長男長女がおとなしく暗いというのは本当か? 〜長男が受ける徹底的な絶望〜

 

一般的に兄弟の中で一番上の子供はおとなしくやや暗く、2番目の子供が自由で溌剌としているというイメージがあるが、あなたのまわりではどうだろうか。

 

長男長女がおとなしく暗いというのは本当か?

・ぼくはいちばん上の子供
・あまりに大きく注がれる愛情
・正体不明の生命の襲来
・「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」
・徹底的な裏切りと深い傷(トラウマ)

・ぼくはいちばん上の子供

ぼくが生きてきて色々な人々を見てきて、この法則はあながち間違っているとは言い切れないだろうと思う。たしかに一番上の子供はやや暗めでおとなしく、2番目の子供は元気で自由で溌剌としている傾向があるように思う。自分の兄弟を見ていてもそのような感じがする。ぼくは兄弟の中でいちばん上なのだが、ぼくは自分の経験として、どうしてこのような法則が成り立つのか、ある程度論理的に説明できるような気がする。

 

 

・あまりに大きく注がれる愛情

大抵いちばん上に生まれた子供は、両親にとって最初の子供なので、むやみやたらと可愛がられたりするものだ。両親はずっと自分のことを見てくれるし、自分のことを常に気にかけてくれる。笑っただけでも喜んで褒めてくれるし、何かできることが増える度に拍手して祝ってくれる。そしてそれが当たり前になったときに、子供はそれが永遠に続くものだと思ってしまうのだ。

しかしこれは自然なことだろうと思う。自分がこの世に生まれて最初の環境がそうであったならば、この世はそのような仕組みで成り立っているのだと思い込み、それが存続していくのだと信じることは新品の命にとって当たり前のことだろう。この世に生まれてきたばかりで恐怖に怯えていたが、お母さんやお父さん、おばあちゃんやおじいちゃんなど、自分を可愛がり見てくれる人ばかりだ、この世には敵などいなさそうだと、子供はやっとこの世や人間というものを信頼し始める。そのようにしてこの世に慣れ始めた頃になって、何か子供にとって得体の知れない生物が家にやって来る。

 

・正体不明の生命の襲来

それが2番目の子供である。これは最初の子供にとっては衝撃的な正体不明の生命の襲来だ。なぜなら今まで、自分だけを見て自分だけに関心を持っていてくれていたお母さんやお父さんが、2番目の赤ちゃんにばかり気を取られてしまうようになるからだ。お母さんやお父さんはずっと自分のもので、自分だけを見てくれ、自分だけに興味を持っていてくれると信じ込み、やっとこの世を信頼し始めていた最初の子供は絶望する。よくわからない生命がどこからかやってきて、自分のお母さんとお父さんを根こそぎ奪い去ってしまうのだから無理もないことだろう。しかしそれを言語化できる能力もなく、その絶望感を両親がわかってくれることもなく、最初の子供は泣き叫ぶ。

 

 

・「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」

泣き叫んだら両親が今までのように自分の気持ちをわかってもらえるだろうと思うからだ。しかし両親はそこで衝撃的な発言をする。

「あなたはお兄ちゃんなんだから、しっかりしなきゃだめ」

この発言ほどいちばん上の子供を理解不能にさせさらに絶望に陥れるものはない。お兄ちゃんも何も、そんなもの自分で望んだわけではないのだ。勝手に自分とは違う幼い生命をどこからか持ち込んで来たクセに、その上お兄ちゃんというレッテルを無理やり貼り付け、そして“お兄ちゃん”という一般的な性質まで主張しそれに倣うように命令するなんて、もはや両親は正気の沙汰とは思えない。

 

 

・徹底的な裏切りと深い傷(トラウマ)

ぼくをずっと見てくれる、ぼくにずっと関心を持ってくれる、それが永遠に続くと信じ込んでいたいちばん上の子供は、ここで始めて人間の“裏切り”を知る。それもやっと信じ込んだ人間、その代表の両親という存在の裏切りなのだから、その裏切りの程度は計り知れないほどの徹底的なものとして、いちばん上の子供の心に深く刻み込まれた傷となる。そのような大きな傷をつけられたものの、言語化できる能力もなく、そのような徹底的な深い傷が心に刻まれたということを、自分自身でも気がつかないままに、いちばん上の子供は大人になる。しかしその根源的な傷は大人になってもなお、いちばん上の子供に疼き語りかける。「あまり人間を信じてはいけないよ。いつかのあの日みたいにまた深く裏切られるよ」と。

それに引きかえ2番目の子供は初めての子供ではないので、大抵最初の子供ほど過度に愛情を注がれることもなく、両親も子育ての都合がわかってくるため、適度に可愛がり適度に関心を持ち、適度な精神状態ののびのびした子供が育つと言えよう。最初からものすごく愛情を注がれたわけでもないので、さほど両親に構われなくなってもそんなもんだと気楽に開き直ることができ、特に大きな傷を抱えることもなくのびのびと育っていけるというのが、ぼくが見てきた2番目の子供の姿である。

これがぼくは実際に自分自身で感じて来た最初の子供、2番目の子供の成長過程である。いちばん上の子供が大抵おとなしいのは、小さい頃にぼくと同じように衝撃的な裏切りの傷を背負って生きているからなんだと思うと、胸が締め付けられる思いがするが、それでも誰かを信じるために、ぼくらは生きていかなければならないようだ。ちなみにこのような文章が書けるのも、ぼくが長男として2番目の生命の襲来と裏切りをなんとなく覚えているからで、両親も、2番目の子供も、そのようなことは思いもよらずに生きていることだろう。

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ