本を読めば読むほどに、ぼくは愚かになる気がした。
本を読めば賢くなるというのは本当か? 〜武士道における知識〜
・ぼくは本を読まない子供だった
・創造の先に立ち現れる読書
・記憶すればするほどに曇る瞳
・知識と感性の狭間で
・武士道における知識の観念
・ぼくは本を読まない子供だった
思えば、ぼくはほとんど日常において本を読まない子供だった。本というものにあまり興味がなく、それよりも山や川や海などの、日本の大自然と戯れていたという感じだった。本を読んで空想の中で別の世界へと旅立ちたいとも思わず、目の前に広がる世界が面白く、それがぼくのすべてだった。
本の上にある文字に特に興味がなく、本を見るならばそれよりも写真や絵を眺めていた。だから絵本は好きだったし、絵が豊富に載っている図鑑も好きだった。大人になった今でも雑誌を読む際には、長々とした文章を無視して、美しい写真ばかりを追い求めてしまう。文字によって生み出される世界よりも美しい光の世界に意識はとらわれ、それは生涯続いていく習性だろうか。
本を読んで多くの知識を吸収したいという意欲も、本を読んで賢いと思われたいという見栄も起こらず、本とは縁のない人生のまま10代は終わった。
・創造の先に立ち現れる読書
転機が訪れたのは、自分で詩を創造するようになってからだった。ぼくにとって創造は、誰かを喜ばせたり楽しませたいという思いよりも、抱えきれなくなった自分の内部の終わりなき悲しみが肌から耐えきれずに仕方なく外部へと生み出される、いわば滲出液のようなものだった。そこには存在の有無を問いかけざるを得ない虚しさと、矛盾するように生き延びようと燃え盛る炎に焼かれる切実さに満ちていた。
自らが自らの腕により言葉の創造を開始したときに初めて、ぼくは他の人間が言葉で何を表現しているのかを知りたくなった。そこから興味を大いに抱き、何冊も本を読むような人生に転換した。ぼくの読書は、自らの創造により始まったのだ。
・記憶すればするほどに曇る瞳
読書をすれば脳内に知識も増え、物知りになり、賢いようなふりをして人々の間を知識を垂れ流しながら歩けるような気がしたが、ぼくはそれをひどく望まず、むしろ恐れた。物知りになるということに全く憧れを抱かず、なぜか広く物事を知っているということを蔑む傾向すらあった。人々は知っているということを非常に尊び、憧れ、ありがたがるが、ぼくはそのような感覚を一切持たなかった。
知識を持てば持つほどに、記憶をすればするほどに、自分の純粋な瞳が曇り、愚かになっていくような気配を感じたのだ。だからどんなに物事を知っても、どんなに記憶して物知りになっても、いつだって自分を何も知らない清らかで澄んだ状態に戻せるようにと心がけ、なるべく知識や記憶が心にこびりついて取り除けないような状態になることのないように留意した。
物事をたくさん記憶して知っているということがそんなにいいことなのだろうかと、直感的に常に疑問に思いながら生きてきた。それよりも少ない知識で自らの感性を生かし、それにより世界を説明できる方が素敵ではないかと常々感じていた。
・知識と感性の狭間で
勉強をしていると、勉強はふたつの要素で成り立っていることがわかる。それは、記憶と感性だ。勉強の基礎は記憶で、なんでも記憶しないと始まらない。たくさん記憶すればするほど偉い人のように見なされ、実際に暗記量が多い方が学校のテストでは好成績を取ることができる。文系の教科は、このように記憶力の高い人が有利になるものが多いだろう。
しかしその記憶の能力に、発想力や想像力という自らの感性を用いて問題を解決しなければならないことがしばしば起こる。数学や物理や化学など、主に理系科目は、記憶力というよりもどのようにすれば目の前の問題が解決されるのかを直感的に感じることのできる能力が非常に重要だ。それらの感性の力を頼りに問題を解決していくような教科の場合、記憶量は少量でも感性の発動により膨大な量の問題を解くことが可能であり、合理的である。例えば数学や物理や化学では、少量の公式さえ暗記すれば、あとはそれを組み合わせて活用し、発想力を働かせることによって、目の前に積み重なった問題がスラスラと解けてしまう。
また文系の教科でも英語などは、その文法という「言語の公式」を記憶することにより、あとは必要な量の単語さえ覚えて当てはめていけば、すべての英文を思いのままに読むことができるようになる。文法という「言語の公式」はその言語を学ぶ上で欠かすことのできない、合理的な言語習得の魔法であると言っても過言ではないだろう。
ぼくが憧れるのは、多くを記憶することによって生きている人よりも、むしろ鋭い感性をうまく発動させて少量の記憶で生きている人の方かもしれない。記憶よりも、感性をまとって生きていきたいのだ。記憶を蓄えすぎると瞳が曇り、入射光が曲がり、またその重みでこの世をふさわしく生きていくことができないのではないかという懸念があったのだ。無駄なく必要最低限の記憶を持ち合わせ、あとはそれと自分にしかない鋭い感性を組み合わせて合理的に生きていくということに、いつも憧れていた。しかしこのような感覚がどのようにして培われてきたものなのか、自分のことなのに知る由もなく、不思議だった。
・武士道における知識の観念
その手がかりは、新渡戸稲造の「武士道」という本の中に不意に見つかった。
”孔子と孟子の著作は、若者たちにとっては基本的な教科書となり、年配者たちの間では議論をする最高の拠り所となった。しかしこの2人の賢者が著した古典をただ知っているというだけでは、周囲の尊敬を得ることはできなかった。孔子の言動を記録した「論語」という書物があるが、その「論語」を聞きかじっているだけの人間をからかう「論語読みの論語知らず」というよく知られたことわざが日本にはある。
日本の代表的な武士である西郷隆盛は、本にかじりついてばかりいる学者を「書物の虫」と蔑み、江戸中期の思想家三浦梅園は、学問を臭いの強い野菜に例え、よくよく煮て匂いを取らなければものの役に立たないとした。「少し書を読めば少し学者臭くなり、もっと読めばもっと学者臭くなるだけで、いずれにしても好ましい存在ではない」と。つまり、知識が十分に消化され、その人の血肉とならない限り、それは本物ではないというのが梅園の言いたいことである。
学問しか能のない人間は魂のない人形と見なされ、知性は倫理観の下に位置づけられた。そして、宇宙にも人と同じような精神性と倫理性があると考えられた。イギリスの生物学者ハクスリーは「宇宙の信仰は道徳とは無関係である」と言っているが、その考えを到底武士道は受け入れないだろう。
武士道はこのように知識を重く見なかった。知識の獲得そのものは目的ではなく、知恵を身につけるための手段とされた。従って、知識だけで知恵がない者は、言われるがままに和歌や気の利いた文句をひねり出すだけの、便利なからくり人形でしかないと見なされた。知識は、それをいかに実生活で応用できるかが重要だった。このいかにもソクラテス的な考え方を最も明確に主張したのが、中国の思想家王陽明である。彼は「知行合一」、つまり知識は行動を伴ってこそ本物になるということを繰り返し説いている。”
ぼくの直感の中には武士道的な知識の解釈が、知らず知らずのうちに伝えられ、流れているのかもしれない。