ポケモンカード151種類制覇!メルカリでプテラのポケモンカードを買ってもいいというのは本当か?

 

プテラのカードが欲しい!!!!!

ポケモンカード151種類制覇!メルカリでプテラのポケモンカードを買ってもいいというのは本当か?

・ポケモンは最初、151匹だった
・子供達の間のポケモングッズ経済圏の仕組み
・200円で5枚出てきたポケモンカードのガチャポン
・ポケモンカードを150匹まで集めた少年時代
・メルカリでプテラのポケモンカードを買ってもいいというのは本当か?

・ポケモンは最初、151匹だった

今となっては増えすぎてポケモンが何匹いるのかよく知らないが、一番最初にポケモンゲームが発売された時には、ポケモンは151匹だった。しかし151匹でも随分多いと思ったし、覚えるのにもそれなりの時間がかかった記憶がある。今の子供たちはすべてのポケモンを覚えられるのだろうか。

ポケモン発売当時はポケモン151匹の名前と絵が描かれた一覧表が子供雑誌の付録についており、それを毎日眺めながら自然とポケモンの外見と名前を一致させていった。大体は進化しても外見や名前が似ているので、これがこれに進化するのだと予想するのは簡単だった。たとえばフシギダネがフシギソウに、フシギソウがフシギバナに進化すると予想するのはどんなに小さな子供でも可能だった。

しかしごくたまに予測困難なものもあり、後からその事実を知った際には、え!これがこれに進化するの?!と驚きを隠せずにいた。たとえばコンパンがモルフォンに進化するなんて全然わからなかったし、コイキングがギャラドスになるなんてもっと予想できなかった。外見も名前も何もかも違いすぎでは?それなのにミュウがミュウツーに進化するわけではないのはわけがわからなかった。

 

 

・子供達の間のポケモングッズ経済圏の仕組み

子供達の間ではポケモングッズを集めるのが大流行していて、ぼくもポケモンカードやポケモンの人形やシールを集めまくっていた。ポケモングッズは非常に充実しており、どんなに集めても集めても全部手に入れるなんて不可能なほどたくさんの種類が生産されていた。

そんなポケモングッズは子供達の間での通貨の役割を果たしており、珍しいポケモンカードと珍しいポケモンの人形を交換してもらうなど、子供達の世界ではお金とは全く別の価値観での経済圏が発達していた。自分が珍しい何物も持っていない場合は、珍しいグッズを手に入れるために手段を選ばず、手当たり次第に珍しくないグッズを大量に与えることで交換を促す人もあった。質ではなくて量で勝負していたのだ。

そんな風にお金ではない可愛いポケモンの「通貨」があったという空気感が、なんだか愛おしく懐かしく思えた。ぼくたちは今、通貨として金のことしか見ていない。

 

・200円で5枚出てきたポケモンカードのガチャポン

ポケモングッズで最も印象に残っているのは、ポケモンカードだ。確か200円で5枚出てくるようなガチャポンのような仕組みだったが、それをお母さんやおばあちゃんと買い物に行った際にはねだり、コツコツとポケモンカードを集めていった。しかし200円でカード5枚というのは結構高く、そんなにしょっちゅう買ってもらえるものでもない。そんな状況下でポケモンカード151匹集めるというのは全く容易ではなかった。

ポケモンカード151枚を集めるためには単純に計算して6000円くらいのお金が必要だ。しかしこれはガチャポンであり、欲しいポケモンのカードを指さしてこれくださいと言えるわけではない。すべてはランダムであり、欲しいポケモンカードがいつでも出てくることは当然なく、ものすごく極端に運のいい人で偶然カブることなく151匹のカードが次から次へと機械から出てくれば6000円で済むが、もちろんそんな強運の人はいない。当然その2倍3倍、もしくはそれ以上のお金が必要だと予想される。

そんな時に非常に役立つのが子供同士のポケモングッズ経済圏だ。ぼくたちは自分が2枚以上持っている要らないカードを、自分が持っていないカードと交換してもらい、どんどん手持ちのカードを増やしてやがてポケモンカードを151種類完全コンプリートする日を夢見ていた。

こうして思い返してみると、珍しいポケモングッズを持っている子供には力があった。大人のおじさんが年収が高くお金をたくさん持っていることを自慢するのと全く同じように、子供達の間では価値のあるポケモングッズを持っていることが誇らしく、何よりも偉かった。それはもしかしたら、頭がいいとかスポーツができるということ以上に価値のあることだったのかもしれない。

 

 

・ポケモンカードを150匹まで集めた少年時代

そんな風にして財力のない子供達はポケモングッズ経済圏を駆使して、少ないお小遣いや親からの恵みからなんとか少しずつ自分のお気に入りのポケモングッズを増やしていった。ぼくは特にポケモンカードを151種類集めるために尽力しており、ミュウのキラのカードをもらうためにものすごく大事なプリンの風船ボールを友達と交換したりして努力を惜しまなかった。

そんな風に交換に交換を繰り返して、なんと150種類までポケモンカードを集められたのだった。あと1匹!あと1匹だったのだが、そのカードは友達も誰ひとり持っていることがなく、そのまま永久に見つからないままに、ポケモンカードのことは徐々に記憶から忘れられていった。しかしせっかく努力して集めたその150種類のポケモンカードは、ぼくの机の奥深くにずっと大切にしまってあったのだ。

 

 

・メルカリでプテラのポケモンカードを買ってもいいというのは本当か?

あと1匹のポケモンとは古代化石から蘇った「プテラ」というポケモンだった。ぼくは先日そのことを十何年ぶりになぜかふと思い出し、インターネットで検索してみると、なんとプテラのポケモンカードがメルカリで売られていた!値段も1111円と決して高くない!

欲しい!買いたい!!!これを買って何年もの年月を隔ててポケモンカード151匹コンプリートの夢を叶えたい!!!

ぼくはすぐにポチって購入してしまおうかと考えたたが、そう思った瞬間になんだか急に物悲しくなってしまった。幼い頃、金の力に頼らないで、200円で5枚のガチャポンをコツコツやって、さらには交換という子供達の間のポケモングッズ経済圏においてのみ努力して集めてきた純粋無垢な150匹のポケモンカードが、なんだか最後の最後にプテラを1111円で買うことにより、大人の金の世界に汚されてしまうような妙な気分になったのだ。

151匹のポケモンカードを集めたいという純粋な少年の夢が、最後の最後に金の力によって達成されてもいいのだろうか。もちろん自分で医師として稼いだお金なのでどう使おうと文句を言う人は皆無だろう。1111円は別に安くもないが、ものすごく高いわけでもない。けれどぼくには思い出されるのだ。お母さんに200円出してもらって5枚のポケモンカードを買ってもらった時の喜びを。あの頃の少年の気持ちを思い出すと、1111円なんて安いじゃないかとふんぞり返ることはできない。1111円なんて少年にとってはものすごい大金だ。1ヶ月のお小遣い(1000円)よりも多い金額だ。

ぼくはこのまま金という力に任せてプテラのカードを購入し、少年の頃の夢を叶えるべきだろうか。それとも150匹は150匹のまま、未完成なままで純粋な少年の夢を保存しておくべきだろうか。もう少し、あと少しだったのにと、叶わない少年の夢を泳ぎながら生きていくのも、情緒深くて悪くない思いもする。

夢を叶えることが人間の全てであるとは限らない。夢を叶えないという選択が、自らの人生を美しく彩る場合もあるのではないか。

 

 

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