人間が裸を恥ずかしいと感じるのはなぜ?裸体と生殖器が恥ずべきものであるというのは本当か?

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どうしてぼくたちは裸体を隠して生きていくのだろう。

人間が裸を恥ずかしいと感じるのはなぜ?裸体と生殖器が恥ずべきものであるというのは本当か?

・裸体を見せつけることは犯罪だ
・裸体とは特別に生殖器へと繋がっていく
・大理石の裸体像が立ち並ぶイタリアシチリア島の「プレトリアの噴水」の美しき風景
・人間以外はみんな裸体
・人間のモジャモジャ
・旧約聖書の禁断の果実により裸体の恥じらいは生まれた
・裸体と生殖器が恥ずべきものであるというのは本当か?

・裸体を見せつけることは犯罪だ

一般的に裸体を公然と見せつけることは犯罪であると言われる。街中で裸体をさらす人がいたならば、たちまちに警察に逮捕されて牢屋に連れていかれることだろう。

しかしアニメや映画などの映像作品の中には、男性の裸を見てしまうのは「何か汚らわしいようなものを見せられてしまった」というような男性の肉体への軽蔑や笑いが起こるのに対して(ドラえもんでのび太くんが全裸になるとしずかちゃんは怒り狂い、ジャイアンやスネ夫は笑ってからかうなど)、女性の裸を見てしまうことは、男性視点からすると幸福なことで、少なくとも両性からしても女性の肉体を”軽蔑”することはないだろう(しずかちゃんの裸体をのび太たちは幸福に見つめ、またしずかちゃんの裸体を眺め軽蔑したり怒り狂うキャラクターは存在しない)。

裸体を見せるといっても人間たちの潜在的な意識の中で、同じ”人間の肉体”であるのに、男性の裸体と女性の裸体は大きな区別をされていると言っても過言ではないだろう。

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また人間の生殖は、一般的に裸体を察することから始まる。この人は社会的な人間のそぶりをしているけれど実はただの動物なのだということを、裸体を互いに知ることにより感じ取り、隠し切れていなかった野生は取り戻される。裸体によって生殖は始まり、人類はここまで繁栄してきたというのに、裸体が犯罪になっているとは、腑に落ちないような気分にならないでもない。本当に人間は他者の裸体を見て、犯罪だと名付けられるほどいつも不快に思うものだろうか。

 

・裸体とは特別に生殖器へと繋がっていく

もしも公然と裸体にならなければならない状況になったとして(そんなことは多分ないと思うが)、アニメや映画で見る限り、人間は主に生殖器を隠したがるようだ。ドラえもんのアニメでも、のび太くんは裸体の際ここだけは見せてはなるまいと絶対的に生殖器を隠し、しずかちゃんならば生殖器と胸も隠しているような感じがする。

男性は主に生殖器を絶対的に隠したい、他の肉体の部分は見られても別に構わないが、ここだけは視線にさらされないようにしたいと死守しているように見える。温泉などでも男性がタオルで見えないように隠しているものと言えば絶対的に生殖器周辺だ。もしも男性が温泉を訪れて、絶対的にここだけは見られてはなるまいと生殖器を隠さずに、タオルで腕や、お腹や、足だけを覆って隠していたらさぞかし奇妙な光景だろう。生殖器は他の肉体の部位とはかけ離れて重要で絶対不可侵な存在であり、非常に重宝されていることが伺える。

それに対して女性は、肉体のあらゆる部分を見られるのは恥ずかしいという印象を受ける。肉体の全てにおいて見られるのは恥ずかしいが、とりあえず隠すなら胸と生殖器だろうという感じで隠しているような感じがするけれどどうなのだろうか。女性の気持ちになったことがないのでよくわからないけど。しかしアダムとイブの絵を見ていても両性ともに隠しているのは生殖器なので、やはり両性の肉体において生殖器は特別に尊い存在だろう。

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ぼくたちは裸体を見られることを恥ずかしいと自然と感じてしまうが、それは特に生殖器周辺を見られることが恥ずかしいという思いと共鳴しているのだろう。もしも生殖器さえ隠されていたならば、その他の肉体の部位を見られてもさぞかしマシではないだろうか。全ての皮膚は繋がっており、顔面の皮膚だって生殖器の皮膚だってなんの変わりもないのに、特に生殖器にだけこのような特別な感情を抱くことは奇妙なことだ。

 

 

・大理石の裸体像が立ち並ぶイタリアシチリア島の「プレトリアの噴水」の美しき風景

裸体というものは美しいとぼくが感じたのはイタリアのシチリア島最大の街・パレルモにおいてだった。パレルモの中心部には「プレトリアの噴水」という、大理石でできたいくつもの男女の裸体像によって取り囲まれている芸術的な噴水広場がある。西暦1580年に完成したその裸体像は30以上にものぼるといい、ギリシャからやってきたような真っ白な肉体彫刻たちを眺めているだけで、知らない間に神秘的な時間は通り過ぎていった。

こんなにも老若男女さまざまな肉体が惜しげもなく街の中心部で大理石として披露され、パレルモの人々の憩いの場として成立してもはや450年ほど経っているのだから、人間というものは本質的には裸体を見ると嬉しく思ったりもしくは安心するのでは?と思わざるを得ない。少なくとも猥褻、不快なものだと見なされて人々に嫌悪されていないことは明らかだろう。人々に嫌悪されていたならば、その長い歴史の中で破壊され撤去されたに違いない。

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街中で裸体を見せつけることは犯罪となっているこの世の中において、30以上もの裸体たちが街の中心部に置かれ、芸術だとか文化だとか見なされて人々に愛されていることは人間の面白さである。もしも宇宙人にこの矛盾について質問されて、人類はうまく返答することができるのだろうか。

 

・人間以外はみんな裸体

旅をしているとさまざまな人々に巡り会う。しかし何も人間だけが旅先での巡り会いであるとは限らない。犬や猫や馬や牛や山羊や本当にたくさんの動物たちと巡り会い、邂逅としての旅は引き継がれていく。

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ぼくが様々な動物と出会って思うことは、人間以外みんな裸体であるということだ!人間以外の全ての動物は、全て裸で外を出歩いている!人間だけはなんと奇妙なことだろうと、様々な動物と触れ合っていて思わざるを得ない。なんで人間だけは、裸を恥ずかしいと思うのだろう!なんで人間だけは、裸になると犯罪となるのだろう。裸になるということは、本来の自分の姿に帰るというただそれだけのことだ。本来の自分の姿を取り戻すことが犯罪だなんて、もはやこれは呪いではないだろうか!

それに比べて動物たちのなんと自由なこと!誰ひとりとして全裸で外出することを恥ずかしいと思いもしなければ、生殖器を必死に隠す必要もない。そんなに裸にオロオロしているのはこの世で人間だけだ!もしかして人間だけが不自由で不幸で、動物たちが幸福なのではないだろうか!

 

 

・人間のモジャモジャ

人間が服を着るのは恥ずかしいという他に、冬に暖かいということや夏に紫外線から肉体を守るという意味も含まれているのだろう。

しかし猫を飼っている友達に聞いたが、猫は冬になると寒くならないように毛がもこもこと余分に生えてきて、凍えないシステムになっているというのだ。なんて羨ましい!ぼくもそんなシステムが欲しい!猫の肉体とは、なんと賢く世界に順応していることだろう!自分でなんの努力もしないで毛が自動的に生えてきて暖かさを保ってくれるなんてもはや天国ではないか!労働して必死にお金を稼いでコートなんて買わないと凍え死んでしまうのは人間だけだ。もしかして、人間ってすごく馬鹿な動物ではないだろうか。

どうして人間には他の動物のように、毛がモジャモジャと生えてこないのだろう。はっきり言って毛がモジャモジャ生えてこないから、わざわざ労働して大金を出して服を買わなければならないのではないだろうか。なんと節約にならない非合理的な肉体だろう!もしも人間にもモジャモジャがあったなら、冬には凍えなくてもいいし、生殖器をわざわざパンツとズボンまで揃えて二重で隠さなくてもいいし、いいことずくめではないか!どうして人間は進化の過程で、モジャモジャを手放してしまったのだろうか。

 

 

・旧約聖書の禁断の果実により裸体の恥じらいは生まれた

ぼくと同じように不思議に思った人も古代にはいたようで、その答えはきちんと旧約聖書に記されているらしい。その答えとは、アダムとイヴがエデンの園で神様に背き「禁断の果実」を食べてしまったばっかりに、人間は自らの裸体を恥ずかしいと思うようになり、裸では生きられない生物になってしまったということだった。

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自らの生殖器を世界に向けて見せていることを恥ずかしいと感じ、彼らはイチジクの葉で生殖器を隠すようになった。これが人間にとっての服飾の始まりだろう。しかしその生殖器を恥ずかしいと感じるようになった状態を”無垢が失われ”と表現されていることから、生殖器を恥ずかしいと思わないまさに他の動物のような精神状態が呪われない本来の姿であり、生殖器を見られるのが恥ずかしいと感じる今の人間世界は、過ちの先にある間違った世界であるとみなされていることが伺える。

ぼくたちは裸体を見られることは恥ずかしいと自然と感じられる。しかし生殖器を見られることは恥ずかしい、生殖器を見せることが犯罪だという今の世の中は、アダムとイヴが神様に背いた結果とした立ち現れた、呪いの世界だったのだ。本来ならば、犬や、猫や、馬や、羊と同じように、自由に、全裸で外を出歩けていたに違いない。そこには服を買うための無駄な消費もなければ、お金を稼ぐための苦しい労働もなかったのかもしれない。すべての人間の矛盾や異常な行動は、古代の「禁断の果実」に思いを馳せるしかないのだ。

 

・裸体と生殖器が恥ずべきものであるというのは本当か?

しかしここまで書いといてなんだが、人間が裸体を恥ずかしいと思うのは、アダムとイヴが禁断の果実を食べたからだと説明されて、おおそうか!謎が解けた!いやースッキリスッキリと思う人なんて少ないのではないだろうか。ぼくだってはっきり言えばなんじゃそりゃ!という心境である。

人間が裸体を恥ずかしいと感じるのは、昔アダムとイヴが禁断の果実を食べたからだと説明されて納得がいくというのなら「人間が裸体を恥ずかしいと感じるのは、昔むかしに山田花子さんが庭の柿を食べたからだよ」と答えられるくらい突拍子がなくて力が抜ける。そんな理由ならいくらでも創作可能ではないか。

はっきり言って「禁断の果実」の物語に帰着されるくらいなのだから、人間が裸体を恥ずかしいと思う理由は「わからない」というのが本当のところなのだろう。わからないけれど、わからないって言えば恥ずかしいから、なんとなく賢い答え方をしなければと思いたち、禁断の果実の物語を想像したのかもしれない。詳細はわからなけれど、とにかくわからないものはわからないままでいいと思う。それこそが人間の正体ではないか。

ぼくたちはなぜかわからないまま服を着て、なぜかわからないまま裸体を恥じらい、なぜかわからないまま生殖器を隠して生きていく。それでいい、それがすべてだろう。

 

 

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