声高で自己主張が強い目立ちたがり屋が世界を支配していくというのは本当か? 〜後戸の神は宿神〜

 

本当の神の姿はどこにある。

声高で自己主張が強い目立ちたがり屋が世界を支配していくというのは本当か? 〜後戸の神は宿神〜

・ぼくはテレビが大嫌い
・琉球諸島をめぐる旅と「御嶽」の正体
・美しい神殿の裏に住む影の中の気配
・「宿神」「後戸の神」の発見
・声高で目立ったものに心を奪われた生命の末路
・見出しなさい

・ぼくはテレビが大嫌い

ぼくはテレビが大嫌いだ。けれど実家ではテレビがよく流れている。

まじで要らんやろ!ホテルや宿にテレビが必要だというのは本当か?

テレビというものはうるさい。やかましい。テレビというおかしな機械の中からは、いつも自分の人生に全く関係のない「芸能人」という人間が声高に何かを叫んでくる。この商品を買えとか、今面白い場面だから笑えとか、自分は素晴らしい人間だから賞賛しろとか、とにかく自己主張の強いがめつい雰囲気に満たされている。

どうして自分の人生と関係のない、大して素晴らしい教えを与えてくれるわけでもない人間たちの自己主張の強さに付き合わなければならないのだろう。彼らはテレビという最大の権力を持った電波によってその図々しさを伝えてくるからなおさらタチが悪い。そのような不可解な点において、ぼくはテレビが大嫌いだ。

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しかしそのような強力な電波に乗せられているという点で、彼らは電波に乗らない人よりも激しく民衆の心を動かし影響を与えていく。ほとんどの民衆には彼らの自己主張の強さを”無視する”という能力が著しく欠けているからだ。

 

 

・琉球諸島をめぐる旅と「御嶽」の正体

話はガラリと変わって、ぼくは世界一周と日本一周を同時に行うことを目指す「ミズイロノタビ 」において、一番最初に”琉球諸島をめぐる旅”をした。そのテーマは、今まで行ったことのない石垣島からフェリーで行ける離島を巡ろうというもので、西表島、黒島、新城島、波照間島、鳩間島と数々の琉球諸島の離島を回った。

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琉球諸島において興味深いのはその”祈りのかたち”だ。芸術家の岡本太郎は、沖縄における祈りの姿こそが本来の日本人にとっての祈りの姿だと感動してる。激しい時代の波や権力に飲み込まれ変わり果ててしまった日本の”祈りの源流”が、辺境の琉球諸島にはかろうじて残っているというのだ。

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沖縄の祈りの場所は「御嶽(うたき)」と呼ばれ、日本の影響か今は神殿があることも珍しくないが、本来御嶽には何もない。何もない祈りの聖地だ。そこにはせいぜい木や石があるくらいだ。しかし岡本太郎にとっては、その「何もなさ」がかえって潔く、また人間の祈りの本来の姿だろうと断言する。

神によって国を治め、権力を集中させるために、人々はその歴史の中で祈りの場所に美しい神殿を建てたり、華美な装飾を施したり、仏像を作ったりした。そうすることで人々の注目を集め集客には成功したのかもしれないが、人間が本来持っている純粋な祈りの姿が道に迷ってしまったのではないだろうか。人間が祈りというのは本来は何もない清らかな場所で、何もないことに喜びを感じ、自分と向き合いその先にこそ神は立ち現れるのではないだろうか。

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・美しい神殿の裏に住む影の中の気配

 

日本の神殿に比べても、琉球諸島の神殿はシンプルだ。ただのコンクリートの小屋であることも多い。しかしぼくは、この神殿は重要ではないのではないかと考えている。

日本の神社でも神殿が最も重要であり、人々はそこに神様が住んでいると信じて美しい神殿に向かって祈りを捧げることが多いが、実はその土地の本当の神様は、その神殿という建築物に住んでいるわけではないのではないだろうか。本当の、本来の神様は、立派で美しい自己主張の強い神殿の裏側の、暗い影の中にひっそりと眠っているのだ。それは霊性を帯びた石であることもあれば古代からの木であることも多い。本来日本民族は古来よりその石や木の霊性を信じ祈ってきたのに、いつの間にか祈りを向ける対象が、華美な神殿へとすり替えられてしまったのではないだろうか。

 

琉球諸島の御嶽(神社)を巡っていると、それを如実に実感する。御嶽にもコンクリートのシンプルな神殿があるが、本来重要なのはその神殿ではなく、神殿の裏にある石や木なのだ。しかも沖縄の御嶽の裏にある石や木は、霊感など一切ないぼくでも恐ろしさを感じるほどに霊性を醸し出しているものも少なくない。古代日本人が感じていた、石や木を神と感じる心、石や木に”畏怖の念”を感じる感触を、琉球諸島では味わうことができる。

 

・「宿神」「後戸の神」の発見

中沢新一の「精霊の王」という民俗学的な本を読み、ぼくの感じたこの”神殿に背後に潜む本来の神の霊性”の感触はやはり間違っていなかったのだと確信した。そこには日本の忘れられた神「宿神」についてこのように言及している。

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”秩序の神、体系の神の背後に潜んでいて、自分自身を激しく振動させ、励起させることによって、世界を力動的なものに作り変えていこうとする神=精霊の存在を、中世の日本の人々は「後戸の神」と呼んだ。”

この文章において、「秩序の神」「体系の神」とは、現代的に整備された神の姿いわゆる「神殿」のことだ。その背後に潜み、影で表面的な神を操っている不気味な本来の神の霊力を古代日本人も感じそれを「後戸の神(=宿神)」と呼んでいたのだ。「宿神」という影なる神の助けの力の発動なしには、人々に信仰され、立派だと賞賛されている表面的な神殿の神ですら、霊力を発揮することが叶わないのだ。

 

 

・声高で目立ったものに心を奪われた生命の末路

単純なぼくたちは、いつも目立ったものに注目を注いでしまう。声高に大声で叫んでいるもの、光を浴びせられたもの、立派な外見をしているもの、勝利に輝いているもの、名声を得たものたちに心を奪われて、本来自分の生命にとって大切なもの、本当に自分が求めているものがわからなくなり、心はさまよい、けれど何かにすがりつこうとして、ひときわ目立ったものを信仰してしまう。あんなに目立っているのだから、さぞかし立派な人間や神様なのだろうと思い込む。そして心は本来自分が求めていない目立った虚像たちと暮らしては、本当にたどり着きたい自分自身になれずに無念のまま虚しくその一生を終えていく。

目立っているだけで真理を持たない偽物たちが浮世にあふれ、人々の心は虚しく混乱し、人生で何も見つけられないまま人の一生は通り過ぎていく。本当は何を願っていたのだろう。本当は何を望んでいるのだろう。声高な目立ったものたちに心を奪われた、人々の心の切実な問いかけにはあてもなく、ただひとつ確かな答えは、声高なものはその答えをあなたに用意してくれはしない。

 

 

・見出しなさい

 

自分自身で見つけなさい。自分自身の神々の姿を。

他人がこれは神だと押し付けてきたものじゃなく、

世間や常識が面白く噂しているものじゃなく、

歴史や偉人がこれを崇拝しろと教え込むものじゃなく、

他人も友人も恋人も親も血縁も すべてを無視して、

あなたはあなただけの 神々の姿を見出しなさい。

 

 

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