ぼくたちは必ず老いるように作られている。
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人間が老いていくというのは本当か? 〜時を止めた少年〜
・人生は「初老病死」の苦しみの中
・中島みゆきの「傾斜」
・人間が老いていくというのは本当か?
・時間の正体
・肉体に流れる時間、精神に流れる時間
・時を止めた少年たちへ
・「時を止めた少年」
・人生は「初老病死」の苦しみの中
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仏教では人生は「生老病死」すなわち生まれ、老い、病み、死ぬという苦しみに満ちていると説かれている。人生は苦しみであると諦めた上で、よりよい生を生きるためにはどのような考え方が大切かを仏教は説いている。確かに生まれ、老い、病み、死ぬというのは、ぼくたち人間には逃れられない宿命であるように見える。どのような聖人であろうと、徳を積んだ人であろうと、賢い人であろうと、誰もがその定めから逃れられることはなく、最後には虚しく死んでいくかのようだ。
・中島みゆきの「傾斜」
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年をとるのは素敵なことです そうじゃないですか
と軽やかに歌い上げたのは、若かりし頃の中島みゆきだ。彼女は年間売上1位を獲得したオリジナルアルバム「寒水魚」の2曲目「傾斜」の中で、人間の逃れられない運命であるところの“老い”に関する自らの思いを歌っている。その歌は年を取るという時間的な感覚と、記憶すること、忘却することの次元を絡め合わせ、複雑な風景を描き出す。
年をとるのは素敵なことです そうじゃないですか
忘れっぽいのは素敵なことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら
忘れるより他ないじゃありませんか
人間は誰もが年をとっていく。その運命から逃れられないのならばいっそ、年を取るという定めを否定したり悲しんだりするよりもむしろ、中島みゆきのように「年を取るのは素敵なことだ」と肯定的にとらえ、前向きに明るく人生を進んだ方が賢いと言えるかもしれない。
・人間が老いていくというのは本当か?
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しかしぼくが気になるのは、本当に誰もが年をとってしまうのかということだ。もちろん年を取ってしまうというのは、一見すべての人々に与えられた平等な運命であるかのように見える。誰もが同じように1年生きれば1歳年をとり、老いていくし老けていく。
けれどもそれは、人間の肉体に限った話ではあるまいか。
・時間の正体
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人間が肉体だけで生きていると、ぼくたちはどうして言えるだろうか。ぼくたちは心を持ち、精神を持ち、魂を持ちながら生きているというのに、どうしてそれらを無視して、肉体だけに着目して、人間は老いるのだと判断できるだろう。
どうして、人間の肉体と人間の精神に、等しい時間が流れると言い切ることができるだろうか。
肉体はたしかに老いていく。それは紛れもない事実だ。ぼくが1歳年を取れば、隣の奴だって1歳年を取っている。皮膚や、眼や、髪や、機能は、確実に年を重ねていく。しかし肉体が1年の年を重ねたからと言って、精神まで同じく1年年を重ねているに違いないなんて、深い思い込みではないだろうか。そしてそのような考えはひどく軽率ではないだろうか。
・肉体に流れる時間、精神に流れる時間
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肉体の次元が1つ年を取ったのだから精神も1年分成熟しなくてはならない、心もひとつ大人にならなければならないと思い込んで、しかし決してそうはならずに、自分の精神や心の幼さと向き合うことや肉体と精神のギャップに苦しんでいるという人々も、この世には少なくないのではないだろうか。自分の肉体と精神の間に潜む溝に苛まれるよりもむしろ思い切って真実を見定めてはどうだろうか。
肉体に流れる時間と、精神に流れる時間は、別の種類のものなのだと。
・時を止めた少年たちへ
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悲しいことがあって、遠い昔にぼくは時を止めた。時間が流れるということが嘘だと裁いたので、少年は時を止めた。まるで宇宙のような真空に、自らの心を浸して。まるで氷のような幻想に、自らの精神を沈めて。
いつまでも少年のように旅を続けよう。肉体が時間という大河に浸されて、心さえ同じように年を取っていくはずだと噂する愚かな人々の声を退けて、ぼくたちは透明なままで心を生かし続けよう。
少年のように美しく生きたならば、浮世の中で傷つけられることも多かろう。迫り来る穢れと洗脳に染まらない悲しみは、孤独な魂にのみ測られるだろう。ぼくはまともではないのだと、青色の涙をゆらして。けれど決してまともにはならないために生まれてきたのだと、澄明な魂を捧げて。
ぼくたちは時間を捨て去り、いつしか永遠を手にする。一瞬という今の光に宿る、永遠という矛盾した輝き。
・「時を止めた少年」
傷ついたとき人は 時を止める
時を止めた少年
水色の少年
注ぎ込まれた透明な雨
無尽蔵に愛を洗い流す
明日を見なくなった
過去を見なくなった
IMAという清流に足を浸す
□少年のままの顔をして
少年のままの服を着て
少年のままの色をして
少年のままの感性を放つ□
時が流れていないと
人々は訝しがった
時を受けていないと
人々は気味悪がった
あの子を傷つけた奴らが
一番にあの子をおそれた
時が青く凍りついて
青い樹氷は日時計を示して
白い月は空に止まる
澄んだ涙が頬を伝う
もう傷つきたくないと
心を閉ざしたこと以上に
少年は燃え始める
真理の国への出離の誓い
生まれる感触を
いつまでも知りながら
永遠という清流に足を浸す
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