ずっと不思議だったモノクロの夢について。
色のない白黒(モノクロ)の夢があるというのは本当か?
・夢の記憶は不思議な物語
・すぐに忘れてしまう夢と刻み込まれて忘れない夢
・カラーの夢と白黒の夢
・夢の記憶は不思議な物語
人は誰でも夢を見る。夢と言っても眠っているときに見る方の夢だ。夢というのは不思議な無意識の宇宙だ。さっきまで確かに見ていたのに、波がさらって行くようにすぐに忘れて記憶から消えてしまう。起きているときのことはそうそう忘れないのに、どうして夢だけは忘れやすくできているのだろう。
大抵の夢はその日の正午にはすっかり忘れて、そのまま思い出せないまま人生の日々を過ごすのに、時々どんなに時間が経っても忘れない夢というものもある。何年何十年経っても忘れることなく刻まれている夢の思い出はよみがえる。それが忘れられないくらいインパクトのある夢だからというわけではない。どうして忘れられないのかもわからないまま、ぼくたちは夢の記憶を辿っていく。
訪れたこともない荒野の風景、見たこともない透明なエスカレーター、旅したこともない青白い聖域の森、生きたこともない古代日本の街並み、夢の全ては不思議すぎて、されど考えてもどうせせんなくて、ぼくたちは夢について何もわからないまま、けれどわからないことを不便に感じることなく人生は進められる。
・すぐに忘れてしまう夢と刻み込まれて忘れない夢
けれどふと不思議に思う瞬間がある。すぐに忘れてしまう夢と、心に刻み込まれて何年も忘れられない夢の違いはどこにあるのだろうかと。夢を忘れてしまうことは悲しいことなのだろうか。それともいつまでも夢の世界を覚えていることは穢れだろうか。
ぼくは夢の中で見た風景をどうしても忘れたくなくて、水彩画で大きな絵を書いたことがあった。ぼくが描いたのは、聖域に属する青白い森の絵。青白い森へは、自転車で長い坂道を下った後に出現した古代日本の門のある街をくぐり抜けて、行くことができた。
ぼくはまたあの青い森へ行きたい。もう一度訪れるはずだとなぜだか確信したから、ぼくはその風景を忘れないように絵を描いた。それから月日は流れて、ぼくは医者から旅人になった、シベリア鉄道の旅を終えて、ウラジオストクからモスクワ、そしてサンクトペテルブルクへと旅を継ぎ、真冬の北極圏のオーロラが見える街・ムルマンスクへの鉄道に乗っていると、目が覚めて窓の外を見やれば、そこにはあの夢の中の青白い森があった。
夢の世界と現(うつつ)が、つながりあった瞬間だった。
・カラーの夢と白黒の夢
ぼくはいつも夢の世界の美しい色彩を覚えている。ぼくの夢にはいつも色がある。
幼い頃雑誌を読んでいると占いのようなページがあって「あなたがよく見るのはカラーの夢?白黒の夢?」と選択する箇所があって驚愕した。モノクロの夢を見る人がこの世にいるなんて、全く知らなかったからだ。ぼくは早速友達に尋ねてみると、たまに白黒の夢を見ることもあると語っていたので驚いた。本当に白黒の夢を見る人は存在していたのだ!
ぼくはカラーの夢しか見たことがなかったので本当に白黒の夢の事実を知らなかった。誰も他人の夢を覗き見ることは不可能であるから、知らなくても当然なのかもしれないが。カラーの夢をよく見る人と、白黒の夢をよく見る人には、何かしらの脳の違いがあるのだろうか。そもそも、本当にそんなにたくさん白黒の夢を見る人っているのだろうか。
夢の世界は不思議と謎でいっぱいだ。どうでもいいことなのだが、なんだか気になる。人生の役には立たないかもしれないけれど、なんとなく知りたい。もしかして昭和世代のモノクロテレビを見ながら幼少期を育った人はモノクロの夢を見るとかそういうオチではないだろうか。もしそうならなんだかくだらないが、それなら今の世の若い人はみんなカラーの夢を見るだろう。
あなたの夢はカラーですか?白黒ですか?