4つの辞世の句について徹底考察!吉田松陰の辞世の句は4つもあったというのは本当か?

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吉田松陰の激動の人生に圧倒される!!!!!

4つの辞世の句について徹底考察!吉田松陰の辞世の句は4つもあったというのは本当か?

・「吉田松陰歴史館」で吉田松陰の一生を学ぶ
・吉田松陰の年表一覧
・吉田松陰の辞世の句は4つもあったというのは本当か?
・「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
・「親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音づれ 何ときくらん」
・「このほどに 思い定めし 出立は きょうきくこそ うれしかりける」
・「吾、今国のために死す、死して君親にそむかず、ゆうゆうたり天地のこと、鑑照明神にあり」
・「吉田松陰歴史館」と「松陰神社」によると吉田松陰の辞世の句は4つ!

・「吉田松陰歴史館」で吉田松陰の一生を学ぶ

ぼくは「日本海沿いを北上する旅」の途中で、山口県の萩市までやって来た!山口県萩市は吉田松陰の故郷として有名らしく、松陰神社や松下村塾など、吉田松陰に関する施設がいっぱいあった!ぼくはこれまで吉田松陰という人について全く関心のない人生を送って来たので、これを機会に吉田松陰について詳しくなろうと思い立ち、「吉田松陰歴史館」で吉田松陰の一生を学び直すことにした。

辞世の句は?死因は?山口県萩市の「吉田松陰歴史館」で松陰の生涯を体系的に学んだ

「吉田松陰歴史館」は松陰神社の目の前にあった。駐車場は無料。入場料は500円だった。日本の歴史を変えたと言われる吉田松陰の人生が、時系列で、リアルなろう人形によって展示されていたので、実にイメージが湧きやすくわかりやすい博物館だった。吉田松陰の生涯を体系的に学び直すにはピッタリの場所だと思われた。

 

 

・吉田松陰の年表一覧

ぼくが「吉田松陰歴史館」で学んだ吉田松陰の人生をめちゃくちゃ簡単にまとめると次のような感じだった。

1830年杉百合之助の次男として生まれる
4歳で叔父の吉田大助の養子になる
11歳の御前講義でその才能が認められる
19歳の時、平戸で葉山左内につき猛烈な勉強を開始
20歳で東北諸国を遊歴
23歳でアメリカ軍艦の密航に失敗し、罰として萩の野山獄に幽閉される
26歳で、叔父の玉木文之進が開いた松下村塾を引き継ぐ
27歳で倒幕に向けて動き出し、再び野山獄に投じられる
29歳で死刑となった

 

・吉田松陰の辞世の句は4つもあったというのは本当か?

印象的だったのは、処刑される前に吉田松陰が残した「辞世の句」だ。グーグル検索したところによると、吉田松陰の辞世の句は3つあるという意見がメジャーなようだが、ぼくがここ「吉田松陰歴史館」で学んだところによると、少なくとも4つの辞世の句があるのではないかと思われた。そのひとつひとつを確認していこう。

 

・「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

松陰は遺書とも言うべき「留魂録」の冒頭に、有名な「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」という辞世の句を書き残した。この辞世の句は、弟子たちに向けて書いたものだと言われている。

「私の身がたとえ武蔵の野辺に朽ちてしまうことになっても、大和魂だけはこの世に留めておきたい」という意味。肉体が終わることは大したことではない、たとえ肉体が終わろうともその肉体が成し遂げようとした熱い思いや信念は、死を超越してでもこの世に残り続けるだろう、肉体の死など重要なことではなく、死なないことよりも重要な道しるべとしての信念が人生には必要だと、この辞世の句は語りかけてくれるように感じられる。

 

・「親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音づれ 何ときくらん」

処刑を覚悟した松陰が両親に宛てて書いた別れの書簡「永訣の書」の中には「親思う こころにまさる 親ごころ きょうの音づれ 何ときくらん」という辞世の句を書き残されている。松陰は親思いだったという。順番を考えれば親が死んでからその次に子が死ぬのが普通なのに、子供である自分が先に死ぬことになってしまった。そんな逆縁の運命を背負いながら、親に先立つ不孝を詫びている気持ちが前面に押し出されている。

 

・「このほどに 思い定めし 出立は きょうきくこそ うれしかりける」

「このほどに 思い定めし 出立は きょうきくこそ うれしかりける」という辞世の句は、井伊直弼の家臣である長野主膳の手紙の巻物に貼り付けられていたものが2014年になって発見されたものだという。専門家は「松陰が同じ句を複数人に宛てて書いたと考えられる」としている。「死という旅立ちを覚悟しており、今日やっとその日が来て嬉しい」という意味。

 

 

・「吾、今国のために死す、死して君親にそむかず、ゆうゆうたり天地のこと、鑑照明神にあり」

死刑を宣告されると、松陰はすでに覚悟していることだとして役人に挨拶した。そして引き立てられてくぐり戸を出ると次の詩を高らかに吟じたという。「吾、今国のために死す、死して君親にそむかず、ゆうゆうたり天地のこと、鑑照明神にあり」この辞世の句は漢詩だった。

「私は今、国のために死ぬ。この死は決して天皇や親に背くものではない。悠然と広がる天地の営みのは、すべて霊験あらたかな神々によって決められた定めである」という意味。この死は間違いではなく、自分の果たそうとしたことも間違いではなく、全ては神々の思し召しだという仏教的に言えば他力のような思想が見て取れる。

 

 

・「吉田松陰歴史館」と「松陰神社」によると吉田松陰の辞世の句は4つ!

このようにぼくが「日本海沿いを北上する旅」の旅の中で、「吉田松陰歴史館」で学んだ吉田松陰の辞世の句は4つだった。インターネット上では3つという意見が多く、4つの辞世の句があったという記載は見当たらない。この4つのうちのどれかが辞世の句として認められていないという意味だろうか。しかし吉田松陰の故郷である山口県萩市ではこのように解説されていたのでここでまとめてみた限りである。

 

 

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