親の言うことを聞いた方がいいというのは本当か?

 

親ぬゆしぐとぅや 肝に染みり

親の言うことを聞いた方がいいというのは本当か?

・沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」
・親の言いつけの重要性を主張する儒教の気配
・親の言うことを聞いた方がいいというのは本当か?
・親の言うことを聞いてよかったと思った記憶はない
・親の言うことを聞かなくて本当によかったと感じた奨学金の一例
・おばあちゃんの言いつけは守るべき

・沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」

ぼくは沖縄に10年間ほど住んでいた。10年も住んでいると、そんなに沖縄の民謡に興味はなくても、街中にあふれている沖縄民謡のメロディーに親しみを覚え、沖縄民謡を自然と知っているということがよくある。沖縄民謡の有名で代表的なものに「てぃんさぐぬ花」という歌がある。その歌い出しはこのようになっている。

“てぃんさぐぬ花や
爪先に沁みてぃ
親のゆしぐとぅや
肝に染みり

天の群り星や
読みば読まりしが
親のゆしぐとぅや
読みやならぬ”

翻訳すると、“ホウセンカの花は爪先に染めて、親の教えは心に染み渡る”“天の星々は数えれば数えられるが、親の教えは数え切れないものだ”という意味だ。

 

・親の言いつけの重要性を主張する儒教の気配

この民謡に限らず沖縄の民謡には親子の関係や親の言うことを大切にしようというものが多いように感じる。親を大切にしたり親の言うことを聞いたりすることは普通に考えればいいことなので、そうかそうかとうなづいて聞くのみであるが、それにしても日本の民謡に比べても親の言うことを聞く重要性を説く機会が沖縄には多いように感じる。

やはりそれは、沖縄が日本に比べて中国大陸に近い分、儒教の影響を色濃く受けているからではないだろうか。同じく中国に近い朝鮮半島の人々も、日本人とは比べ物にならないくらい儒教的観念が強いように感じられる。親を敬い、親の言うことの重要性を何度も説くのは、儒教的文化の特性が色濃く人々の世界に表出している結果なのかもしれない。

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・親の言うことを聞いた方がいいというのは本当か?

しかし親の言うことを聞いた方がいいというのは果たして本当だろうか。ぼくたちは子供の頃から「親の言うことを聞きなさい」と躾けられてきているので、親の言うことを聞くのはいいことだと思い込みそうになってしまうが、よく考えてみれば「親の言うことをきちんと聞きなさい」と何度も言っていたのは、当人である親だったのでこれはかなり怪しい。

親が自分の言うことを聞いてほしくて「親の言うことを聞きなさい」などと自分の子供に言い聞かすのは、自分の子供を都合よく扱うための至極当然な手法であると言えよう。それを「私の言うことを聞きなさい」と正直に伝えるのではなくて「親の言うことを聞きなさい」と“親の言うこと”と言い換えることによって、自分勝手な都合よい主張ではなく「躾」のように世の中で見なされてしまうから奇妙なものである。

 

 

・親の言うことを聞いてよかったと思った記憶はない

ぼくは今までの人生の中で、ああ親の言うことを聞いておいて本当によかったなぁと感じたことは一度もなかったように思う。今この文章を書くにあたって頑張って思い出そうとしてみたがどうしても思いつかなかったので、本当にそう感じたことがなかったのかもしれない。皆さんはそう感じることがあるのだろうか。

しかし何も記憶のないまままっさらな状態でこの世に生まれてきて、親という2人の人間の庇護のもとにすくすくと育ったのだから、ぼくの人格はほとんどすべて親によって形成されていると言っても過言ではないだろう。そんな親によって形成された人生を特に不幸だと感じることもなく過ごしているのだから、「親の言うこと」によって作られた人生を生きてきてよかったということなのかもしれない。

 

 

・親の言うことを聞かなくて本当によかったと感じた奨学金の一例

親の言うことを聞いてよかったなぁというのは思いつかなかったが、親の言うことを聞かなくてよかったなぁと感じたことは思いついてしまった。それは大学時代の奨学金に関してである。

大学の友人には奨学金を借りている友人が何人もいたが、ありがたいことに親が学費を支払ってくれていたのでぼくはそれを借りていなかった。それゆえにぼくは奨学金というものについて考えたこともなければ興味もなかったが、奨学金は借金だということだけは知っていた。「奨学金」というなんだかお得そうな名前をしている割にその正体は働き出したらコツコツ返していかなければならないという借金に他ならないのだと、奨学金を借りている友人から聞いた。

そんなこんなで奨学金とまったく縁のない生活をしていたが、ある時帰省した時に唐突に父親に「奨学金を借りてみないか」と言われた。ぼくは奨学金はただの借金だということを知っていたので、借金をするのは絶対にしてはいけないことだと即座に拒否した。すると父親は「医者になったらすぐ返せるよ」と返してきた。しかしぼくの意見は決して変わらず、借金は絶対にしてはいけないことだからと再び即座にしかも強く断ってその会話は幕を閉じた。

後にも先にも奨学金の話をされたことなんてこれきりだったが、今思い返してみても親の言うことを聞かなくてよかったと心から思える。親の言うことだから正しいことだろうと一般的な儒教の常識に支配されて、言われるがままに奨学金を借りなくて本当によかった。最近では社会人になっても奨学金を返済できなくて自己破産するような若い人も多いのだと聞く。そんなニュースや情報を聞く度にぼくは、ただ一度だけ親に勧められた奨学金のことを思い出すのだった。

 

 

・おばあちゃんの言いつけは守るべき

しかし自分の子供に借金をしろと勧めてくるなんて、あの時父親はどのような心境だったのだろうか。今思い返してみても本当に恐ろしくて仕方がない。自分の子供に借金を背負って欲しいと願う親がこの世にいるのだろうか。

別に家にお金がなくて困っていたということはまったくなかったし、学費は親が払ってくれるというのは誰も疑わない家の風習だった。父親だって母親だって、もちろん学費を親に払ってもらっていたのだ。それを当然のことだとは思わないしとても感謝しているが、それは普通だというような空気感が家にはあった。家はそれぞれの風習やしきたりを持っているので、それについてよそ者が口を挟むことはできない。

ぼくは父親の言うことを聞かなくてよかったと心から思う一方で、ぼくが奨学金を何の思考もなく即座に断った理由としての「借金は絶対にしてはならない」という思い込みは、実はおばあちゃんから教えられていたことなので、ああやっぱり先祖からの言いつけは守ってみるもんだなぁと、おばあちゃんの言いつけを守っていてよかったという例をひとつ発見したことを密かに喜んで今に至る。

 

 

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