何者にもなれた時代へ、心を巻き戻そう。
ぼくたちは何者かにならなければならないというのは本当か? 〜何者でもない海〜
・ぼくたちは小さな頃から「将来の夢」を聞かれる
・何者かになることが人生の目的だろうか
・いつの間にかぼくたちは大切な宝石を奪い取られる
・何者にもなれるという広大な魂の感触
・ぼくたちは小さな頃から「将来の夢」を聞かれる
ぼくたちは物心ついた頃から、親や幼稚園の先生に必ずこう聞かれる。
「大きくなったら何になりたいの?」「将来の夢は何なの?」
不意にそのように尋問され、幼い子供たちは戸惑う。幼い子供たちは、未来のことよりもむしろ今という一瞬一瞬を真剣に燃えるように生きているからだ。今という生きるべき時を通り越してどうなるのかわからない未来のことを漠然と空想するなんて、思ってもみないことだった。
何度も何度も繰り返し大人たちからこう質問されることによって子供たちは、自分たちが未来で何者になるのかを考えざるを得なくなる。大人たちに指し示され、今という一瞬を生きることをやめて、未来へと視点を向け始める。人生は、今を生きることよりもむしろ、未来で何者になるのか、未来に対してどのような目的を持つかということの方が重要なのだと教え込まれる。
・何者かになることが人生の目的だろうか
未来においてどのように労働するのか、未来においてどのように他人の役に立つのか。そればかりが先行して注目され、子供達に未来は充てがわれ、子供たちは徐々に今を生きるよりも未来を思い煩うことを覚える。未来においてどのような社会的責任を果たすのか。未来においてどのように部品となるのか。
子供たちはまだ大人にもならないうちから役割を意識し、自分が部品と見なされることを予感する。子供たちは全身全霊をかけて、今という瞬間を、全人的に、全体で生きているのに、いつの間にか、自分は社会へと組み込まれる単なる部品と成り果てるのではと疑い始める。
何者にでもなれる可能性を秘めた特別な全人的な子供時代を捨て去って、何者かに成り果ててひとつの役割しか充てがわれない虚しい部品としての大人の自分を知る。どうして何者にもなれる時代で時は止まらないのだろう。どうして何者かにならなければならないのだろう。
「将来の夢」という一見輝きを帯びたその言葉には、何者かにならなければならないという定め、どこかへ属してその部品として稼働しなけばならない社会的な生物としての人間の運命が含まれており、哀愁の感を漂わせている。
・いつの間にかぼくたちは大切な宝石を奪い取られる
誰かの役に立たなくても生きることをゆるされた少年時代、何かの部品にならなくても自分を全てととらえ精一杯に生きることをゆるされた幼少時代、そんな時代はもう二度と来ないということを、大人たちは教えてさえくれずに、ぼくたちは彼らに部品になるための精神的な準備方法だけを教え込まれる。早く大きくなりなさい、人の役に立ちなさいと願う疑うことなき無償の愛情は、本当に子供たちを幸福へと導くためのものだろうか。
それらの願いは子供たちから”全体”として生きている幸福な時代や、今だけを見つめて生きるという人間にとって最も大切な観念、何者にでもなれるという無所属で広大な可能性の海を奪い取ってはいないだろうか。
・何者にもなれるという広大な魂の感触
ぼくたちの道は成長するたびに狭まっていく。可能性が広大な海原のように揺れるのを眺められた時代は終わりを告げ、次々に社会により用意された選択肢を選びとり、自分という存在が小さく惨めになっていくのを知る。
理系にするのか文系にするのか、その中でも何学部を選ぶのか、その先には何を職業とするのか、どのように人間社会に役立ち、どのような社会の一部になっていくのか、用意された選択肢を無力なぼくたちは避けることができずに、全体で生きていたぼくたちは小さな一部になっていく自分を守ってやることができない。どんなに悔しくても、自分を全体のままで留めてやることができない。
全体で生きていた時には目の前に広がっていた広大な可能性の海は、干上がりかけた小さな水溜りとなり、これがぼくの正体なのだと、このように小さく細かな役割を担うために生まれてきたのだと、自分の存在を諦めてしまう。世界の全てであった自分を捨て、何ものかになることでしか、何かに所属し部品となることでしか、自分を保てないようになる。
ぼくたちの正体は、本当に小さな水溜りなのだろうか。世界の全てとして一瞬一瞬を燃えるように生きていた少年時代は、偽物の人間の姿だろうか。部品であることと全体として生きること、所属に押し込められることと心を自由に旅させながら人生を歩むこと、今を生きることと今以外の時間、過去を後悔し未来を思い煩いながら生きること、そのどちらが正しい生き方であるかを、ぼくたちは直感的に知っている。
内科を選ぶ前の自分へ、医者を選ぶ前の自分へ、医学部を選ぶ前の自分へ、理系を選ぶ前の自分へと時を遡り、何者にでもなれた時の自分の心を生涯忘れずにいよう。ぼくたちは、そんなもののために生まれてきたんじゃないと叫びながら、そのために生まれてきたのだと怪しい呪文をかける人々の虚偽をいつも見抜いていこう。曇りなき眼を保ちながら、常に精神を研ぎ澄ませていよう。世の中はそういうものなのだと説き伏せる企みの技から、ぼくたちは遠く離れて暮らしていこう。
何者かになることではなく、何者にも属さず何者にもならないことが、ぼくたちを浄土へと進ませる道しるべなのだと知る時に、ぼくたちは逆らわず自らの直感に耳を傾けよう。