お金とはぼくたちの生命の化身!お金は汚く、金儲けは悪いことだというのは本当か?

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お金とはぼくたちの生命の化身!お金は汚く、金儲けは悪いことだというのは本当か?

・ぼくたちは若い時代のほとんどを他人のための労働に費やす
・お金が汚いものだというのは本当か?
・お金とはぼくたちの命そのもの
・ぼくたちが自分自身のために生きようと目醒める時、大切にしてきたお金が役に立つ

・ぼくたちは若い時代のほとんどを他人のための労働に費やす

大抵の場合、ぼくたちは労働してお金を稼ぐ。それはすなわち自分の生きている時間を労働へと差し出し、その代償として生きていくための給料をもらうことを意味している。

労働に従事する年齢は、20歳頃から65歳頃までとされている。つまりぼくたちが労働へと差し出すのは、人生のうちで最も若くて最も健やかで何でもできる時間に他ならない。二度と戻ることがない人生の貴重な時代を、ぼくたちは自分が心の底から本当にやりたいことにではなく生きていくためのお金を稼ぐために仕方なく労働へと費やす。

労働とは基本的に他人の役に立つ行為だ。自分の人生の貴重な時間を、自分のやりたいことにではなく他人の役に立つことに充てがうから、その報いとして給料は支払われる。それはまるで自分が心からやりたいことを我慢して他人がやってほしい行為をすることで、自分の思いを犠牲にして他人の思い通りに行動することで、お金を稼いでいるようにも見える。

自分の人生で最も若く最も健康で何でもできる貴重な時代を、自分のためにではなく労働という他人への奉仕のために費やし、労働が終了すればもはや老人になっている。人間の人生とは、このような有様で本当にいいのだろうか。

人の役に立たず生産性がない人間は生きる価値がないというのは本当か? 〜人が労働する理由〜

 

・お金が汚いものだというのは本当か?

人間社会では、お金とは汚いものだと見なされがちである。「金儲けをしている」と言うと悪いことをしているような印象を受けるし、「金を稼ぐ」と言うと何だか卑しいことをしているように受け取られることも珍しいことではない。会話の中でお金の話をするといやらしいと感じられてしまうこともあるし、他人の金銭状況や貯金額や家賃を聞くことは失礼な行為だと判断される。

しかし本当にそうなのだろか。お金とは本当に、浮世で言われているほど汚く醜く悪いものだろうか。

 

 

・お金とはぼくたちの命そのもの

お金とは大抵の場合、労働という自分の人生の貴重な時間を他人の役に立つことに捧げる行為によって得られたものであるはずだ。自分の時間を犠牲にしてまで他人の役に立つことをして得られたものが、汚いはずがあるだろうか。そのような観点から言えばお金というものはむしろ美しく素晴らしいものではないだろうか。

またお金というものがぼくたちの人生の最も若くて最も健やかで何でもできる時代を犠牲にして手に入れているものだというのなら、お金とはまさにぼくたちの命そのものである。ぼくたちは人生の中でいちばん尊く貴重な時間を、いつも切り売りしてお金を稼いでいるのだ。お金というぼくたちの命の時間の化身を、果たしてぼくたちは汚いとか醜いとか卑しいとか言って蔑んでいいのだろうか。それはまさにぼくたちの人生そのものを否定する結果に繋がるのではないだろうか。

 

 

・命の化身であるお金について語り合うことの重要性

ぼくたちはお金が汚いとか醜いとか卑しいとかいう社会的な偽物の植え付けに惑わされずに、遠ざけることなくもっとお金と率直に向き合い、お金についての議論を交わし情報を共有すべきではないだろうか。お金とはぼくたちの命そのものだ。そしてお金はぼくたちの人生を左右する最も重要な道具のひとつとなる。ぼくたちの命の化身であるお金について、真剣に語り合うのはむしろ真っ当で当たり前の行為ではないだろうか。

この大量消費社会の中では、油断していると簡単にお金を奪い取られてしまう。お金を無遠慮に奪い取られるということは、自分の生きていた命の時間を無防備に踏みにじられることと同様だ。意味のない消費や高すぎる税金、不条理な搾取から自分の身を守るための対策をぼくたちは怠ってはならない。そしてそれらの危険からお金を守るためには、自分自身で調べることはもちろんのことながら他人とお金について語り合うことが重要な機会となってくるはずだ。

お金を汚いと見下し、お金を軽んじ、お金に真剣に向き合わない者たちはやがてお金によって足元を掬われるだろう。逆にお金はぼくたちの命そのものだとその価値を的確に見出し、尊いものとしてお金について大いに語り合い、情報を共有し、お金を大切に思う心を持って初めてお金を適切に扱う能力を最大限に発揮することができるだろう。

 

 

・ぼくたちが自分自身のために生きようと目醒める時、大切にしてきたお金が役に立つ

ぼくたちは最も若く最も健やかで何でもできる貴重な人生の期間を、労働に費やす運命にある。だからこそ自らの命の化身としてもらい受けるお金を決して蔑ろにすることは許されない。お金を適当に取り扱うことは、自らの命や人生を適当に取り扱うことと同じになり、自分自身と真剣に向き合うことを妨げる結果となるだろう。ぼくたちはぼくたち自身の命を大切に慈しむように、お金を大切に守り抜かなければならない。

そしてあらゆる若い時代のほとんどを労働に費やし、他人のために捧げ、自分のために生き抜くことを犠牲にしながら生きることに疑問を持っているというのなら、大切に守ってきたお金を使いながら若いうちに徹底的に自分自身のために生きる期間を設けてもいいかもしれない。自分の命を大切にすることと、自分のお金を大切にすることは同義だ。最も若く最も健やかで何でもできる時代を他人ではなく自分自身のために捧げようと覚悟する時、今まで大切に守ってきたお金が自分のためのエネルギーへと変換され、ぼくたちの命を輝かせることを助けるだろう。

ぼくは自分自身のために徹底的に生き抜こうと覚悟し、自らの直感に導かれ世界一周の旅に出た。

 

 

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