女の価値は若さと外見、男の価値は年収や社会的地位で決まるというのは本当か?をクレしんから考察する
・しんのすけがみさえに言う悪口と、ひろしに言う悪口の違い
・みさえに対する悪口は、年齢や外見に関するものが多い
・ひろしに対する悪口は、経済力や社会的地位に関することが多い
・女の価値は若さと外見、男の価値は年収や社会的地位にあるというのは本当か?
・男女平等という正しさが世の中で暴れても、男と女は根本的に異なる生き物だとクレヨンしんちゃんは教えてくれる
目次
・しんのすけがみさえに言う悪口と、ひろしに言う悪口の違い
ぼくはクレヨンしんちゃんを好きで幼い頃からよく見ている。クレヨンしんちゃんの面白さはなんと言ってもしんのすけがまだ5歳の幼い幼稚園児の子供であるのに、まるで世の中の有り様を見抜いているような大人に対する鋭い発言にあるだろう。
中でも母親であるみさえと、父親であるひろしに対する口答えは面白く、みさえやひろしが何を言われたら心が傷ついてしまうのかきちんと理解していないと出てこないような悪口が連発されていて笑えてしまう。
しかしぼくがクレヨンしんちゃんを見ていると、しんのすけがみさえに対して言い放つ悪口と、しんのすけがひろしに対して言い放つ悪口の内容が全く異なっていることに気がついた。それはおそらくみさえがこう言われればグサッと傷ついてしまう、ひろしがこう言われれば落ち込んでしまうという悪口の内容が、大きく異なっていることから生まれる違いなのだろう。
そしてみさえに対する悪口、ひろしに対する悪口を深く研究していけばそれはすなわち、この世の中で女がこう言われれば傷ついてしまう、男がこう言われれば傷ついてしまうという性別に関する感性の違いにまで行き当たってしまうことになる。それではまずしんのすけが言い放つ、みさえに対する悪口を見ていこう。
・みさえに対する悪口は、年齢や外見に関するものが多い
しんのすけがみさえに対して言う悪口は、まず年齢に関する内容が頻繁に見られる。みさえは29歳なのだが「もうすぐ30の癖に」「妖怪三十路ババア」「いい歳をして」などと年齢にフォーカスが当てられた悪口が多いのが特徴だ。それに対してひろしは35歳だが、ひろしに対して35歳ということで年齢に関してからかったり悪口を言う場面は全く見られない。
さらにみさえに対しては、なんと言っても外見的特徴をからかう悪口がとても多い。すなわち「胸が小さい」「オケツがでかい」「尻がたるんでいる」「小皺だらけ」「三段腹」など、みさえの外見的特徴をしんのすけが指摘する悪口には枚挙にいとまがない。この頻繁な外見に対する悪口にみさえは怒り狂い、しんのすけにげんこつやぐりぐり攻撃を連発している様子が見られる。
それに引き換えしんのすけがひろしの外見をからかっている場面はほとんど認められない。よく聞くのは「足が臭い」という悪口だが、それは身体的特徴ではあるものの嗅覚に関する悪口であり特に視覚的にひろしの外見を非難しているわけでもない。
・ひろしに対する悪口は、経済力や社会的地位に関することが多い
ではしんのすけからひろしに対する悪口にはどのようなものが多いのだろうか。これがとても興味深いところで、それは圧倒的に経済的な悪口が多いのだ。すなわち「安月給」「甲斐性がない」「ローンがあと32年もある」というものだ。経済的なことや年収のことを指摘されるとひろしはガックリと傷つき、しんのすけもそれを見抜いてひろしをからかっているような節がある。
また同じようなところで社会的な立場を揶揄するという場面もよく見られる。すなわちひろしは会社では係長なのだが「係長止まり」などと言ってひろしを傷つけるのだ。
これはみさえに対する悪口には全く見られない特徴である。みさえは主婦で年収0円だが、しんのすけはそれを決してからかったりいじったりはしない。もちろんみさえの社会的地位など皆無に等しいが、だからと言ってみさえに社会的地位がないことをしんのすけがからかうシーンは一切見られない。一体どうしてしんのすけの悪口の内容は、みさえとひろしでこんなにも異なっているのだろうか。
・女の価値は若さと外見、男の価値は年収や社会的地位にあるというのは本当か?
しんのすけが親に対して悪口を言う目的は、親を不機嫌にさせて怒らせることにあると思われる。その結果としてしんのすけがみさえやひろしから怒られたりお仕置きされたりすればアニメ自体が面白くなるので、番組を盛り上げるためには何としてでもしんのすけは親に怒りを覚えさせ逆上させなければならないわけだ。ということは、しんのすけはみさえが何を言われれば怒るのか、ひろしが何を言われれば不機嫌になるのかをきちんと見極めている必要がある。
みさえを怒らせる悪口の内容、ひろしを怒らせる悪口の内容をそれぞれ的確に把握するということは、女というものは何を言われたら怒るのか、男というものは何を言われたら怒るか、その性差の考察へと必然的に繋がっていくことだろう。つまりしんのすけのみさえとひろしに対する悪口の内容の違いは、男女の心がそれぞれどのような分野の悪口によって深く傷つけられるかを如実に表している。すなわち女は年齢のことや外見の欠点をからかわれると深く傷つき不機嫌になるし、男は自分の年収や社会的地位を見下されるとひどく落ち込むということだ。
さらに言えば性別によるその違いは、人間社会において一般的な人々が、女の価値は果たしてどこにあるのか、男の価値は一体何なのかという、誰も口には出さないけれどある程度共通して精神の根底に持っている認識を反映する。つまり人間たちは、女の価値は若さと美しい外見にこそあり、男の価値は金を稼ぐ能力と高い社会的に地位にあるのだということを、誰もが密かに認識しているのだ。
そしてしんのすけは絶妙にそのポイントを突いて親たちを逆上させる。みさえは年齢や外見についていつもしんのすけに指摘され、女としての繊細な価値を否定されたような気がして憤り、しんのすけにお仕置きする。ひろしについても同様で、いつも安月給とかローンが32年という経済的な能力の低さを非難されることを通して、男としての価値を否定されたような気がして落ち込んでしまう。クレヨンしんちゃんは人間の深層心理にある、男と女の価値がどこにあるのかという人々の密かな共通認識を巧妙に利用した、高度なギャグアニメだと言えるのではないだろうか。
・男女平等という正しさが世の中で暴れても、男と女は根本的に異なる生き物だとクレヨンしんちゃんは教えてくれる
もちろん男女平等が叫ばれる現代のような世の中において、女の価値は若さと美しい外見にあり、男の価値は経済力と高い社会的地位にあるのだなどとあからさまに表現すれば差別だと指摘され、ヒステリックに攻撃されてしまうことは火を見るよりも明らかである。どんなに本能的に、女の価値と男の価値は別の次元にあるということをはっきりと認識していようとも、今の人間社会では「女の価値と男の価値の内容に違いなんてない」「男と女は全く同じものなんだ」という顔つきをして生きていくことがふさわしく、またそれが世渡りとなっている。
しかし腹の底や本能では、誰もが男と女は違うものなのだとはっきりと見抜いていることだろう。そして男の価値と女の価値のありかが異なっているということを、「平等」という机上の虚ろな観念ではなく、古来より受け継がれてきた野生的な直感と本能がはっきりと認識し、人間の生命活動を根源から支配しているに違いない。
重要なのは、クレヨンしんちゃんは決してアニメの中で「女の価値は若さと美しい外見にある」「男の価値は経済力と高い社会的地位にある」などとは明言してはいないということだ。しかししんのすけのみさえとひろしに対する悪口のあからさまな内容の違いを研究すれば、クレヨンしんちゃんのアニメの根本には人間が誰もが心の奥底で本能的にはっきりと感じている「男の価値」「女の価値」の内容がきちんと反映され、面白い物語を作り出すためにその共通認識が利用されているということは疑いようがない事実となっていることがわかる。
「女の価値は若さと美しい外見にある」「男の価値は経済力と高い社会的地位にある」と誰もが密かに感じている本能的な直感をあからさまに明言することはなく、男女差別だとヒステリックに攻撃されることを逃れて、それでもすべての人間の心の奥底に隠されている避けがたい「男の価値」「女の価値」の共通認識を利用し、爆笑ギャグとして昇華させて長寿アニメとして生き残っていることを考えれば、クレヨンしんちゃんは単なるおバカで下品な子供向け番組ではなく、人間の深層心理を研究する上で重要な題材となり得るだろう。
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