臭くて気持ち悪い?香水をつけている人が迷惑というのは本当か?

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香水をつける人物像にいつも違和感を覚えている。

臭くて気持ち悪い?香水をつけている人が迷惑というのは本当か?

・高校生の時にオーストラリアの空港で香水を買った思い出
・香水をつけている人が気持ち悪いというのは本当か?
・香水をつけるという友達になぜ香水をつけるのか聞いてみた
・香水は新興宗教の迷惑な勧誘に似ている
・大分県別府の「香りの博物館」へ行ってきた

・高校生の時にオーストラリアの空港で香水を買った思い出

香水という、いい匂いのする水があるという。なんでもその水をつけているとおしゃれで洗練された雰囲気を保てるそうだ。ぼくは高校生の時、修学旅行先のオーストラリアの空港で何か新しいものに挑戦しようと思い、何らかのブランドの割と高級な香水を買って帰った思い出がある。しかしそれがぼくの人生の中で香水を購入した最後の機会となった。背伸びして香水を買ってみたのはいいが、実際につけてみても全く魅力的な人間になれるとは思えなかったし、人生に不要だと感じてしまったからだ。どうしてこんなものが人間の世界ではよく消費されているのだろうか。

 

 

・香水をつけている人が迷惑というのは本当か?

香水は確かにいい匂いだった。オーストラリアの空港で色々試して自分の最も好みの香りを選んだのだから、いい匂いだと感じて当たり前とも言えるだろう。しかしぼくはいい匂いよりも、むしろ「無臭」の方が明らかにいいと感じた。目立つ匂いをさせているなんて、それがたとえ「いい匂い」と感じられるものであったとしても、なんだか下品な自己主張だと感じたのだ。

人間は鼻で呼吸をしている限り、匂いを遮ることはできない。つまり自分が香水をつけたら、周囲の人は否応なしにぼくの香水の匂いを嗅いでしまうということだった。そんな図々しい押し付けがましい行為を、ぼくは絶対にできないと高校生のときに感じた。だってぼくがいい匂いだと感じている香水だって、他の人からすれば嫌な匂いだったり、あまり好きじゃなかったり、苦手だったり、臭かったり、不快だったりする可能性だって十分にあるではないか。それなのに自分がこの匂いが好きだからと言って、自分だけで密かに楽しむわけではなく、周囲にむやみやたらと香りをばらまいて他人にまで香りの押し売りをやってのけるなんて、どう考えても正常な思考の範囲で成し遂げられることではなかった。

香りに対して感受性豊かであり、自分がこの香りを好きだと感じることは人生の情緒を豊かにする上でも非常にいいことだ。しかしそれならば自分だけで、もしくは大切な人とだけ部屋の中で密かにその香りを楽しめばいいではないか。それを自分だけで楽しむだけでは飽き足らず、自分にその香りをふりかけることで、自分の人生に関係のない広範囲の人々にまで香りを撒き散らすなんて一体何がしたいのか見当もつかない。周囲の人がその香りを好むかどうかなんて全くわからない状況で、むしろ臭くて不快に思うかもしれない場合があるにも関わらず、香水を自分にふりかけながら人間社会へと飛び込んでいくその人の精神状態がぼくには理解できない。

その匂いが好きすぎで自分にその匂いをふりかけないと人生を楽しめないし生きづらい、周囲の人々に臭いと思われようが不快だと感じられようが、そんな他人の不幸を犠牲にしてでも自分が好きな香りに包まれるという自分の幸福の方を選び取るのだと開き直っているのだとしたら仕方がないが、それほどまでに異様に執着する価値が「いい匂い」というものにはあるだろか、いやなかろう(反語)。

個人の幸福よりも社会の幸福の方が重要だというのは本当か?

以上のような思考回路からぼくは香水をつけている人を、おしゃれだとか洗練されているとか魅力的だとは全く思わず、むしろ厚かましく図々しく押し付けがましい人だと感じずにはいられなくなってしまった。あんなに美女やイケメンの広告を出して魅力的に見せようと頑張って宣伝しまくっている「香水」に対して、このような負のイメージを持ってしまうということは、ぼくはよっぽど香水に違和感を覚える感受性を身につけているのだろう。

 

・香水をつけるという友達になぜ香水をつけるのか聞いてみた

しかしそうは言っても香水文化の発達しているこの社会において、ぼくのような意見は少数派なのかもしれない。ぼくの偏狭な価値観を超越したもっと高尚な意味合いが香水や香り文化には含まれていて、ぼくの気づいていない香水の魅力もどこかにあるのかもしれないしいつかそれに気付けるのかもしれないという淡い期待を胸に抱いていた。

そんな時香水をつけるという友達と話す機会があった。ぼくは香水をつけるという人の気持ちが上記の通り全くわからなかったので、香水の魅力を探るべく、なぜ香水をつけるのかと尋ねてみた。彼の答えは「いい匂いに包まれるとリラックスできるから」という当たり障りのない平凡なものだった。

彼は仲のいい友達で特に気を遣う間柄でもなかったので、何の遠慮もすることなしに、上述したぼくの香水に対する意見を率直に述べてみた。「自分の好きないい匂いを楽しみたいだけならば自分の部屋の中でその匂いを楽しめばいいやん?だけどわざわざ自分の肉体にまでその匂いを擦り付けて人間社会に出かけるってことは、自分の好きな匂いを見知らぬ他の人にもばらまいて嗅がせたいっていう願望や欲望が絶対にあるってことやろ?だけどいい匂いって人によって違うから、自分がいい匂いと思ってつけてる香水の匂いも他人からしたら不快かもしれへんやん?にも関わらず好きな匂いを自分だけで楽しむわけではなくて、他人にまでふりまきたいって思うってめっちゃ厚かましい人間性のような気がするねんけどどう思う?????」

ぼくの意見を聞いていた友達は大いに納得し、彼は自分が香水をつける人物であるにも関わらず「ぼくもそう思う!確かに香水つける人ってめっちゃ厚かましいわ!」と納得されてしまった。納得してどうすんねん!さらに彼は「香水を上手につけられる人は素敵」と述べていたので、ぼくはそれに対して「香水つけている人って魅力的やと思う?香水つけてる人って好ましい?ぼくの意見ではめっちゃ厚かましい人間性な気がするから全く魅力的とは思わへん」と疑問を投げかけてみた。彼は自分が香水をつけるくらいだから、香水をつける人に憧れていたり好意を持っているのかと思ったからだ。しかし彼の答えは意外なことに「いやぼくも香水をつけてる人って嫌いやわ!全然魅力的じゃないわ!」と返ってきた。

香水をつけている人に全く魅力を感じずに、むしろ香水をつけている人物像が嫌いなのに、どうして彼は自分で香水をつけているのかぼくの中では永遠に謎のまま会話は終了した。

 

 

・香水は新興宗教の迷惑な勧誘に似ている

自分がいいと思ったものをむやみやたらと周囲の人に押し付けるという香水の姿勢は、まさに新興宗教の迷惑な勧誘に似たところがあると感じる。もしくは自分の好きなアイドルを全然興味もない人に興奮しながら聞け聞けとやたらと勧めてくる、理性をなくしたオタクの鬼気迫る雰囲気にもよく似ている気さえする。もっと身近な例でいうと「このお漬物美味しかったでー持って帰りー!」と漬物嫌いの人にまで勧めてくる、ありがた迷惑なおばちゃんだろうか。

自分がいいと思った香りなら自分だけで、もしくは自分の感性を共有できる人とだけ楽しめばいいのに、自分のいいと思ったものは世間の人もいいと思うに違いない、こんなにいい匂いを自分だけで楽しむのは勿体ない、他の人にも広めなくてはならないという謎の義務感が周囲の人々を無駄に困らせる。もしくはこの香りで自分自身を表現したい、この香りをふりまくことで自分の存在をアピールしたいという強い自己主張の願いが、呼吸をする限り避けられない「匂い」というものを通して実現されることによって、そんな自己愛に付き合いたくもない人々まで主張の強い自己愛の嵐に巻き込まれて疲弊し、困惑する。

本人がいいことをしていると信じ込んでいる押し付けほど厄介なものはない。他人を否応なしに絡め取らなければやってられない強い自己主張や歪んだ自己愛ならもっと厄介だ。なるべくそのようなものからはるか遠く離れることで、平穏な心の安らぎを得られるだろう。

 

 

・大分県別府の「香りの博物館」へ行ってきた

しかし一方で匂いというものは人間の五感の中でもまだ解明されていない部分の多い原始的な感覚であり、それゆえに嗅覚に関心があるというのも事実だ。ぼくは大分県の別府を訪れた際に「香りの博物館」という嗅覚に特化した珍しい博物館を訪れて非常に勉強になった。匂いというものを医学的、生物学的ばかりではなく、世界各地の文化的、交易的な観点からも学ぶことができ、香水の産業の歴史や仕組みもつぶさに見ることができて感動した。「嗅覚」という未知で神秘的で奥深い世界のことを全て知るためには、この一生では時間が足りないことだろう。

世界中の香り文化が学べる!大分県別府の「香りの博物館」が充実しすぎていて時を忘れた

 

 

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