時々ぼくは、思うんだ。
ぼくの炎はぼくだけのものだというのは本当か?
・どこからか引き継がれる炎
・透明な円環
・赤色の直線
・おばあちゃんと共に来た桂林
・浜崎あゆみ「part of Me」
・どこからか引き継がれる炎
ぼくたちの心からの願いはどこからやって来るのだろう。自らの生命の根源から燃え盛り、意識へと迫ってくるような本質的な思いは何によるものだろう。
誰もが燃え盛るような願いを伴って生きている。濁世の荒波により受容体を根こそぎ取り除かれ、それを甘受する能力を見失っている者もあれば、清らかな根源の受容体を保ち続け、その純粋さゆえにこの世で生きにくくなっている魂もある。引き裂かれるようにもがき苦しみながら生きる魂もある。
ぼくは旅する炎により魂を燃やされている。しかしその野生的で本質的で根源的な炎の核には何が潜んでいるのだろうか。ぼくの魂に炎を灯した腕は何者だろう。それは自らの腕だろうか、それとも他力だろうか。炎を灯したところで、燃えるための存在がなければ永遠の炎は続かない。ぼくたちの根源に燃え盛る炎は、何を拠り所として燃え続けるのだろう。人が火を持続させるために木片をくべるように、まさにそのようにして根源の炎のための“木”があるのだろうか。
・透明な円環
炎は、どこから引き継がれるのだろうか。いつ、誰が、最初の炎を灯したというのだろう。
たとえば輪廻転生の円環の中で、永遠に旅する魂が、前生から来生へと、同じ炎を引き継ぐだろうか。ぼくたちは、前生のすべての記憶をことごとく忘却してしまったとしても、もしかしたらただひとつ、燃え盛る炎だけは同じものを受け継がれているのかもしれない。
姿かたちは変わっても、違う種類の生命となっても、たったひとつの同じ炎を誇りとして保ち続けながら、時間という蜃気楼の川を遡上していくのかもしれない。
・赤色の直線
たとえば泳いでいるのは時の流れではなく、血の流れかもしれない。
親から子へ、遺伝子が引き継がれるように、ぼくたちは目には見えない形で、祖先の炎を引き継いでいるのかもしれない。それは赤い直線を描く血脈の線路。
もしかしたら父親がどうしても果たせなかった願いを、子であるぼくが知らず知らずのうちの引き継いで、達成せよという使命を課せられているのかもしれない。そして父親は自分が達成できなかった炎が子供に達成されるのが悔しくて、子供の魂を抑えつけようとするかもしれない。
あるいはそれは近い血縁ではなく、はるか遠くの祖先から突如として引き継がれた突発的な炎であるのかもしれない。
・おばあちゃんと共に来た桂林
ぼくは、中国の桂林へやって来た。海外旅行によく行っていたおばあちゃんに、どこがいちばん好きだったかと尋ねると、中国の桂林だと言っていた。そしていつも中国人に「チップ千円!チップ千円!」と言われ続けてうるさかったという思い出を、嬉しそうに語っていた。そしてその風景は、他のどこにもない景色だと教えてくれた。
とても元気で強気だったおばあちゃんも認知症になり、無気力で会話もままならなくなってしまった。もはやぼくが会いに行っても、誰が来たのかと尋ねるだろう。
おばあちゃんは日本人には珍しく、強気で言いたいことをいつもはっきり言う人だったったので、みんなから恐れられていた。けれどぼくに対してはいつも優しく、ぼくのことを宝物だと言ってくれた。ぼくが旅に出かけていくのを、喜んでくれたのは血縁でおばあちゃんだけだった。彼女はぼくの旅の炎に、その腕で薪をくべていた。
ぼくはひとりで桂林の景色を眺めていた。おばあちゃんが世界で最も美しいと感じた風景。今彼女がこの景色を見ても、美しいと言って感動しないかもしれない。無気力になって興味を示さずに、眠りに就いてしまうだけかもしれない。けれどなぜかぼくの中では、おばあちゃんと一緒に桂林の風景を見ているような気分になった。日本で病床に伏しているおばあちゃんと、中国で共に同じ景色を眺めていた。
・浜崎あゆみ「part of Me」
“時々ぼくは思うんだ
ぼくらは生まれるずっと前
ひとつの命分けあって
生きていたんじゃないかって
だって身体が離れても
心は今もすぐそばに感じる
いつだっていつだって聞こえているよ
ぼくの名をぼくの名を呼ぶ声
どうかもう泣かないで君の思いは
伝わっているから
ある時ぼくは知ったんだ
別々に生まれたぼくらは
だから自分を不完全に
思ってしまうんだろうって”