あかちゃんをあやす方法!
いないいないばあをすると赤ちゃんが喜ぶというのは本当か?
・いないいないばあという日本的あやしの伝統
・赤ちゃんは本当にいないいないばあで笑う
・ラオスの赤ちゃんもいないいないばあで笑う
・日本もラオスも超越するいないいないばあ
・すべての赤ちゃんは「ラ」の音で泣く
目次
・いないいないばあという日本的あやしの伝統
いないいないばあという赤ちゃんのあやし方は、日本で有名である。両の掌で顔を隠して「いないいない」をして、即座に手をどけて「ばあ!」とするあれである。
この方法はすごく有名であるものの、あかちゃんは果たして本当にこんなことをして喜ぶのだろうか。あかちゃんだった頃の気持ちを忘れてしまったので「いないいなばあ」がそんなにあかちゃんにとって喜ばしくおもしろいものなのかわからず疑問を持っていたのだ。
・赤ちゃんは本当にいないいないばあで笑う
ぼくには8つ年の離れた弟がいる。8つも離れていると喧嘩もしないし、お世話をしているとなんだか自分が親になったような気分になるから不思議なものだ。
いつものようにお世話をしている時に、そういえば「いないいないばあ」というあやし方があったなぁ、あんなことをして本当に赤ちゃんは喜んでくれるのだろうか、弟で試してみたくなって実際にやってみた。
「いないいない〜〜〜ばあ!」
すると驚くべきことに、赤ちゃんの弟はものすごく喜んでいた!!え、これってこんなに効果あるの?!と心からびっくりしてしまうほどに赤ちゃんは笑い、歓喜し、ウケていた。たまたまかもしれないからもう一度やってみる。
「いないいない〜〜〜ばあ!」
またものすごくはしゃいで喜んでいる!これはもはや魔法の一種では?!いないいないばあを発明した誰だか知らないけれど日本のご先祖様偉すぎる!!
いないいないばあは本当にどんな時でも赤ちゃんの弟を笑顔にさせた。これほどに確実に赤ちゃんを笑顔にできる最強のあやし方を、ぼくは発見することができなかった。いないいないばあは不思議で、本当に偉大だった。
・ラオスの赤ちゃんもいないいないばあで笑う
いないいないばあって日本にしかないものなのだろうか。日本の赤ちゃんだけがいないいないばあでこんなにも喜ぶのだろうか。ちょっと気になったので、ぼくはラオスの赤ちゃんに対していないいないばあをやってみた。ぼくは今旅行で東南アジアの素朴で美しい国ラオスのルアンパバーンに来ていて、たまたまその宿に小さくて可愛い赤ちゃんがいたのだった。いつも弟にしていたみたいにやってみる。
「いないいない〜〜〜ばあ!」
すると嬉しいことに、ラオスの赤ちゃんにも大ウケだった!いないいないばあは、日本だけの魔法じゃなかったのだ!いないいないばあを何回やっても、ラオスの赤ちゃんは飽きることなく笑顔になっていた。
・日本もラオスも超越するいないいないばあ
日本の赤ちゃんもラオスの赤ちゃんも、同じことでよろこび同じことに笑うのだ。そんな当たり前の真実に気づいた時、ぼくはとても幸福な気持ちになった。
大人になっていくたびにぼくたちは世界に境界線を設け、ひとつの世界を切り裂きわけることにより物事を認識する。ぼくは男で女じゃないのだ、ぼくは人間で動物じゃないのだ、そしてぼくは日本人でラオス人ではないのだ、と。
そのように世界を分断することによって、人は否定することやよそ者を見下すこと、憎むことをおぼえていく。その魔性の心はやがて人生の生きる苦しみとなり、ぼくたちに降りかかってくることだろう。生きるという苦しみはひとつの世界を無理矢理分け隔てることにより生じる。
しかし分裂の前の無意識を生きている生まれたての生命、赤ちゃんたちは自分も他人も、性別も、国すらも忘れてただ炎が燃えるように直感的に生きているだけなのだ。世界はすべてひとつであり、ぼくたちは世界で、世界はぼくたちなのだ、そのような意気込みで境界線のない世界を生き抜く時、ふとすべての憎しみが消えてしまうことを感じるだろう。
日本も赤ちゃんもラオスの赤ちゃんも、国という境目さえ持たずに同じ「いないいないばあ」に喜びを感じてくれたのだ。ぼくは彼らの中に、幸福になるための示唆が含まれているのだと思った。
・すべての赤ちゃんは「ラ」の音で泣く
赤ちゃんはどのような国に生まれようと、どのような時代に生まれようと、その鳴き声は「ラ」の音で等しく泣くらしい。言語も文化も肌の色もバラバラだと認識しているぼくたち人間だけれども、もとをたどれば赤子の時に、誰もが同じ「ラ」の音で泣いていたのだ。そのような超越の真理をもとに創造された歌が、中島みゆきの夜会工場のテーマ曲「産声」である。
“誰かが私の問いかける
何人であるか問いかける
聴きたい答えは既に決まっている
私が属する国の名を聞きたがる
生まれはどこの国? 心はどこの国?
それだけで聞き終える
なにもかも聞き終える
誰か私のためにあの歌を歌ってください
まだ息をするより前の生まれながら知っていた歌を
誰か私のためにあの歌を歌ってください
生まれ来るすべての人が習いもせず歌える同じ歌”