時間が直線であるというのは本当か?

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数学や物理学など理系の学問に触れた人々ならば馴染み深いかもしれないが、時間というものは規則正しい直線で表されることが多い。

時間が直線であるというのは本当か?

・整然とした合理的な直線時間
・時間は円環であると歌う中島みゆき
・時間は水玉であると歌う谷山浩子
・時間は螺旋であると歌う武田鉄矢
・時間という鏡面
・自作詩「時の異国」

・整然とした合理的な直線時間

直線的な時間は合理的に時間というものをとらえ、それを計算したり微分積分したり世界の現象になぞらえて利用するのに非常に便利であるといえる。直線的な時間は継続的であり途切れることはなく、ねじ曲がることもなく、また直線の長さに応じて平等に時間の長さが当てはめられており均等でずれがない。

そのように整然としたまっすぐな時間はなんとなくとらえやすく、時間というものそのものの形が直線であるのではないかとぼくたちはいつの間にか思い込んでしまう。しかし言うまでもなく、時間というものは目には見えない。目には見えないどころか存在するのかさえよくわからない不可思議なものだ。それなのに人間は皆それにいつしかとらわれて生きていかねばならなくなる。不可思議で奇妙な、しかしぼくたち人間とは切っても切り離せない時間というものを、果たしてぼくたちはどうとらえていけばいいのだろうか。

 

 

・時間は円環であると歌う中島みゆき

「まわるまわるよ時代はまわる」という歌をセカンドシングルとして世に出したのは中島みゆきである。その歌の名は“時代”。彼女は初期のセカンドシングルでたまたまこのような時間の形状をとらえたものを発表したというわけではなく、その後40年経ってもなお、円環的な時間の概念や輪廻転生を歌い続けている。彼女にとってまわっているのは時間だけではなく、それに伴った命さえ円環として回転しているととらえているのだ。そして永遠に続き止まることのない生命の転換に思いをはせ、そこから抜け出せない因縁や人間の業までも歌として創造し、その創造力は主として「夜会」において発揮されている。

考えてみれば、この世で大切なものというのはだいたい回っている。地球だって太陽のまわりを回っているし、電子だって陽子のまわりを回っている。季節だって回って元に戻るし、昼と夜だって回って帰ってくる。生命や時間がまわるととらえてもまったく不思議ではなかろう。

 

・時間は水玉であると歌う谷山浩子

「ぽぽぽぽ 無色の水玉時間」と12枚目のアルバムで歌ったのは谷山浩子である。理系的な均等で整然とした直線の時間の観念を的確に覆しているようでとても新鮮な表現だ。谷山浩子は次のように歌う。

「あなたに会えない時間が流れる
数えきれないほどの時間 時間 時間の粒は
ガラスに並んで転がる雨粒」

彼女は時間とは雨粒だと言うのだ。雨粒と直線とは対照的な存在であるように思われる。雨粒は大小すべてバラバラだし、お互いの距離も均等ではないし、継続もしていない。これはまるで直線的時間と正反対である。直線的時間が合理的、都会的、男性的と表現するなら、このような時間の観念は、粗野で、野性的で、女性的であると言えるだろう。そのような水玉時間の感性を、恋愛的観念に絡めているところに感心させられる。

おそらくあなたという人に会えないと、この歌の主人公の少女の中では時間が流れないのだろう。あなたに会える時間の長さ(水玉の大きさ)もまちまちで、次いつ会えるか(水玉同士の距離)もちぐはぐで、会えない時には時間が止まっており会えたら時間が流れる(繋がり合わない独立した水玉たち)。いずれも整然とした時間の否定、均等な時間の否定、継続した時間の否定の意味が込められている気がして、はっとさせられる思いである。現代における時間のとらえ方に対する批判が、そこはかとなく含み込まれていることを感じざるを得ない。

谷山浩子という人は、時間というものを深々と考えている数少ないアーティストのひとりであり、そのオリジナリティはすさまじいものを感じさせる。商業的には成功していなくても、継続して芯の通った創造を続けている稀有なアーティストである。「時間」をテーマにしている「悲しみの時計少女」というラジオドラマをYouTubeで聞いたが、驚くほど様々な時間の観念を表現しており、ただものではない風格を示している。何度も聞いてしまう味わい深い物語だ。

 

・時間は螺旋であると歌う武田鉄矢

「りんごの皮をむくように過ぎゆく時は渦巻く形」という、ドラえもんのび太の創世日記の主題歌を歌ったのは武田鉄矢である。その歌の名は“さよならにさよなら”。ぼくはこの歌が大好きで、聞くたびにまたはカラオケで歌うたびに涙がこみ上げてくる名曲である。この歌のサビは次のようになっている。

「時間は螺旋の階段
さよならさえもつながってゆく
だからさよならにさよなら
すべてのさよならにさよなら」

螺旋というのは、中島みゆきの円環的時間と相似しているようだが、武田鉄矢が異なっているのは、平面的な円環的時間にz軸を与えて、立体的時間の観念を見出したことだろう。時間は回っており、結局は元に戻ってくるけれど、完全に同じ平面状の地点に戻ってくることはない。同じ場所のようで、少し上か下にズレた時間に戻ってくるのだ。

日常生活で考えて見れば、0時から次の日の0時になっても、完全に同じ0時ではない。日付が1日ズレているのだ。同様に1日(ついたち)から次の1日(ついたち)に帰り着いても、月が1つ異なっているし、1月1日から次の1月1日にたどり着いても、年の数字がひとつ上がっている。同じところに終着したようで、少し上か下に微妙にズレている地点にしかたどり着けないのであって、完全に同じステージに戻っていくことはないのである。ここまでは少し考えれば誰でもわかりそうなものだが、この歌のすごいところは、次の歌詞であるように思う。

「遠い昔に別れた人もひとまわりすればすぐそばにいる」

なんて思いもよらない事実だろう!時間が螺旋階段だとすれば、たとえ昔に生きながらにして別れ合った人も、むなしく死に別れた人も、はるか遠くではなく“すぐ”そばにいるというのだ。人生における最たる苦しみである、大切な人との別れに対して、このような発想の救済があろうか!時間の形状を螺旋状であると主張した上で、過去に別れた人も、また未来で出会うべき人も、すぐそばで寄り添ってくれているのだという人生の孤独からの思いがけない救済に、ぼくは何度この歌詞を聞いても、衝撃を受けることを忘れずにはいられない。

「ぶどうの枝が伸びるように明日はいつも青空の中
上へ上へとあなたがのぼればいつも日差しは目の前にある
これから出会う見知らぬ人も光の中で今待っている」

 

2番目のこの歌詞でもまた泣いてしまう。今現在どんなに暗闇の中にいようとも、これから出会う人々は光の中でちゃんと待っていてくれているのだ。

1番の歌詞では過去にどんな悲しい別れがあろうとも、別れた人は螺旋的時間のもとすぐそばにいるのだから、さよならという概念とさよならできるという救済を繰り出した。いわば過去への視点の上でさよならにさよならしたのであるが、2番ではそれに上乗せして、未来への視点も提案する。未来を向けば光の中でたくさんの大切な出会いが待っている。それは過去にさよならを経験したからこそ得られるものであり、その点から言えばさよならはさよならではなく、未来の光の中で待っている人々のためだったのだ。言い換えればさよならは、見知らぬ人との出会いの別名である。ここでは光のようにあふれる希望が、優しく描かれている。

 

・時間という鏡面

ここでふと立ち止まって考えてみる。そもそも時間というものが流れているということ自体本当なのだろうか。“時間”は“流れる”というが、誰も“時間”を見たことがない以上、それが川のように“流れる”というのも見えるはずがないのだ。2重で疑わしい、非常にやっかいな表現であると言えよう。それではぼくたちが時間は流れる”と感じるのはどのような時だろうか。

大空を雲が流れる時、川の水がきらきらとせせらぐ時、木漏れ日が安らかに揺れる時、ぼくたちは確かに時間が流れていると感じる。時間が流れるから、物事が移ろうのだと思い込む。しかしよくよく考えてみれば、物事が移り変わるから、その姿の中に時間というものを見出しているのではあるまいか。

物事が移り変わっているのと、時間が流れているのと、どちらが認識的に本当のことかと問われれば、明らかに物事が移り変わっている方が本当だと言えよう。ぼくたちは、物事が移り変わっていることを五感で感じ取ることができるからだ。その移り変わりを感じ取り、その様子を見て、“時が流れている”という何か見えない不可思議なものが流れていると妄想することは可能だろう。“時間”はいわば鏡面のように、移り変わる物事や世の中を映し出し、それをぼくたち人間が意識の中で変革を起こし、“時間が流れる”という概念を発明したのかもしれない。“時間”という鏡の中には、今日も移り変わる浮世や自然が安らかに流れている。

 

 

・自作詩「時の異国」

時の異国は真理の王国
透明な風の吹き抜ける丘
水色の精神が浸透する海
折れる銀色の時計の針

0と1が絡まり合う荒野
歪みながら凍る硝子の城
Gordesの部屋に掛けられた抽象画
融けながらゆるし合う淡い光

 

少年は自らの中の男を
失くそうとして
青い液体を出し続ける

出しても出しても
青い液体は
産生され続ける

快楽の中に潜む
喪失の歌に耳を傾けながら
快楽の中に潜む
再生の歌におそれを成している

 

雪の結晶を身に纏う少女
花のRingを髪に飾り
街に響き渡る宗教のざわめきに
祈りを深まらせる

 

大地に滴り落ちる青い液体
疲れ果てて眠りに就く

あらゆる世界の破片は
裸体を映し出すための鏡面
乱反射は終わらない

 

すべてを与える赤の太陽
すべてを吸い込む淡い月
絶対的な相剋に照らされて
少年は男を失う

透明な存在になる
水色の存在になる

 

目眩をするほどの旅立ちの光に
思わず魂を落とす
立ち現れた空白たちの舞いが
存在よりも存在をあらしめる

真理を呼び醒ます際には誰でも
透明な炎を燃え上がらせる
永遠の光を安らかに背負いながら
清らかな水は足元を濡らす

 

 

 

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