旅での出会いは、人間だけとは限らない。
全ての動物が人間に敵意を抱くというのは本当か? 〜動物との友情〜
・犬とか猫を飼いたい!
・世界を旅していると犬が怖すぎる
・旅先での犬との尊い思い出
・旅先での馬との尊い思い出
・動物との出会いも、旅の中の出会い
・犬とか猫を飼いたい!
ぼくは小さい頃、犬とか猫とか動物を飼いたかった。しかし親には、子供の世話が大変なのに動物なんてとんでもないと断られつづけ、ついには動物を飼うという夢は叶わなかった。それゆえに動物と暮らした経験がないぼくは、犬とか猫とかがどういった性質を持つのかうよくわからない。
・世界を旅していると犬が怖すぎる
旅していて怖いのは野良犬の存在だ。世界には日本では考えられないほどの野良犬が街中でウロウロしている。日本ならば狂犬病は撲滅されているのでたとえ噛まれても心配ないが、狂犬病が蔓延している異国は依然存在している。アジアの国々などを歩いていると、たくさんの野良犬に遭遇するので、犬というものがどういう動物かわからないぼくは困惑してしまう。万が一噛まれて狂犬病が発症してしまうと死んでしまうからだ。
犬というのは一体、どういう時に吠えて来たり、追いかけて来たり、はたまた噛んだりしてくる動物なのだろうか。そしてもしも噛まれそうになった時に確実に噛まれないようにする方法はないのだろうか。自分の命を守るために知っておきたいが、インターネット上にも絶対的に正確な情報はなさそうだ。
ぼくが犬で最も恐怖を感じたのはバリ島だった。ぼくはインドネシアのバリ島が大好きだったが、唯一嫌いだった点はバリ島には野良犬がウジャウジャいるということだった。昼間はおとなしく眠っているが、夜になると急に活発になり吠えかかってきて追いかけて来たりするので泣きそうになる。追いかけてくるのは、噛み付こうとしているのだろうか。ぼくはバリ島ではなるべく犬に近づかないように旅していた。
・旅先での犬との尊い思い出
しかし犬という動物がすべて人間に攻撃性や敵意を持っているかというとそうでもない。時々旅のさなかで、可愛らしいことにぼくと仲良くなろうとする犬も存在する。それが犬という動物の複雑さ、難しさである。すべての犬が人間に敵意を持っていると決まっているならば犬を避ければいいのだが、時々友達になれるから、犬との付き合いは難しいのだ。
旅の中での巡り合い、出会いは何も人間だけとは限らない。動物との出会いだって立派な巡り会いだ。犬は出会った瞬間に、あ、この子とは仲良くできるなと直感でわかったりする。ぼくが石垣島の集落を歩いていると、前からトコトコトコとおじいさん犬が歩いて来て、ぼくが見つめているとトコトコトコとついて来て可愛かった。そのまま一緒にしばらくお散歩したのは石垣島のほのぼのとして思い出だ。
また中国雲南省の茶馬古道の秘境・諾鄧(Nuodeng)を訪れた際も、ちょっと汚れたふわふわのワンちゃんがついてきて、いつの間にはぼくを追い抜いて、ぼくを導いて村中を案内してくれた。そのままぼくとふわふわのワンちゃんで村中をお散歩して、ぼくたちは親交を深めた。人間と不思議と友達になれる犬と、いつも敵意をむき出しにしている犬とは、一体何が異なるのだろうか。
・旅先での馬との尊い思い出
諾鄧では馬との出会いも印象的だった。馬というのも臆病で普通なら人間から逃げ出すものだが、この諾鄧の馬さんには不思議なことに人間に積極的に寄ってくるものもいた。人間に怯えたり敵意を向けない動物って、なんだか人間と同じ知恵を持つ者との交流のようで実に幻想的だ。しかしぼくは与那国島で、馬に耳を引きちぎられた女の子の話を聞いたことがあったので、馬というものは油断しているととんでもないことをしてくる動物という先入観を持ってしまい、せっかくあちらから可愛く寄ってくる馬と積極的に交流することができなかった。今思っても人間とは違う動物と親睦を深め心を通わせられる絶好の機会であったのに、自らの中のおそれがそれを妨げて実に残念だったと後悔している。
・動物との出会いも、旅の中の出会い
犬や馬に限らず猫の中でも、全然寄ってこない猫と膝にまで乗ってくる人懐っこい猫がいるし、カラスでも人間を見たら逃げていくのが大半だが、沖縄の離島・波照間島では、人間にめちゃくちゃ関心を示し、逃げるどころか後をついてくるカラスまでいた。
旅での出会いは、人間だけとは限らない。言葉を使って心を通わせない分、動物たちとの巡り会いの縁は神秘的で深遠だ。なにがふたりを結びつけるのだろう。なぜ巡り会い、いつ巡り会い、そして言葉なしになぜ通じ合えるのだろう。