたくさんの肉を家に運び、たくさんのタンパク質を摂取する生活ができ、だからこそ子供を作って遺伝子を未来に残すのにとても有利になるから、この男をゲットしたいと女子の本能や直感が即座に指し示すのではないだろうか。

狩りが苦手な男子でも、山でキノコを採るのが得意とかタケノコを見つけるのが得意とか言って、狩り得意男子に張り合う草食系男子も原始時代にはあったかもしれないが、やはりどんな時代でもマンモスを持って帰る系男子が一番にモテるのではないだろうか。根拠は全然ないけれど、やっぱり”マンモス男子”と”キノコ男子”だったら、より多くの栄養価を運んでくるマンモス男子の方がよくモテるような感じがする、知らんけど。

 

 

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