具体的なものが抽象的なものよりも優れているというのは本当か?

 

抽象的なものの美しさよ。

具体的なものが抽象的なものよりも優れているというのは本当か?

・具体的なもの、抽象的なもの
・人々は具体的なものを好む傾向にある
・具体的なものたちの特性
・抽象的なものたちが投げかける余白
・ぼくたちの抽象への帰郷

・具体的なもの、抽象的なもの

この世には具体的なものと抽象的なものが混在している。

美術館においても具体的な人物画、風景画を描いている絵画もあれば、ヘンテコリンで何を描いているのか掴みづらい抽象画も並んでいる。また文章においても、具体的にデータに基づいて検証し何らかの結論を伝えるための論理的な論文のような文章があるかと思えば、何を伝えているのかとらえづらい抽象的な詩のような表現もあり得る。

そして人間の世の中で好まれ受け入れられやすいのは、大抵具体的なもののようだ。

 

 

・人々は具体的なものを好む傾向にある

ブログを書いていても、人々に好まれよく検索されよく読まれるのは、心のままに自分の感性を発散したような抽象的な世界観の詩や文章ではなく、具体的な体験に基づいた人が詳細を知りたがるような実生活に役に立つ記事のようだ。

浮世の人々は何か掴みどころのないよくわからない作品に触れるよりも、具体的に自分の生活や人生に役立つような情報をインターネット上で探し出して、実際にその情報を自分自身に適応し、生活や人生を豊かにしたいと考えている人が多いようだ。地に足のついた現実的な人が多いと言えよう。

やはり具体的にこの世界で生きるぼくたちにとっては、抽象的なものたちよりも具体的なものたちの方がはるかに価値がある重要な情報なのだろうか。

 

・具体的なものたちの特性

具体的な作品はその具体性、その詳細さゆえに、ぼくたちの生活にそのまま適応しやすく活用しやすい。また、その率直さやわかりやすさゆえに親しみやすく、自分で想像力を働かせずとも勝手に相手側からの思想を伝えられ、それを受け取るだけで自分が知識を得られたような一方的な満足感を得ることも可能だ。

逆に言えば自分が想像力を発揮する場面が極端に少ないことから、相手の考えをむやみに受け取りがちになり、受動的な精神活動へとのめり込んでいってしまう可能性も否定できない。自分自身で能動的に思考する機会を見失い、完全に世界にあふれた主張の激しい具体的な意見の言いなりになり、自分の人生をその底から生きるということを忘れてしまう。

 

 

・抽象的なものたちが投げかける余白

その一方で抽象的な作品は、手に取るようにわかりやすいことはないものの、具体的ではないからこそ、そこに作品を受け取る側の自分の感性の能動性が発動し、抽象的なものを投げかける相手の心と、抽象的なものを投げかけられた自分の心がやがて混じり合い、撹拌し、昇華され、化学反応を起こした上での唯一無地の感受性が成熟する。

相手が抽象的であるという、余白を伴った創造物を投げかけるからこそ、それを受け取る側のぼくたちも、自分の思考や創造の能動性を発揮させ、想像主と共に創造の感性に参加することができる。これは知らず知らずのうちに生まれる素晴らしい精神の共同作業ではないだろうか。創造的な人であればあるほど、自分の創造力を導き出せる抽象的な概念を好むのかもしれない。

ぼくたちは創造をする。けれどそれが、自分の中の思いを他人に押し付けるだけでは虚しい。具体的な主張や強烈な押し付けには、情緒がない。それにはまるで土足で人の土地を踏み荒らしていくような、純粋に育まれて来た平和な土地を植民地にしていくような、その土地に根ざしたくましく生きてきた人々の心をないがしろにするような下品さがある。

ぼくたちは創造をする。情緒のある趣深い創造をするためには、余白が必要だ。自分の感性に余白を伴わせ発生する作品は、人の世では抽象的だと言われる。けれどそれは創造の祈りだ。自分ひとりで孤独に創造を行うことはできない。受け取るあなたが受け取る際に、創造という微熱をどうか発生させてくれますようにと、そのように祈りを込めた先に立ち現れるのが、抽象画や詩という余白のある創造物だ。それらは受け取られて、そして創造の微熱を伴ってはじめて感性する祈りの結晶だ。そしてその創造の微熱が、やがて別の創造へと連鎖していくことを願って。

 

 

・ぼくたちの抽象への帰郷

あらゆる神話は混沌(カオス)から始まる。何もかもが混じり合った、境界線のない、理解し難い抽象の世界だ。世界のはじまりの抽象という概念にぼくたちが立ち戻ろうとするとき、ぼくたちはただ単に、魂の故郷に帰りつきたいだけなのかもしれない。

どうかわからないものに触れさせてください。どうか意味を成さないものと共に生かせてください。論理的なものなど退けて、役に立つものから免れて。

母の胎内の闇を記憶の底で懐かしみ慈しむように、ぼくたちは抽象への帰郷に向けて羽根を広げている。

 

 

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