ルールや規則に従わなければならないというのは本当か? 〜ルールを乗り越えた先にある美しい風景〜

 

ルールを乗り越えて生きていこう。

ルールや規則に従わなければならないというのは本当か? 〜ルールを乗り越えた先にある美しい風景〜

・ロシアのバレエ鑑賞の出来事
・熊本県のあるお土産やさんの出来事
・ベトナムのお寺での出来事
・ドイツのノイシュヴァンシュタイン城の出来事
・ルールには2つがある

・ロシアのバレエ鑑賞の出来事

以前、ロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で人生初のバレエ鑑賞をしてひどく感動したことを記事にした。

ロシア・サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で人生初のバレエ「眠れる森の美女」鑑賞

そのバレエ鑑賞の前には、写真撮影は禁止だという注意がなされた。バレエで写真撮影禁止なんて、そんなこと当たり前だろうと思っていたが、何人もの人がたまにバレエ上演中にスマートフォンで写真撮影をしている人がいたので驚いた。しかし誰も彼らを咎めもせず、責める人もいなければ、係員の人がやってきて追い出されることもなかった。

一応ルール上は写真撮影禁止となっているが、どうしても撮りたい人は撮ってもいいのだというおおらかな気配が感じられ、ぼくは「ルールで禁止されているにもかかわらず写真撮影するなんてけしからん!」というような思いとはまったく真逆のなぜかあたたかい気持ちになった。

理由の言及もなくただ押し付けられたルールや規則にひれ伏して従って大人しく生きるよりも、自分が撮影したい時には撮影するのだというルールを破ってでもあふれくる人間らしい思いや、それを周囲の人々や係員が受け入れている寛容さに、学ぶようなものがある気がしたのだ。

 

 

・熊本県のあるお土産やさんの出来事

ルールを破っている人々を見てあたたかな気持ちになるという奇妙な体験は、九州一周中の熊本県の小さな町のお土産やさんでも体験した。風流な古民家が立ち並ぶ町の小さなお土産やさんにふらっと立ち寄ってみると、そこには安室奈美恵の「Finally」の歌が流れていて懐かしい気持ちになった。これは日本では久しく失われた光景に思われたからだ。

大正ロマン!熊本県山鹿市の八千代座がレトロで優美な劇場だった

昔は町中や店内でたくさん流れていた歌も、JASRACという著作権団体がなんでもかんでも音楽から著作権料を巻き上げようとした結果として、街中で歌を聞くことがなくなったと聞く。団体のがめつさのせいで日本中から音楽が消えてしまったなんてとてもさみしい思いがするし、誰がそんな状況を望んでいるのだろうと不思議に思う。おそらく誰も望んではいないだろう。

おそらくあの熊本県の小さな町のお土産やさんは、JASRACに著作権料なんて支払っていないことだろう。JASRACの魔の手もここまではのびていないのかもしれない。しかし、JASRACのことなんて気にせずにのびのびと店内で歌と音楽を楽しみ聞けるこの環境こそが、一部の権力者を除いたほとんどすべての日本人が望んでいる、もう一度見たい景色なのではないだろうか。

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・ベトナムのお寺での出来事

日本でもそうだが、寺院や神社で写真撮影禁止というものが多くて非常にがっかりする。日本人ならまた来られるからいいものの、はるばる遠くの異国から来た外国人などは、わざわざ遠い日本まできて、高い入場料まで払って寺院仏閣に入ったのに、そこで写真撮影禁止を突きつけられるなんて本当に気の毒でならない思いだ。一体なんのための写真撮影禁止なのだろうか。

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外国でも写真撮影禁止のお寺が稀にあるものの、みんな結構無視して写真撮影を楽しんでいる光景が印象的だ、ベトナムにある東南アジア最大のバイディン寺は、仏像のある建物内は「写真撮影禁止」と書かれているものの、ほとんどすべての人がスマホやカメラで写真撮影をしているので、ここでもルールを超越して写真撮影をゆるされるという奇妙な雰囲気を感じた。係員もきちんと監視しているのに、別に写真撮影を注意する人は誰一人いない。ルールっていったいなんだろうと考えさせられる場面だった。

写真撮影禁止を望んでいる訪問客なんて、おそらく誰一人いないだろう。みんなわざわざはるばるベトナムまでやってきて高い入場料を支払っているのだから、写真撮影したいに決まっている。その願いを押さえつけているのは寺院の支配者・権力者と彼らが決めた「写真撮影」のルールだけだ。どんな理由がるのかは知らないが、写真撮影をして悲しんだり傷ついたりする人はいないことだろう。しかし寺院は支配者や権力者の所有物なので、お邪魔する身としては権力が押し付けるルールにs従うべきだというのも理にかなっている。しかし訪問者は皆、権力者の決めたルールを無視して楽しく写真撮影を行っていた。そして監視員もそれをゆるし何も言わなかった。

一体誰が正しくて、誰が間違っているというのだろうか。

 

 

・ドイツのノイシュヴァンシュタイン城の出来事

ドイツで最も有名な観光地に、南ドイツのノイシュヴァンシュタイン城がある。このノイシュヴァンシュタイン城は、マリエン橋という橋から眺める景色が格段に美しいとのことだが、ぼくが行った冬にはマリエン橋への通行が禁止されていた。おそらく雪や氷で道が滑って危ないからだろう。

冬のヨーロッパ・クリスマスマーケットの光

しかし、多くの人々はその通行禁止の柵を乗り越えて、マリエン橋へと向かっていた。ここまで来たのにマリエン橋からの眺めを見ずに帰れるかという心境なのだろう。ぼくも彼らに従った。まさに通行禁止の柵を乗り越えていく様は、ルールという概念を乗り越えた先の風景を見るような思いだった。

マリエン橋までの道は危険と感じることもなく、何の苦労もすることなくたどり着いた。そしてその橋から眺める白銀のノイシュヴァンシュタイン城の絶景は、この世のものとは思えないほど美しかった。マリエン橋を訪れた人々は皆感動を分かち合い、写真撮影を楽しんだ。

ルールや規則を破ると、通常は逮捕や罰則や叱咤などのひどい仕打ちが待っていると教えられる。ぼくたちはそれが怖くて、それに脅されるようにして、大人しくルールや規則を守って慎ましやかに生きている。しかし冬のノイシュヴァンシュタイン城が教えてくれたことは、ルールを乗り越えなければ見られない美しい景色もあるという事実だった。この事実はこれからの人生において何らかの示唆となってくれることだろう。

 

 

・ルールには2つがある

ルールには2つがあるように思われる。みんなで決めたルールと、権力者が勝手に決めたルールだ。

法律というルールは国民が代表を選んで決めたおじさんやおばさんが決めるルールなので、みんなが決めたルールと言えるだろう。しかしこの“代表を決める”という制度が、すべての人々の声を偏りなく反映させることがきちんとできているのかは定かではない。しかし一見みんなで決めたルールに見えるので、従わせやすいだろう。

それに比べてみんなの声を無視して権力者が勝手に決めたルールというものもある。お寺の写真撮影もこの代表例だろう。みんなは写真撮影したいに決まっているのに、寺院の所有者や権力者がルールを決めてしまえば、その敷地内にお邪魔している身としては従わざるを得ないというのは論理的ではある。JASRACの音楽を店内で流すのに著作権料をむしり取って日本中から音楽が消えたのも、ほとんどの日本人が望まない権力者による一方的な決まりによるものだろう。

みんなの声を無視して権力者たちが勝手に決めたルールには、どれほどの威力があるのだろうか。いくら合理的でまっとうだと判断させようとも、人々の不満や怒りが募った暁には、彼らを抑えつけることができるのだろうか。

ルールや規則を決めるというからには、それを破りたいと思っている人々が一定数いるというのが前提だ。それを破りたいと思っている人が誰もいないのに、わざわざルールを制定する間抜けはいないだろう。そのルールを破りたい人々が多くなってきたとき、そのルールを破ることが当たり前になってきたとき、ルールという言葉によってまもられていた正しさや間違いの境界線が曖昧になったとき、権力者たちはどう対応するのだろう。

人間が生きた流動体であるように、人間が作り出すルールもまた流動体である。時代に応じて、心に応じて、可変体でなくてはならない。人間が作り出したルールに支配されてはならない。人間がルールを支配しなければならない。

 

 

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