レジ袋を有料化してもいいというのは本当か?

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レジ袋が有料化されてから、生活の質が格段に下がった。

レジ袋を有料化してもいいというのは本当か?

・レジ袋有料化によりQOL(生活の質)は格段に下がった
・正しさの庇護の元、知らず知らずのうちに奪い取る者たち
・レジ袋の次には、一体何が有料化されるだろうか
・「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」という怪しい正しさを疑え
・新潟県のフルーツサンド屋さんの出来事
・レジ袋を無料でくれる北海道のセイコーマートは神

・レジ袋有料化によりQOL(生活の質)は格段に下がった

7月からレジ袋の有料化が始まった。ずっと以前からスーパーマーケットではレジ袋を有料化していたところもあったから違和感はさほどないものの、コンビニやお土産やさんでさえ袋をくれないというのは、衝撃的なほど極めて不便な世の中になったと感じられる。誰がこんな究極的に不便な世の中を望んでいるのだろうか。コンビニなんてコンビニエンスストア(和訳:便利な店)だから略してコンビニと言われているのに、レジ袋もくれないようじゃ全然便利でもなんでもないから今後は”コンビニ”と名乗らないでほしいと感じてしまうほどに不便だ。

今まではコンビニで100円のお菓子を買えば、100円のお菓子とレジ袋が付いて来て、快適にお菓子を持ち運びながら何の不満もなく心地よくコンビニを立ち去ることができたのだ。しかもその後レジ袋はゴミ袋として家庭で便利に有効活用されるから一石二鳥だった。今は100円のお菓子を買ってもレジ袋をくれやしないから、自分の手で掴んで持って帰らなければならない状況に陥っている。お菓子ならまだ持ち運びやすいからいいものの、牛乳パックの飲み物を2つ買って、両腕でそれらの冷えたパックを抱えて持ち帰らなければならなかったときなど本当に惨めな気分だった。ぼくたちは「地球環境のため」とかなんとかさも正しそうな理由をつけられることにより、今までのレジ袋のある快適な生活を奪い取られたのだ。

今まで100円で可能だった快適な生活が、今では103円支払わなければ成り立たない。別に3円くらいいいじゃないか呑気に構えていることは愚かなことで、同じサービスを受けるための金額が上がるということは、ぼくたちの貯金や財布の中身が価値を下げているということを表す。今まで1個100円だったおまんじゅうが、いきなり1個200円になったらどうなるだろう。もしも貯金が100円だったとしたら、ぼくたちは前まではおまんじゅう丸々1個を買えたのに、1個200円に値上がりしてからはおまんじゅう半分しか買えなくなってしまう。物価が2倍になれば、貯金の価値は半分になるのだ。貯金の額は100円で変わらないが、その価値が下がってしまう。

あなたの預金通帳の中の財産が誰かに勝手に盗まれているというのは本当か?

今まで100円のサービスがレジ袋有料化により103円になったということは、あなたの貯金の価値が何者かによって奪い去られたことを意味する。あなたはそれでも黙って平然としていられるだろうか。

 

 

・正しさの庇護の元、知らず知らずのうちに奪い取る者たち

このレジ袋有料化は、簡単にいえば未来の地球環境を守るために実行されたらしい。「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」と言ってしまえば、そうか仕方ないと我慢して黙って納得してしまう人々も多いことだろう。「地球環境を守ること」や「未来の子供達のためになること」という標語は、世の中で絶対的な正義として君臨している。

しかしその正しさに惑わされ、未来や人間集団のためにと自分が我慢しすぎて、知らず知らずのうちに自分の蓄えから多くのものが奪い去られ泥棒されていないだろうか。純粋に頑張ってきたものの証が気づかないうちに根こそぎ略奪されていたと、実際に盗まれた後で気づいたのでは遅すぎるのではないだろうか。

ぼくたちはそれとは気づかぬうちに、ぼんやりしているうちに多くのものを奪い取られていないだろうか。そのうちに奪い取られすぎて、何を失くしたのかもわからないままボケーっとした顔で口を半開きにしながらよだれでも垂らして生きていくしかないのだろうか。小賢しく奪ってゆく者たちが、奪い去られる者たちの愚かさと無知を嘲笑って、安全な富の中から馬鹿にするための世の中だろうか。

 

・レジ袋の次には、一体何が有料化されるだろうか

そもそも「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」なのに、どうしてレジ袋だけなのだろう。このままぼくたちが「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」という正しさに大人しくひれ伏して、上からの言うことをこれからもずっとレジ袋の時のように聞き続ければどうなるだろう。

もしかしたら今度は割り箸代が有料化されるかもしれない。割り箸を作るためには木を切るので環境に悪いからだ。その次にはスプーンやおしぼりも有料になるかもしれない。なんだって理由をこじつければ環境に悪く、未来の子供達のためにならないことにできるからだ。

人間たちはどこまで我慢し続けるつもりだろう。レジ袋はぼくたちが奪い去られる序章にすぎないのかもしれない。今度は「地球環境を守るため」と言って割り箸を有料化され、次には「未来の子供達のため」と言ってスプーンを有料化され、その度に貯金や財布の中の価値を次第に奪い取られ、人間たちは一体どこまでやせ我慢ができるのだろうか。

 

・「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」という怪しい正しさを疑え

ぼくたちは今度は何が有料化されるのだろうか、そしてその結果として財産を知らず知らずのうちに泥棒されるのだろうと、怯えながら生きて行くしかないのだろうか。どこまでも有料化され、根こそぎ価値を奪われるその前に、怪しい正しさに気づくべきではないだろうか。

「地球環境を守るため」「未来の子供達のため」なんて本当だろうか。人間の未来や運命は、本当に人間によってたやすく決められ、コントロールできるものなのだろうか。地球の中の生命のたかが小さな一種類にすぎないくせに、壮大で繊細な地球のバランスに介入できると本気で信じているのだろうか。本当はそんなこととても不可能なのに、正しい響きを利用して正義を振りかざして、小賢しく誰かが利益を貪っているだけではないだろうか。

 

 

・新潟県のフルーツサンド屋さんの出来事

ぼくは先日新潟県でフルーツサンド屋さんに立ち寄り、500円のフルーツサンドを2個と800円のフルーツサンドの合計3個をレジに持っていった。しかしレジで、レジ袋が有料であると聞かされ驚いてしまった。こんなに高いフルーツサンドを3個も買っているのにレジ袋もつけてくれないなんてくだらないことだと思い、レジ袋を買わなくても持って帰れる個数に減らそうと考え、一番高い800円のフルーツサンドを買わないことにした。フルーツサンド2個なら手で持って帰れそうだったからだ。そして当然レジ袋は要らないと告げた。

この店は3円のレジ袋をよこさなかった代わりに、800円のフルーツサンドを購入される機会を失ったのだから大損だろう。しかしこれは「レジ袋が有料だなんてくだらない」とぼくが言葉で表現する代わりに、態度で示しただけに他ならない。このように態度で示すことで、店側が無料の袋を用意しないと結果的に損してしまうので無料の袋を用意すべきだという思考に流れ込まないかとささやかな願いを託したのだった。なんと地道な活動ではあるが。

 

 

・レジ袋を無料でくれる北海道のセイコーマートは神

ぼくは今、日本海沿いを北上する旅を実行しており、やっと長崎県からずっと日本海沿いをドライブして北海道までフェリーでたどり着いた。北海道でいい意味で驚いたのは、「セイコーマート」というコンビニが無料でレジ袋をくれるということだった。なんでも環境に優しい成分でできたレジ袋をきちんと用意できているので、レジ袋有料化の義務に当てはまらないということだった。他のコンビニやスーパーマーケットはどうしてこれをしないのだろうか。ぼくは北海道では何があっても、コンビニはセイコーマートしか利用しないと心に決めた。このようにして消費者の快適さを本当に考えているコンビニにだけ利益を与えたいと考えたからだ。セイコーマートこそ本当にコンビニエンスストア(便利な店)と呼ぶにふさわしい。

レジ袋を無料で、あたたかいおにぎりとアイスを一緒に買ったら惜しみなく2つの袋に分けてくれる、そんな当たり前だった日常が戻ってくるという感動的な体験を、北海道なら味わうことができる。

 

 

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